Infoseek 楽天

いつしか人命より領土を重視...「政治家」ゼレンスキー、「軍人」サルジニー総司令官の解任で戦争は新局面に

ニューズウィーク日本版 2024年2月10日 15時51分

<戦況が膠着状態に陥ったことを認めるザルジニー総司令官と、ゼレンスキー大統領の路線対立はあらわになっていた>

[ロンドン発]ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2月8日、「本日、軍指導者を刷新することを決定した」としてワレリー・ザルジニー総司令官を解任し、後任にオレクサンドル・シルスキー陸軍司令官を任命した。領土奪還にこだわる政治家ゼレンスキー氏と、膠着状態に陥ったことを認める軍人ザルジニー氏の路線対立があらわになっていた。

間もなくロシア侵攻から3年目を迎えるに当たり、ゼレンスキー氏は「私たちは最初の1年を耐え抜いた。2年目、黒海と冬を制し、空を再び支配できることを証明した。しかし残念なことに陸では目標を達成できなかった。南部方面での停滞、東部ドネツク州での戦闘の困難さが国民のムードに影を落としている。勝利を口にするウクライナ人は少なくなった」と振り返った。

総司令官を代えるに当たり、ゼレンスキー氏は以下の改善を求めた。
・ウクライナ軍の現実的で詳細な行動計画
・西側から提供された兵器を第一線の戦闘旅団に公平に配分
・ドローンがどこの倉庫に保管されているかを把握して兵站の問題を解決
・すべての将軍が前線経験を持つよう配置
・司令部の過剰人員を整理
・効果的なローテーションを確立
・訓練された兵士だけを最前線に配置

「今年を重要な年にしなければならない。戦争におけるウクライナの目標を達成するための重要な年に。ロシアは独立したウクライナの存在を受け入れることはできない。この2年の経験から平和を引き寄せることができるのはロシアの敗北だけだと確信している」とゼレンスキー氏はロシア軍に占領されている東部、南部、クリミア半島奪還への決意をにじませた。

いつしか人命より領土が重視されるようになった

西側から主力戦車、装甲戦闘車、精密誘導弾、巡航ミサイル、地雷除去機の提供を受け、開始した昨年6月の反攻について現地で戦闘外傷救護の指導に当たる元米兵は筆者に「6週間で大きな局面を迎える」と楽観的な見通しを示していたが、不発に終わった。ロシア軍の分厚い地雷原を破れず、立ち往生したウクライナ軍部隊は大打撃を受けた。

ウクライナ軍は100人単位の戦闘には慣れているが、訓練不足のため機甲師団による大規模な電撃戦で墓穴を掘った。

英誌エコノミスト(8日付)は「ザルジニー解任は戦争の重要な新局面となる。残念だが、ゼレンスキーは誤りを犯す危険がある」と警告している。ザルジニー総司令官が就任したのは戦前の2021年7月。北大西洋条約機構(NATO)基準の導入に前向きだったザルジニー総司令官は軍に巣食うロシア的体質を一掃する格好の人物だった。

「俳優から政治家になったゼレンスキーと戦場で経験を積んだザルジニーには文化や性格の違いがある。2年前にロシアがウクライナに侵攻してきた直後はこうした違いは重要ではなかった。ゼレンスキーはロシアの侵略に屈しないという国民の反骨精神を代弁した。ザルジニーは東部紛争でロシアと戦争状態にあったため戦闘に集中した」(エコノミスト誌)

ゼレンスキー氏にとって戦争の大義は民主主義の命運を賭けた戦いから、ロシア軍に占領されている全領土を奪還することになった。いつしか人命より領土が重視されるようになった。この大義が達成できないことが明らかになるにつれ、ゼレンスキー氏はザルジニー氏を疎ましく感じるようになる。ザルジニー人気も脅威だった。

戦争で政治指導者と総司令官が疎んじ合うのは珍しくない

キーウ国際社会学研究所(KIIS)の世論調査(昨年12月4~10日、18歳以上のウクライナ国民1200人)によると、ロシア軍の猛攻を食い止めるウクライナ軍へのウクライナ国民の信頼度は96%で、1年前から変わらない。ザルジニー総司令官も88%の信頼度を得ていた。一方、ゼレンスキー氏の大統領職への信頼度はこの1年で84%から62%に低下した。

戦争で政治指導者と総司令官が疎んじ合うのは珍しいことではない。朝鮮戦争でハリー・トルーマン米大統領は、核兵器使用を主張するダグラス・マッカーサー国連軍総司令官を解任。バラク・オバマ米大統領は2010年、ジョー・バイデン副大統領(当時)ら政権関係者を公然と中傷したアフガニスタン駐留軍司令官スタンリー・マクリスタル氏を解任した。

イラク、アフガニスタンに従軍し、米統合参謀本部の戦略官も務めたミック・ライアン元オーストラリア陸軍少将は自分の有料ブログに「2人の間の緊張は少なくとも1年間、それ以前に逆上っても明らかだった。平時であれ有事であれ、文民と軍の関係には常に緊張がつきまとう。しかし民主主義国家では文民指導者が常に軍に対して優位に立つ」と指摘する。

「ザルジニーは総司令官として人気がある。彼はロシアの大規模侵攻の数週間前から準備していた。これによりロシアのキーウ侵攻を撃退する鍵となった重要な要素が確保された。しかし南部の大半はアッという間に陥落した。ロシアの兵站拠点であるクリミアからの支援が容易だったためだが、ザルジニーには責任の一端がある」(ライアン氏)

プーチン「戦争終結の話し合いの時が来た」

解任の理由について、ライアン氏は「反攻失敗の結果、膨大な死傷者が出た上、ロシアのプロパガンダに利用された。文民と軍の緊張を悪化させ、米国の一部にウクライナへの支援を見直させるという外交的被害が生じた。 このような失敗の後では説明責任が極めて重要になる。ザルジニーは総司令官としてその責任を負わなければならなかった」と解説する。

解任によってウクライナ軍の指揮、軍内部の不満、大統領への助言、同盟国や安全保障パートナーとの関係、政府の安定に影響が出ることが予想される。ザルジニー氏が今後どう振る舞うかも大きなインパクトを持つ。「反攻の失敗以来、ウクライナの戦略と全体的な戦争努力に何らかの揺り戻しやリセットが必要であることは以前から明らかだった」(ライアン氏)

ウラジーミル・プーチン露大統領は8日、元米FOXニュースの司会者のインタビューに応じ、戦争を終結させるためにウクライナの領土をロシアに割譲する「協定」を結ぶことを米国側に求めた。610億ドル(約9兆1000億円)のウクライナ支援に待ったをかける米共和党と返り咲きを狙うドナルド・トランプ前米大統領への秋波である。

「ポーランドにも、ラトビアにも、他のどこにも興味はない。西側が恐怖心を煽っているだけだ。ロシアが戦場で負けることはないと西側の権力者たちが悟ったからこそ戦争終結の話し合いの時が来た。話し合いが実現するとしたら、彼らは次に何をすべきかを考えなければならない。われわれには対話の準備ができている」とプーチンは勝ち誇ったように言った。

プーチンは軍の態勢を立て直すため、時間を稼ぎたい。時間は人的にも、物的にも優位に立つロシアに有利に働く。81歳になったバイデン大統領のボケ方が白日の下にさらされる中、ウクライナの旗色はますます悪くなっている。


この記事の関連ニュース