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遺伝子編集で作成した「ウイルス耐性ニワトリ」が鳥インフルエンザ、卵の安定供給の救世主に?

ニューズウィーク日本版 2023年10月21日 10時20分

<遺伝子編集技術「CRISPR/Cas9」を使用したエディンバラ大の研究とウイルス耐性ニワトリのメカニズムを、鳥インフルエンザの脅威とともに概観する>

「物価の優等生」と呼ばれる卵は、2000年代に入ってもMサイズ10個が200円程度で推移していました。けれど、JA全農たまごの統計によると、23年4月、5月の東京での平均価格は350円でした。最近は少し下落しているものの、10個入り1パックで300円程度は覚悟しなければなりません。

卵の高値の理由は、ロシアのウクライナ侵攻などの影響による飼料の高騰もありますが、日本国内で昨秋から鳥インフルエンザが相次いで発生し、大量の鶏が殺処分になったことが大きな原因です。

ニワトリが鳥インフルエンザにならないための対策には、ワクチン接種が考えられます。けれど、ニワトリの鳥インフルエンザワクチンは、後述するいくつかの理由で世界的に見ても普及していません。ならばもっと抜本的に「ニワトリを鳥インフルエンザにならない身体にすればいい」と考えたのが英エディンバラ大の研究チームです。

今回、同チームは鳥インフルエンザウイルスに対して高い耐性を持つニワトリを遺伝子編集技術で作成することに成功しました。研究成果は、オープンアクセスの科学学術誌『Nature Communications』に23年10月10日付けで掲載されました。

果たして、エディンバラ大の研究は卵の安定供給の救世主になるのでしょうか。ウイルス耐性ニワトリのメカニズムとともに、鳥インフルエンザのニワトリに対する脅威、ヒトに対する脅威についても概観しましょう。

全てのA型インフルエンザウイルスは鳥由来

インフルエンザウイルスは、大きく分けるとA型、B型、C型の3種があります。このうち、他の型と比べて高熱や呼吸器系症状などが強く現れやすく、感染力も高いためにこれまでに大流行してきたのがA型です。

全てのA型インフルエンザウイルスは、元をたどれば鳥インフルエンザウイルスに行き着きます。野生の水鳥が腸内に持っているインフルエンザウイルスは水鳥には悪さをしませんが、水鳥から家禽(ニワトリやアヒル)へ感染するようになると、神経症状や呼吸器症状を起こすウイルスに変異することがあります。

さらに、鳥のウイルスがブタを介して人に感染したのが、ヒトのインフルエンザの起源と考えられています。なので、今後も動物由来の新しい「パンデミック・インフルエンザ(世界的に大流行する新型インフルエンザ)」が発生する危険性が問題視されています。厚生労働省によると、03年から23年2月25日までに、世界21カ国から合計873人の鳥インフルエンザA(H5N1)のヒト感染例と458人の死亡例が報告されているといいます。

日本では、養鶏場で鳥インフルエンザが発生した場合、その農場で飼われている鶏は全て殺処分すると「家畜伝染病予防法」で定められています。22年秋から現在にいたる国内での卵の高値は、昨年10月から4月までに約1700万羽の鶏が鳥インフルエンザの発生によって殺処分されたことが最も大きな原因となっています。

ところが、養鶏の鳥インフルエンザウイルスをワクチンで予防する方法は、現在のところ国内では普及していません。世界的に見ても、中国を含むアジアの一部地域では採用されていますが、決して主流ではありません。

ワクチンは、先に予防したい病原体の免疫をつけておいて、実際に感染したときにいち早く敵と認識させて体内からすばやく排除する方法です。けれど、インフルエンザウイルスは変異しやすいために、流行する亜型や株の予想が難しく、ヒトのインフルエンザワクチンでも「接種しても効く時と効かない時があり、当たり外れがある」と言われています。

本年7月に発表された農林水産省の畜産統計によると、2月1日現在の国内の鶏の飼育数は採卵用の成鶏めす(6カ月齢以上)の飼養数は1億2857万9000羽、ブロイラーは1億4146万3000羽です。合わせて3億羽近い鶏が鳥インフルエンザにならないために、未来の流行を予想して何種もの亜型や株を組み合わせたワクチンを生産し適量を投与したとしても、コストがかかるわりに完全には防げません。世界的に見てもメーカーや養鶏の現場は二の足を踏んでいます。

鳥インフルエンザウイルスが必ず利用するANP32A

そこで、エディンバラ大の研究チームは、「ニワトリの体内にウイルスが入っても増殖させないこと」で鳥インフルエンザを防ごうと考えました。

ウイルスは自分を複製するための設計図(遺伝子)は持っていますが、設計図を殻に包んだ簡素な構造のため、それをもとに組み立てる設備(細胞)は持っていません。他の生物の細胞に侵入(感染)し、自分の設計図を紛れ込ませるという方法で増殖します。鳥インフルエンザウイルスの場合も同じで、ニワトリ細胞内のANP32Aと呼ばれるタンパク質を利用して自己複製し、増殖します。

ANP32Aは本来、ニワトリのDNAからRNAを作る、つまりニワトリ細胞の複製過程で設計図を転写する役割を担っています。鳥インフルエンザウイルスはANP32Aの機能を乗っ取り、ニワトリ細胞のためのmRNAではなく鳥インフルエンザウイルスのmRNAを作らせます。その結果、周囲の材料を使ってウイルス構造タンパク質が合成され、子孫ウイルスが大量に生産されます。

