Infoseek 楽天

AI監視国家・中国の語られざる側面:いつから、何の目的で?

ニューズウィーク日本版 2019年9月10日 17時40分

<監視カメラ網の構築が始まったのは2005年だった――。現地取材から明かす監視大国の実情と、一般的なイメージとの乖離。本誌「顔認証の最前線」特集より>

今年7月、私は江蘇省蘇州市の平江路を歩いていた。運河沿いに走る小道だ。歴史地区に指定されており、「空に天国あらば、地に蘇州・杭州あり」とうたわれた美しい街の姿を残している。

その風情ある街並みの中で似つかわしくない物が目に入る。監視カメラだ。円筒形をしたもの、球状のものなど数種類あるが、白い金属で覆われた姿はひときわ異様さが目立つ。しかも数十メートルおきに設置されているのだから、嫌でも目に付く。

常に監視されていることに居心地の悪さは禁じ得なかったが、そうした思いを抱いているのはごった返す観光客の中でも私だけのようだ。道行く人々は誰もがまるでカメラの存在など目に入っていないかのようだった。

カメラの真下ではしゃぐ子供たち、愛を語り合うカップル、記念写真を撮影する家族連れ。カメラの多さよりも、それを全く気にも留めない人々の姿のほうが驚きと言っていいかもしれない。

これは蘇州だけの光景ではない。都市部に限れば中国全土に共通している。中国はいつから「監視カメラ大国」になったのか。それは社会に何をもたらしたのか。目的はどこにあり、人々はどのように感じているのか。

中国で国家による監視カメラ網の構築が始まったのは2005年だ。先行して一部都市に導入を指示する「科技強警モデル都市」、その経験を全土に広める「平安建設」、各自治体へ監視カメラ網構築を指示する「3111工程」といった政策が同年に打ち出された。

治安を目的としたこの監視カメラ網構築は後に「天網工程」と呼ばれるようになるが、外国メディアは映画『ターミネーター』で人類を滅亡の危機に追い込んだ人工知能(AI)「スカイネット」の英訳を付けている。

12年には警察監視カメラ映像のネットワーク化が始まった。監視カメラは強力な証拠能力を持つが、その映像が分散保管されていれば必要な情報を集めるのに時間がかかる。ネットワーク化すれば必要な映像をすぐ入手できるほか、リアルタイムでの監視も可能だ。

孫をあやしながら自宅で監視

さらに2010年代後半からはスマート化を推進。画像認識技術により映像に何が映っているかを検索できるようにするもので、例えば「青い服を着た中年男性」というキーワードで、膨大な映像から候補を選ぶことができる。

また、顔認証技術によるデータベースとの照合も行われ、指名手配犯がカメラに写ればアラームを鳴らすなど、個人の特定も可能だ。これにより従来は人の目に頼っていた画像チェックの自動化が可能になったというわけだ。



監視カメラのスマート化に必要な高度なAI技術を開発するのは、大学発のスタートアップだ。業界を牽引するのは商湯科技(センスタイム)と嚝視科技(メグビー)の2社。センスタイムは香港中文大学の研究所を前身に14年に創設され、メグビーは北京の名門・清華大学の卒業生が11年に創業した。いずれも世界的なコンテストで優勝するなどの実績を残している。

ただし、中国の技術が他国を圧倒しているわけではない。要素(基本)技術の開発では他国と同程度でも、社会実装(開発された技術の実用化)のスピードが極めて速いというのが実態に近い。社会実装が速ければ、それだけ改善点も早く見つかり、技術改善のペースも上がっていく。

こうして進化を続けるスマート監視カメラをさらに広範囲に敷設する計画が始まっている。15年からスタートした「雪亮工程」だ。天網工程が主に都市部をカバーするものだったのに対し、農村部も含めた重点監視地域の全てに2020年までに監視カメラを設置する計画だ。

