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メディアによって拡散される市街劇「香港」の切り取られかた

ニューズウィーク日本版 2019年9月6日 17時0分

<デモ隊は暴徒か英雄か――。デモ参加者、警察そして記者自身が望むアングルで切り取られ、世界に配信されていく香港の抗議活動。その「真実」はどこにある?>

70年代に寺山修司率いる演劇集団「天井桟敷」が上演した市街劇『ノック』をご存じだろうか。杉並区阿佐ヶ谷近郊で行われた「演劇実験」で、観客は劇場内ではなく普通の街中で何かが起こるであろう場所の印が付いた地図を片手に街をさまよいながら各所で行われるパフォーマンスを体験していくという30時間にも及ぶイベントだった。当時付近の住民はほとんど何も知らされず、場所によっては警察を呼ぶような騒ぎにもなったらしい。

香港を訪れて騒乱のさなかに身を置いて感じたのは、今起こっているこの一連の出来事と半世紀前に行われたこの市街劇との奇妙な相似だ。いつも飲み歩いた街を背景に武装警官と黒ずくめの勇武派(デモ側の武闘派)が練り歩き、敷石と催涙弾が飛び交う非現実感はその割には薄い危険の匂いも相まってさらに強くなる。紙の地図の代わりにソーシャルメディアを通じてデモの発生がリアルタイムで伝わり、それを追いかけて現場に急行する「参加者」も、メディアの記者であったりSNSを通じて情報を発信する者が多い。そしてそこで行われる「パフォーマンス」は、記者たちが望むアングルで切り取られ、世界中に配信されていく。

タンクマンか、暴徒か

冒頭の写真をご覧になった方もいるかもしれない。デモが盛り上がる中、8月26日 にニューヨーク・タイムズが撮った写真だ。身を挺し、手を拡げて警官を止めようとする市民。その姿は勢いのある構図と共に天安門事件の際、進行する戦車の前に立ちふさがった「タンクマン」を強く思わせることもあり、一気にネット上で拡散されこの局面を代表する一枚になった。

しかし、角度を変えると見えてくるものも大きく変わる。翌日 、親中国とされる香港の新聞「大公報」等を転載する形で中国メディアが一斉に報じた「裏側」動画を見ると、印象は変わるだろう。

環球時報が流した「完全版」動画より。灰色タンクトップの男性が上の写真の人物で、写真の場面の直前に暴徒と共に行動していたと主張している

「完全版」と銘打たれたこの動画で説明される中国側の言い分はこの写真には前段部分があり、この人物は警官に狼藉を働く暴徒と行動を共にしており、警官が反撃した場面で(メディアが見ている事を承知で)敢えて飛び出し、写真を撮らせたということになる。キャプチャでは少しわかりにくいが動画を見ると確かにこの人物であろうとは思えるし、周囲の人々が警察車両を武器で襲撃しているかなり切迫した状況であったことがわかる。中国側の報道ではこの人物の行動を皮肉り「アカデミー賞ものの演技だ」などと皮肉る見出しが並んだ。

【参考記事】香港長官「条例撤回」は事実上のクーデター



ただ、この「完全版」に関しても編集されており、例えば場面の前後を入れ替えるなどの方法で意図を強調されている可能性は捨てきれない。結局何が真実かは、現場にいなければ(ひょっとしたらいたとしても)わからないのだ。

この一連の騒動は非常に敏感であるという事で、6月にデモが始まった当初は中国でもあまり報道されなかった。記憶の限りでは、7月21日の元朗 での地元やくざによるデモ参加者襲撃事件のあたりから、次第に報道されるようになってきたように感じる。当初周囲の友人も「香港は怖いね」といった程度であったが、それが一気にデモ隊に対する反感に変わったのが8月13日 、香港国際空港での記者リンチ事件だったと思う。

空港で殴られた記者の「身分」

発生当日、デモ隊を擁護する側からは「環球時報はメディアではない、奴は偽記者のスパイだ」といった声もあがったが、結局翌日には謝罪声明が出された。人民日報グループである環球時報は中国共産党に属することは事実だが、だからといって取り囲んで暴行を加え、所持品を勝手に漁るのが正しい行為でないのは当然だ。

それに加え中国人の感情を沸騰させたのがデモ隊によって拘束された記者が現場で叫んだ「我支持香港警察,你们可以打我了(私は香港警察を支持する者だ、だからお前たちは俺を殴れ!)」という台詞だ。この様子は映像 が残っており、中国側報道素材に使われた。これが中国人には「硬骨漢だ」「勇気ある行動だ」と絶賛され、逆にデモ側が暴力的であるという印象を強く与えた。今まで香港についてほとんど触れなかった比較的温厚な友人たちもこの件ではWeChatなどで一斉にこの事件を非難する投稿などをシェアしていた。

しかし直後にはこの時殴打された若い「記者」付国豪は実は中国の情報機関である国家安全部の第四部が所有する建物に居住し、所持していた銀行カードが本名ではない(中国では特殊な身分であれば偽名での口座保有ができるという)というカウンター情報も流された。中国の政府系メディアは党や政府の宣伝機関と定義されており、所属する記者の役割も我々が想像するいわゆるジャーナリストとしてのものだけではない可能性があるという前提もある。現場でどのようなやりとりがあった上で暴行に繋がったのかはわからないし、何があったとしても暴力は肯定されない。しかしカメラが回っていない場所で記者側が挑発的な行動をとった可能性も否定はできないだろう。

