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梅棹忠夫と下河辺淳とともに「遊びのある地域文化」を探し出した...サントリー地域文化賞選考委員座談会(上)

ニューズウィーク日本版 2023年9月20日 10時40分

<サントリー文化財団の「サントリー地域文化賞」選考委員を約20年務めた、佐々木幹郎、田中優子、藤森照信の三氏に同じく選考委員を務める御厨貴が聞く。上編は地域文化と梅棹忠夫氏と下河辺淳氏との思い出。『アステイオン』98号より「面白ければこそ! 地域文化賞の味わいを楽しんだ20年」を転載> 

選考委員20年

御厨 このたび、サントリー文化財団の「サントリー地域文化賞」選考委員を20年以上あるいは20年近くお務めいただいた、佐々木幹郎さん、田中優子さん、藤森照信さんのお三方が2023年3月、一斉にお辞めになります。

振り返りますと、選考対象あるいは文化全体についての議論は大いにしてきましたが、選考への関わり方やお気持ちについて伺う機会はそれほどありませんでした。今日はそういったことを伺いたいと思います。

お手元に「サントリー地域文化賞歴代選考委員在任期間」の一覧があります(表1)。20年近く務められた委員はと見ると、梅棹忠夫さんと下河辺淳さん。

この下河辺、梅棹の時代は、「地域文化とは何ぞや」などとも言わずに「これだ!」と決めるような、「神代(かみよ)の時代」であったような気もいたします(笑)。

その時代が終わり、ここ20年は、お三方と、既にお辞めになった石毛直道さんが「地域文化賞」を形づくるアクティブな選考委員でした。「地域文化賞」との関わり、距離感、あるいは驚きやときめきがあったかなど、振り返ってご経験を語っていただけますか。

「面白ければいい」

田中 委員は2003年からですが、覚えているのは2004年からです。驚いたのは紙飛行機(※1)。武蔵野中央公園で紙飛行機を飛ばして、コミュニティを形成している活動です。

「えっ、これでいいんだろうか」と思ったら、藤森さんだったと思いますが、「面白い。面白ければいいんだ」とおっしゃったのがすごく印象的で。

私はどうしても、地域のお祭りや伝統芸能のほうから考えるわけですが、その土地の人たちが「面白い」と盛り上がってやっている。そのことがその場所を活気づける。賞を差し上げることによって活動が長く続いていく。

そこに価値があるんだということですね。ここはそういう賞の差し上げ方をするところなんだと、すごく納得しました。

この会で皆さんの意見を聞きながら、私のなかでのそれまでの「地域文化」のイメージが随分変わっていった気がします。

佐々木 賞については、「こういう賞の選考委員に」と伝えられて初めて知りました。最初の選考委員会には梅棹先生や下河辺先生がおられて、僕は梅棹先生からこの賞のイメージを強烈に教えられた。それは「遊びは文化である」ということ。

「遊びのある地域文化を見つける」という発想が一貫していて、真面目くさった推薦書なんかが出てきたら、「面白くないね。遊びがない」とはじいていかれた。

藤森 サントリー学芸賞は知っていたから、「地域文化賞」の委員を断ることはなかったわけだけれど、決め手は梅棹さんですね。高校時代から著作を読んでいて、僕にとって伝説の人。

ある種の行動する文化人ですよね。会えるのが楽しみでした。京都の西陣の出だと思っていたら、先祖は滋賀県の出で、滋賀に愛着を持っているのが意外であり、面白かったです。戦後の京大系の、戦前から続く知性という感じはしましたね。

御厨 佐々木さんは、選考委員になる前に、財団の「地域は舞台」というフォーラムにお出になっていましたが、委員になってみていかがでしたか。

佐々木 もう毎回、面白くてたまらなかったですね。選考委員が現地に行って調査するようになってからは余計に。結果的にその地域が受賞しないことになっても、そこにいる人たちと出会うことそのものがとても面白かった。

また、僕は梅棹先生にこの選考委員会で会うことを目指して、梅棹全集を初期から全部読みました。モンゴルへ行ったときの研究とか、大興安嶺の調査旅行の作品とか。

そして、具体的な話を直接いろいろ聞きました。トランス・ヒマラヤを発見したスヴェン・ヘディンが持っていたのと全く同じ測量器具を準備して、地図を作りながら歩いていったとか、そういう話も含めてとても面白かった。