鳥インフルエンザウイルスは、亜型や株が違ってもANP32Aの機能を必ず利用します。エディンバラ大の研究チームはそこに注目し、ニワトリの遺伝子にノーベル賞を受賞した遺伝子編集技術「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)」を使用してANP32Aの一部を書き換えて、鳥インフルエンザウイルスが侵入してもmRNAを作れないようにすることで、感染に対抗する方法を考案しました。

ニワトリの生殖細胞に対してこの方法で遺伝子編集をすると、卵から生まれた次世代ニワトリは鳥インフルエンザウイルスのmRNAを転写しないANP32Aを持っているはずです。研究者たちは、次世代ニワトリ10羽と比較対象となる遺伝子未編集の親から生まれたニワトリ10羽の鼻に、自然環境での曝露を想定した量の鳥インフルエンザウイルス(低病原性のH9N2型)を注入しました。

その結果、遺伝子未編集のニワトリでは10羽中10羽が鳥インフルエンザに感染し、遺伝子編集した次世代ニワトリでは10羽中1羽だけが感染しました。さらに、前者は他の鳥に鳥インフルエンザを感染させましたが、後者は感染させることはありませんでした。

「ANP32Aを書き換えるとほぼ感染しないこと」を示せたことは意義深いですが、「感染した遺伝子編集ニワトリが、他の鳥にウイルスを感染させなかったこと」はさらに重要な結果です。なぜなら、多くの国で鳥インフルエンザワクチンが用いられない理由の1つに、ワクチン接種しても「発症せずにウイルスを保持しているニワトリ」になる場合があり、それが養鶏場での病気の蔓延を隠してしまうことがあるからです。今回の遺伝子編集をする方法では、他の鳥への感染がないため、病気の蔓延が起こりにくいと言えます。

効果は世代を超えて引き継がれる

ただし、ウイルスへの耐性は完璧ではなく、自然の想定曝露量の1000倍に当たる鳥インフルエンザウイルスを使った実験では、遺伝子編集されたニワトリでも10羽中5羽で感染が起こりました。とはいえ、気道に存在するウイルス数は、遺伝子未編集のニワトリと比べると極めて少なく、他の鳥を感染させるおそれは低いと考えられるといいます。

ANP32Aの機能はマウスでは骨、軟骨、脳、心臓の発達に関連しているため、遺伝子編集された次世代ニワトリたちのこれらの部位の異常も懸念されましたが、問題はなかったとのことです。さらに、次世代ニワトリのメスは正常に産卵したといいます。遺伝子編集の効果は世代を超えて引き継がれるため、今後はすべて生まれつき鳥インフルエンザウイルスに耐性を持つ個体になります。

良いことずくめに見える遺伝子編集ニワトリですが、今回の実験はウイルスの驚異的な進化も観察されました。

ANP32Aの書き換えをしたのにもかかわらず鳥インフルエンザウイルスに感染したニワトリについて、体内で増殖したウイルスがどのような状態になっているのか調べたところ、ウイルスの複製に必要なのに使えなくなったANP32の代わりに、類似タンパク質である「ANP32B」と「ANP32E」を利用して自身のmRNAを転写していたことが分かりました。

つまり、ウイルスの複製に必須である道を1つ塞いだのに、ウイルスが進化して2つの迂回経路を開拓してしまいました。遺伝子編集によってウイルス耐性を高めても、ウイルス進化も加速させかねないという結果は、他の動物種への異種感染に繋がる可能性もあり、迂回経路を作られたこと以上に危険です。

研究チームは引き続き、「ANP32A」「ANP32B」「ANP32E」の全ての遺伝子を欠損させたニワトリ細胞に対して鳥インフルエンザウイルスの感染実験を行いました。すると、ウイルスの複製は見られませんでした。現在、研究チームは、ウイルス感染を完全に防ぐために、これら3つのタンパク質すべてを書き換えたニワトリ個体の作成に取り組んでいるといいます。

「科学技術と食品」にまつわる意思決定

ヒトの死亡例もある鳥インフルエンザA(H5N1)では、感染者のほとんどは家禽やその排泄物、死体、臓器などに濃厚に接触して発症しています。日本での発症者はこれまでのところ確認されていませんが、エディンバラ大チームの考案した鳥インフルエンザウイルス高耐性ニワトリは、将来的にヒトのH5N1パンデミック対策の一翼を担う可能性があります。

けれど、卵や鶏肉に関してはどうでしょうか。1990年代に遺伝子組み換え食品が現れて以来、日本ではジャガイモ、大豆、テンサイ、トウモロコシ、ナタネ、ワタ、アルファルファ、パパイヤ、カラシナの9作物が安全性審査を経て流通を認められています。とはいえ、未だに遺伝子組換え食品を食べることに心理的抵抗を感じる人も少なくありません。

「科学技術と食品」については、消費者一人ひとりが自分に関連することとして考えられる分野です。「遺伝子組換え鶏」の導入や流通時の開示方針は、科学者や政府だけに任せず、消費者も意思決定に加わるべきでしょう。今後も見守りたいニュースですね。



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