18年2月13日付「法制日報」紙(電子版)に、雪亮工程がどのように機能しているかを示す、山東省の宋河村という農村に住む治安ボランティアの例が紹介されている。

尹(ユン)は......孫をあやしながら、テレビに映し出された「平邑スマート社区」システムの映像を通じて、村の状況を見守っていた。同システムの「私の治安」機能では同時に6台分の監視カメラ映像を表示させることができる。まさに「探頭站崗、一鍵巡邏」(部屋の中から警備に就き、クリック一つで巡回するという意の警察の標語)を実現しているわけだ。17年のある日、尹は映像を見ていると、ナンバープレートを付けていない車が村内を走り回っていることに気が付いた。やがて車から人が降りてきて、ある家の鍵をこじ開けようとしているではないか。尹はすぐにテレビのリモコンに付いている「ワンクリック通報」ボタンを押した。連絡を受けた宋河村雪亮工程担当者はただちに巡視員に連絡。警官と共に現地に向かい、泥棒を逮捕した。

雪亮工程では農村部で監視カメラ網を整備し、映像データを県・市・村という3層の自治体で共有することが主眼とされているが、宋河村ではそれに加えて一般の村民が監視に加わる機能まで備えているわけだ。

監視カメラでネコババも減る

雪亮工程と並ぶもう1つの最新プロジェクトが「一体化連合作戦プラットフォーム」だ。地域によって機能は異なるが、警察や消防など治安関連の全情報を集約し、どこに警官や消防隊員がいるか、どこに監視カメラがあるかなどをデジタル地図上に表示する。指揮本部のスクリーン、管理者のパソコン、パトカーなどの車載設備、警官や消防隊員のモバイル端末で同じ情報を閲覧できるようにするものだ。



こうしたシステムを開発、販売しているソフトウエア会社のパンフレットを見ると、携帯電話の情報から該当地域にいる住民の情報を統一的に表示できる機能を盛り込んでいるものもある。縦割り行政を打破する試みだ。

雪亮工程は建設ラッシュが続いている。BBCの報道によると、2020年には民間も含めて約6億台の監視カメラが中国に設置される見通しだという。

こうした飽くなき監視カメラの活用、監視社会化はいったい何をもたらしたのか。前述の「法制日報」記事は、四川省中部にある稲花村の魯良洪(ルー・リアンホン)書記の言葉を紹介している。

「昨年の雪亮工程の実施から、窃盗事件、野焼き、ゴミの不法投棄といった違法行為は一切起きていない。不道徳行為の取り締まりにも有効だ」

中国共産党の力で犯罪が一掃されたという、いかにもプロパガンダ的な言葉だが、そこまで極端ではなくとも監視カメラの「恩恵」を感じている人は多い。卑近な例で言うと、落とし物、忘れ物だ。ネコババしても監視カメラに突き止められてしまうため、警察に届けられるケースが増えた。

また、監視カメラを導入した都市では、路上駐車や無理な追い越し、信号無視、速度超過などの交通違反も明らかに減っている。警官が見張っていないときは好き放題だったのが、常に監視されることでお行儀よくなったわけだ。

落とし物をネコババしない、交通ルールを守る──こうした社会のルールは通常いかに遵守されるのか。法律で罰則が定められているが、実のところこうした軽微な罪は摘発される確率が低い。実際には法律よりも「悪いことだからしてはならない」と自らを律する規範が占める比率のほうが大きいだろう。

中国でも学校で、あるいは団地に張り出された壁新聞で、啓蒙活動を繰り広げ、人々に規範を植え付けようとしてきたが、効果があったとは言えない。日本を旅行した中国人が口々に言うのが、日本人の礼儀正しさだ。一人一人が規範を内面化し、誰も見ていないような状況でもルールを守る社会だと感嘆している。

もっとも、中国でも一貫して規範が機能していなかったわけではない。かつて日本では「文化大革命時代の中国は泥棒のいない国」と言われていた。このイメージは多分に中国のプロパガンダに影響されていることは否めないが、当時を知る中国人に話を聞いても、「改革開放前のほうが社会の秩序はあった」と話す人が多い。