双方が仕掛ける映画顔負けの欺瞞の応酬

映画『インファナル・アフェア』3部作は警察に潜入したマフィアとマフィアに潜入した捜査官を描いた香港ノワール映画の金字塔だ。今の香港ではその映画と同じかそれ以上の複雑さで様々な勢力が身分を偽装し、お互いを騙しあう事が現実に起こっている。大規模デモが起こった6月中旬より、警官隊の中に広東語を理解しない警官(=中国からの増援?)が混じっているという噂は流れていた。そして8月前半には警官がデモ隊の服装に着替える映像が出回る(のちに当局も警官を変装させてデモ参加者を逮捕している事を認めている )。8月13日夜に起きた「偽記者暴行事件」はこうした事情でデモ隊側が内鬼(=自陣に潜入した敵側のスパイ)の存在に神経をとがらせていた時期だったことが背景にある。その後8月31日にもデモ隊の服装をした人物が同じデモ隊を拘束する写真が出回った。

しかしこうした欺瞞工作は警察側だけの専売特許ではない。親中国とされる大公報 によると、9月2日に検挙した「暴徒」の所持品から大量の偽記者証が押収され、前日に旺角で記者に偽装して警察行動を妨害していたとされた一群との関係が指摘された。

ただこの件はこれで終わらない。私は試しにこの写真に表示されている記者証に記された「柒傳媒」という社名を百度やGoogleで検索してみたが、まったく関連しそうな情報が見つからない。つまり、そもそも存在しないメディアの記者証(偽「偽記者証」)である可能性もあるのだ。何より、広東語では「柒」という字は粗口(悪口)として理解される。この字のニュアンスは悪口のバリエーションに乏しい日本語には訳しづらいが、大まかには「バカ」という意味になる。さて、果たしてどこのメディアが自社の名前に「バカ」を入れるのだろう?

押収された「偽記者証」

こうしたニュースは読めば読むほど表が裏になり、裏が表になって、そして裏の裏は必ずしも表にならず、結局何が真相なのかわからないままふわっとした「印象」だけを残して消費されていく。



各所で上演されるメディア向け「スペクタクル」

8月31日、最も盛り上がった香港特別行政区本部前`の衝突現場。警官隊と対峙するデモ隊最前列(手前)の間にメディアの隊列が入り込み、撮影する。後方が、警官隊が陣取る本部入り口 Lin Yi


デモ側はこれが「覇権主義の中国による、一国二制度で保障されているはずの香港の一定程度の独自性に対する挑戦である」というアングルで報道させて他国の支持を得たい思惑がある。逆に中国側からすればこれは「一部の(以前の合意を反故にして香港独立を訴える)暴徒が起こした無軌道な騒乱」であるという立場を主に国内向けに訴える必要がある。結果として現場は欧米系、香港系、中国系メディアなどが入り乱れる過密地帯となっている。場合によってはデモ隊や警官隊と同じくらいの人数の記者たちがカメラを構えて「それぞれが望む決定的瞬間」を狙っているのだ。

人民日報によるSNS投稿「彼(=警察官)の『レンズ』だけが暴徒を捉えている」。メディアが「起こっている事」より「自分が撮りたいもの」に群がる様子を皮肉っている。しかし視点をずらすと、この警察官の前にデモ隊がいるかどうかもまた、定かではない

読者・視聴者は彼らが撮った迫真の写真や動画を見る事になるが、その中にはメディアの姿は映り込まない。しかしその光景を現場で一歩離れた所から見ると、これらは記者によって十重二十重に囲まれた場所で演じられるパフォーマンスにも見えてくる。デモ隊も警官隊もそれぞれに真面目に役割をこなしている事は疑いようもないが、その真面目さは「役者が真面目に役を演じている」のと同じ種類だ、と言ったら怒られてしまうのかもしれないが。

我々は切り取られた「ニュース」をどう受け止めるべきか

そもそも現実は非常に多面的で流動的だ。また、こうした大きな出来事は、たとえ現場にいたとしても、立つ場所と時間、向いている方向で見える景色はまったく違うものに成り得る。そしてそこにいなければなおさら、実際に何が起こったかを知る事は難しい。個人が気軽に情報発信できるようになった事には素晴らしい面がある事は確かだが、同時に雑多な情報が増える事もまた事実だ。

加えてこうした政治に関わる問題においては、流される情報は自らの立場に沿った強いフレーミングとバイアスがかかり、場合によってはそこに完全なるフェイクニュースも混ざってくる。そうした情報に曝される状況で、大きな興味も基礎知識もない事柄に対して正しい選球眼をもつ事は難しく、大多数の普通の人々にとって現実的でもない。しかしこの記事も含めて、自分たちの元に届けられる「ニュース」「つぶやき」の多くが誰かの意図や願望の元に味付けされ、発信されているという事には今まで以上に注意を払ってもいいのだろうと思う。

9月4日夕刻、元々の発端であった逃亡犯条例の法案が撤回にむけ正式に動き出した。6月9日から2000時間以上にわたって上演され続ける市街劇にはこの先、どのような展開が用意されているのだろう。

[筆者]
林毅
ライター・研究者
広義のジャーナリズムやプロパガンダをテーマに研究を行う。
Twitter -> @Linyi_China
Blog -> 辺境通信



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林毅

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