そのとき論文の文体についても聞いてみたんです。梅棹さんの論文は、いわゆるしかめっ面らしい論文スタイルでなく、非常に読みやすい砕けた文体で書かれている。

「あんな文体でいいんですか」と聞いたら、「研究論文なんてどんな文体でもいい。面白けりゃいいんだ」と。同時に「地域文化は、しかし、研究ではないんだよ」とおっしゃったんです。僕は「ここだな、ここだな」というポイントを教えられたという思いです。

「日本ではどうして湿地帯にしか都市ができないのかね」

佐々木 下河辺先生は、かつては国土事務次官で、田中角栄の『日本列島改造論』の原型をつくった人ですよね。その大きな枠組みの発想に「へえ」と思うことはたくさんありました。

どこかのまちの地域文化が候補になると、そのまちの話とは関係なしに「しかし、日本ではどうして湿地帯にしか都市はできないのかね」と突然おっしゃる。

別のまちについて「持続可能か」ということが話題になれば、「道路をこういうふうに通せばいくらでも持続可能になる」と。一貫してボンと押さえてくるつかみ方が、強く印象に残っています。

田中 下河辺さんは、いろんなところに行って開発の交渉をされるわけですよね。場所は忘れましたが、北陸のほうでの話だったと思います。

あるとき宿に帰ったら、知らない男がやってきて牛の生首をテーブルの上にドンと置き、すごみを利かせて何かを言ったそうです。土地のやくざの人らしいですけど。そういう交渉の仕方をするんだという話でした。

それを聞いて、地域を担っていくってこういうことなんだ、私たちには見えないところがあるんだなと思いましたね。

※第2回:東京には本当に「地域」がないのか?...サントリー地域文化賞選考委員座談会(中)に続く

[注]
(1)2004年 東京都武蔵野市 武蔵野中央公園 紙飛行機を飛ばす会連合会│広大な原っぱのある公園に愛好家が集い、紙飛行機を通じたコミュニティを形成

御厨貴(Takashi Mikuriya)
1951年生まれ。東京大学先端科学技術研究センターフェロー、東京大学名誉教授。東京大学法学部卒業。専門は近代日本政治史、オーラル・ヒストリー。東京大学先端科学技術研究センター教授などを歴任。「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」座長代理。TBS『時事放談』司会者でもあった。著書に『平成風雲録』(文藝春秋)、編著に『天皇退位何が論じられたのか──おことばから大嘗祭まで』(中公選書)、『舞台をまわす、舞台がまわる──山崎正和オーラルヒストリー』(中央公論新社)、『天皇の近代』(千倉書房)など多数。2018年紫綬褒章受章。

田中優子(Yuko Tanaka)
1952年生まれ。法政大学名誉教授。法政大学文学部日本文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。法政大学社会学部教授、社会学部長などを経て法政大学総長、2021年退任。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。2005年紫綬褒章受章。著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『江戸百夢──近世図像学の楽しみ』(ちくま文庫、サントリー学芸賞)、『遊廓と日本人』(講談社現代新書)など多数。

藤森照信(Terunobu Fujimori)
1946年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学建築学専攻博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、工学院大学建築学部教授等を歴任。専門は建築史学。著書に『建築探偵の冒険・東京篇』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『タンポポ・ハウスのできるまで』(朝日新聞社)、『天下無双の建築学入門』(筑摩書房)、『歴史遺産 日本の洋館』(講談社)など多数。

佐々木幹郎(Mikiro Sasaki)
1947年生まれ。詩人。東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文芸非常勤講師を務める。『蜂蜜採り』(書肆山田、高見順賞)、『明日』(思潮社、萩原朔太郎賞)、『鏡の上を走りながら』(思潮社、大岡信賞)、『中原中也』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『アジア海道紀行──海は都市である』(みすず書房、読売文学賞)など著書多数。

 『アステイオン』98号

  特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
  公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
  CCCメディアハウス[刊]

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