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新学期が始まった、でもフランスの子どもは字が書けない

ニューズウィーク日本版 2019年9月20日 16時30分

<パソコンやスマホばかり使っていて、字が書けない、あるいは鉛筆そのものが持てない子供が急増中。記憶力も低下している>

長いバカンスも終わって、フランスではいよいよ新学期が始まった。といっても、日本とは違って、入学式だとか卒業式だとかいうことは一切ないので、実に淡々としている。

始業から2週間たった9月16日の朝、キオスクで「大変だ!」という大きなタイトルを目にした。大衆紙「パリジャン」の一面だ。

買ってみると、ペンを片手に何かを書く女子生徒の横顔をバックに、「CP(=日本の小学校1年)とCE1(=小学2年)の学力評価が今日始まるが、毎年、教員は筆記力の低下を再確認させられているとある。文字を書くことはだんだん教えられなくなってきているが、「注意、キーボードはすべてに取って代われるわけではない」とリードは書いている。

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20年ほど前、当時の公立学校では珍しかったパリの「情報・ロボティックス専門高等学校」を取材したことがある。そのときの先生の言葉を思い出した。「生徒たちの親には、家ではコンピュータを使った勉強させないでくださいと言っています。教えるべきことはすべて学校で教えますから。そうでないとすべての知識がコンピュータの中に蓄積されるだけで、生徒の頭に入らないんです」

2013年には、クラスを<手書きのグループ>と<キーボードのグループ>に分ける調査も行われた。4週間観察したところ、手書きグループの方がキーボード組より教わった内容をよく覚えていた。

パリジャン紙の記事もそういう話かと思ったら、違った。事態はもっと深刻だ。ペンや鉛筆で文字を書くこと自体がダメなのである。

鉛筆を持つと手が痛い

中学生へのアンケートでは、「痛い」「手に汗をかく」「ペンをちゃんと持てない」「手首がズキズキする、親指も痛い」「メモを取るのが苦痛」などの不満が並ぶ。

疲れる以前に、そもそも鉛筆やペンをちゃんと持てない子供が教室の大半を占めるようになっているのだ。

ちゃんと授業のノートをとる生徒でも、「自分の字が汚くて読み返す気がしない」のだとか。

生徒がきちんとメモをとることを嫌がり、実際に手が痛くなるなどとしてやめてしまうので、授業内容をプリントして配る先生が増えているという。

フランスでは試験と言えば、4時間かけて1つのテーマについて論述するバカロレア(大学入学資格試験)に代表されるように、かならず記述式だった。しかしこの頃では、日本のような穴埋め問題も作られるようになったという。

<参考記事>「気候変動が続くなら子どもは生まない」と抗議し始めた若者たち




「なぜ学校で手書きを続けなければならないのか」というパリジャン紙の質問に対し、認識心理学者のドニ・アラマルゴ教授はこう答えている。「ニュー・テクノロジーのほうはまだ、手書きに取って代わるのに十分な技術開発ができていない。子供たちは、キーボードでうまく入力するほうにばかり注意が行って文章に頭が行きません。手書きとキーボード入力では、動員する脳の領域と知識の動性が違います。鉛筆で書くときは、字に関する視覚的知識を構築すると同時に、形をなぞる運動の知識を動員するのです」

手を動かした方がいいのならタッチペンでタブレットに書いてもいいように思うが、同教授はこう言っている。「タブレットはまだ書きにくいし、手書きの文字は汚くなる。使いにくさや字の汚さを補うことに脳の力を使ってしまいます」

文字を書かなくなると文章も書けなくなる。「カタストロフです。3、4行を超えて書くことができません」と、ある高校の教頭は言う。

手書き能力の低下と学習能力の関連は前から問題視されていて、昨年3月にはフランスの全国学校制度評価評議会(Cnesco)が2015年に行った調査の分析と勧告が出されている。

求職の書類は今も手書き

それによると、たとえば第3学年(中学3年)のいくつかのキーワードを与えられて「コロンブスのアメリカ発見」について述べる試験では、生徒の60%がただ言葉を並べたり、ダラダラとまとまりのないことを書くだけで、まともな記述になっていなかった。そもそも、読みやすい字が書けていたのは全体の3分の1だけだった。

根底には国語力の低下がある。フランスでは、先生が読み上げた文章を書き取る「ディクテ」が盛んだが、単語の綴りの間違いが大幅に増えた。CM2(小学5年)を対象に行なわれた単語数67のディクテでは、1987年には綴りの間違いが5個以下だった優秀な生徒は31%、25個以上が5%だったのに対し、2015年には、5個以下はわずかに8%、25個以上が20%に増加した。

さらにその元には文字を手で書く習慣の喪失がある。

日本でも、かつて学校で普通だったHBの鉛筆は硬すぎるからと、力のいらないもっと柔らかい鉛筆が使われるようになっているとのことだが、フランスでも同じようなことが起きている。

フランスでは、アメリカと違ってタイプライターは元々あまり使わなかった。今でも求職の時には応募動機などを必ず手書きしなければならない。誓約書を書いたり大事なお願いをするときも同じだ。こういう文化があるだけに、この問題は余計深刻に捉えられている。

[執筆者]
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)他。

※9月24日号(9月18日発売)は、「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集。終わりなき争いを続ける日本と韓国――。コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)が過去を政治の道具にする「記憶の政治」の愚を論じ、日本で生まれ育った元「朝鮮」籍の映画監督、ヤン ヨンヒは「私にとって韓国は長年『最も遠い国』だった」と題するルポを寄稿。泥沼の関係に陥った本当の原因とその「出口」を考える特集です。



広岡裕児(在仏ジャーナリスト)

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