文革初期は紅衛兵が跋扈(ばっこ)する混沌とした世界だったが、後期は毛沢東を象徴とする強力なイデオロギー統治と密告を軸としたアナログな監視社会で、むしろ社会秩序があったという。改革開放によって、違法行為に手を染めてでも稼いだ者が偉い世の中になったこと、格差や人口流動が拡大したことで中国は社会秩序が不安定になった。



製造最大手、杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)の監視カメラ QILAI SHEN-BLOOMBERG/GETTY IMAGES

憂慮すべきは「普通」の基準

この混乱を収めたのが2000年代に始まった監視システムだろう。「毛沢東からデジタル監視へ」の転換だ。このように考えたとき、「監視社会・中国」に対する一般的なイメージには大きな問題があることに気付かされる。

すなわち、「中国共産党による一党支配の維持」こそがデジタル技術を動員した監視カメラ網の目的と見なされることが多いが、むしろ人々をお行儀よくさせる、安心をもたらすことに焦点が当てられているのだ。

逆に人権派弁護士や活動家の取り締まりなど、支配の維持に関する問題については、住宅の周りを警備員が常に見張り続けるといった、昔ながらの人力に頼った監視や軟禁が継続しており、デジタル技術によって代替されてはいない。

規範の代わりにデジタル技術で人々をお行儀よくさせる。そんな社会は息苦しいものではないのだろうか。

「もう慣れてしまったので、そもそも監視カメラがあることに気が付かなくなった。自分が悪いことをしなければ特に不都合もないし......。悪い人にとっては困りものだろうけど」

蘇州で製薬関連会社に勤める劉(30代、女性、仮名)の言葉だ。「デジタルディストピア」の圧政に苦しむ中国人民を描く外国メディアの報道とは全く違う感想がそこにはあった。

私たちの常識から見れば、中国の監視社会化はとてつもなく恐ろしいものに思える。だが、そこで暮らしている人々に「治安がよくなって、人々のマナーもよくなる。普通の人は困ることはない。それで何の問題があるのか?」と聞き返されたとき、果たして反論できるだろうか。

憂慮すべきは、「普通の人」と「普通ではない人」を分ける基準が独裁政権の手に委ねられている点だろう。この問題が突出しているのは、新疆ウイグル自治区やチベット自治区など独立運動が起こってきた少数民族地域だ。

中国の大多数の地域では監視のターゲットとされる「普通ではない人」はごく少数にとどまるのに対し、これらの地域では多数の住民が厳しい取り締まりと監視によるストレスフルな日々を送り、再教育キャンプには100万人超が収容されているという。

あるいは香港。デモ参加者たちは監視カメラ付きの街灯を引きずり倒した。「普通ではない人たち」の監視システムが香港でも運用されているとの恐れからだ。

監視カメラにより社会秩序を改善させる中国の取り組みからは、正と負の双方の側面が見えてくる。

(筆者は近刊に梶谷懐との共著、NHK出版新書『幸福な監視国家・中国』がある)

<2019年9月17日号掲載「顔認証の最前線」特集より>

※「顔認証の最前線」特集では、顔認証技術のメリットとリスクを徹底レポートし、「中国製監視網」を導入した1国、セルビアについても詳報。フェイスブックの顔認証システム「ディープフェイス」をめぐる議論も取り上げる。顔認証技術に関しては、日本のNECやパナソニックも世界でしのぎを削っているが、果たしてこの技術はどんな可能性を秘めているのか。


※9月17日号(9月10日発売)は、「顔認証の最前線」特集。生活を安全で便利にする新ツールか、独裁政権の道具か――。日常生活からビジネス、安全保障まで、日本人が知らない顔認証技術のメリットとリスクを徹底レポート。顔認証の最先端を行く中国の語られざる側面も明かす。


【参考記事】日本人が知らない監視社会のプラス面──『幸福な監視国家・中国』著者に聞く
【参考記事】フェイスブックの顔認証システムが信用できない理由



中国の監視カメラ網により、BBC記者がたった7分で発見された BBC News-YouTube


高口康太(ジャーナリスト)

この記事の関連ニュース