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社会状況が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」が危険な理由

ニューズウィーク日本版 2019年9月18日 16時0分

<突発的な事件やセンセーショナルな報道によって、社会が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」が働きやすくなる>

今年5月、川崎市登戸で通り魔事件が発生し2人が犠牲となった。そのうちの1人は登校中の小学校6年生の女子児童だった。

「どんな世の中になってしまったのか」と人々は恐怖におののいている。監視カメラ網を張り巡らせ、登下校の児童にはできる限り大人が付き添うべきだ、という意見も出ている。子を持つ親にすれば、そう言いたくなるかもしれない。

これは1つの事件だが、凶行の犠牲になった子どもの数は統計で分かる。厚労省『人口動態統計』の死因統計に「他殺」というカテゴリーがある。最新の2017年の統計によると、他殺による0~14歳の死亡者数は29人となっている。

「1年間でこんなにも多くの子どもの命が奪われているのか」と憤慨する人もいるかもしれない。だが、70年ほど前の1950(昭和25)年の統計で同じ数を拾うと732人となっている。現在の25倍だ。戦後間もない頃は1年間で732人、1日あたり2人の子どもが犠牲になっていたことになる。<図1>は、おおよそ10年間隔の数値をたどったものだ。



きれいな右下がりの傾向になっている。時代と共に、子どもの殺人被害者数は減っている。むろんこの数はゼロにならないといけないが、子どもの生活安全度が向上してきていることは確かだ。



子どもが減っているからではないか、という考えもあるかもしれない。子どもの事故死や自殺の報道をたびたび見かけるが、その数値は悪化しているのではないか、という疑問もあるだろう。0~14歳の人口、交通事故死者数、自殺者数の推移も添えてみると、<表1>のようになる。



少子化により子どもの人口は減っている。1950年では2942万人だったが、前世紀末に2000万人を割り、2017年では1540万人まで減っている。戦後間もない頃と比べておよそ半減した。

しかし、交通事故死者や殺人被害者はもっと速いスピードで減っている。下段の指数(1960年=100)をみると、それがよく分かる。ただ、自殺だけは要注意信号が灯っている。

総じて、子どもの生活安全度は昔と比べて上がっている。それにもかかわらず「子どもが危険だ」と、世間はパニック状態だ。

日本でもベストセラーになったハンス・ロスリングらの名著『ファクトフルネス』の一節が想起される。突発的な事件、センセーショナルな報道により、社会が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」が働きやすくなる、という説だ。監視カメラの増設や、社会の異分子の排除といった極端な意見も支持されやすくなる。

怖いのは、こうしてゆがめられた世論に押されて政策が決定されることだ。とりわけ教育の分野では、それが起きる危険性が高い。2015年に義務教育で道徳を教科にしたことなどは、その最たる例ではないか。

学者や評論家の仕事は基本的には問題提起にあるので、「今の社会は悪い」「ここが問題だ」と言う。「今のままでよい、何もしなくていい」とは言わない(言えない)。しかし『ファクトフルネス』が指摘するように、「悪い」と「良くなっている」は両立する。前者は今の状態で、後者は過去と比較した変化だ。この両者を見据え、ゆがんだネガティブ本能が暴走するのを抑えなければならない。

被害者予備軍のガードも必要だが、凶行を生まない環境づくりも大事だ。メンタルケアや福祉の充実はその中核に位置する。増加傾向にある子どもの自殺と同時に、極刑を恐れない「無敵の人」をなくすことにもつながるだろう。

20代が就職氷河期と重なった「ロスジェネ」には、「無敵の人」の予備軍が多いと見られているかもしれない。だが、ネガティブ本能が社会に広がると、この世代は救済対象ではなく、排除すべき異端の存在と見られやすくなる。事実(fact)を冷静に捉えることが必要だ。

<資料:厚労省『人口動態統計』>








舞田敏彦(教育社会学者)

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