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万葉集は世界レベルの文学作品であり、呪術的な世界の記録として極めて優れている

ニューズウィーク日本版 2024年3月13日 10時55分

翻訳、国境、ジェンダー、身分、言語......を超える『万葉集』。上野誠・國學院大學教授[特別専任]と
翻訳家のピーター・J・マクミラン氏に本誌編集委員の張競・明治大学教授が聞く。『アステイオン』99号特集より「境界を往還する万葉集」を3回にわけて転載。本編は中編 

※第1回:日本は翻訳大国でありトランスボーダー大国、『万葉集』は世界を代表する翻訳文学である から続く

漢字を使った万葉仮名の発明

張 ところで、万葉仮名を発明した当時の人はすごいですね。本来は表意文字である漢字を表音文字にした。しかも、日本語全部をピタリと表現できている。

これは大変難しいことですよ。なぜかといいますと、中国には方言が非常に多いですし、まだ共通語がない時代ですから、どこを標準にするかという問題もあったはずです。

さらに言うと、僕は上海生まれですが、僕ですら上海語では書けません。何度も挑戦しましたが駄目。英語の表記で書くことも試しましたが失敗しました。

読んで上海語になるようなものがあれば絶対に喜んでもらえると思うけれど、できないんですね。当時の万葉仮名を考えた人は天才ですよ。

上野 天才と言ってもらって嬉しいのですが、実はあれも中国に基があります。仏教の陀羅尼(4)のサンスクリットやパーリ語を漢文に訳すときのやり方を勉強していることは間違いないです。

張 八鍬友広さんも『読み書きの日本史』(岩波新書)でそう言っていますね。ところで、万葉仮名は仏教が入る前にできているでしょう。

上野 仏教教典の翻訳法に学んで、音を写す音写を行なったのが、万葉仮名です。例えば、サンスクリット語の「ストゥーパ」を漢文では「卒塔婆」と訳しています。日本では、それを「塔婆」や「塔」という。

こういう音写や、自分の言葉に訓み下す訓読をするのは、中国の周辺地域です。ベトナムとか朝鮮半島とか日本。

張 朝鮮ではものすごくもたつきました。

上野 朝鮮の場合は、知識をいわゆる両班(やんばん)層が独占してしまいましたからね。日本は海を隔てているので、独自の漢字の使い方をしていきます。そして、10世紀には女性が文字を書けるようになり、子どもたちに教えます。

そのため、文字人口の爆発が朝鮮半島より早く起こるんですね。朝鮮半島では、それが15世紀以降になります。ハングルは、すぐれた音写ですが、成立は15世紀。日本は、非常に早い。

いずれにせよ、それは文化の中心ではなく外の人たちの発想です。万葉仮名の発明によって一字一音で書けるようになると、「東歌」のような方言が書き取れることにもなるので、それは非常に重要なのです。

マクミラン また、平安時代にはあまり見られないような、万葉仮名を用いた視覚的な遊びも見られますね。『万葉集』はシンプルと評価されますが、実はレトリックにも優れていると思います。

上野 確かに、見て面白いような視覚的な表現をしているところもありますし、あるいは、「何々しし」というときに、「四(し)×四(し)=十六」にかけて「何々十六」と書いたりしているものもありますね。

張 『万葉集』は、漢字を利用した万葉仮名を使っている点でもトランスボーダーしていますし、英語や中国語などに訳されたという点でも、トランスボーダー的なテキストと言えるのですね。

左より張競氏、ピーター・J・マクミラン氏、上野誠氏 すべて河内彩撮影

「歌」は言語の記号的性格を「超える」もの

張 私には、『万葉集』は二重構造になっているように感じられます。1つは宮廷儀式のための歌、もう1つは民間の日常が見えてくるような歌。最初に「歌が大事」と主張した人たちはおそらく、儀式に使うことを考えた。そして実際に呪術的な場面で使われていたのではないか。

折口信夫の言う呪言と寿詞、つまり、霊的存在を言葉で統御しようとする行為です。これは非常に権威を持ちますから、それによって歌という形式が定着したと思います。

しかし同時に、民間に広がっている声も拾い上げ、両者を共存させました。それはなぜでしょうか。

上野 ヨーロッパの大都市の教会では、フランス語でのミサは何時から、ドイツ語は何時、英語は何時、韓国語のミサ、中国語のミサというふうに一日中やっていますね。聖書の言語も、ギリシャ語そしてラテン語の時代があり、それが各国語に翻訳されて各国のキリスト教ができてきます。

オペラだって、イタリア語で始まったものが、ドイツ語、フランス語、英語のオペラとできてくる。そうして各国の言語に訳していくのだけれど、それでも漏れてしまう人たちがいます。

その人たちは、「言葉はわからないけれど雰囲気がいい。旋律がきれい」ということでミサに行き、オペラを観る。僕はそれが歌の役割だと思います。歌は、言語の記号的性格を超えていくものだと思います。

『万葉集』と呪術的世界観

マクミラン 今言われた呪術の話ですが、『万葉集』には「何とか何とか見ゆ」という歌がありますね。これは、ただ美しい幻想的な風景を詠んでいるのではなく、見ているものが現実になっていく過程を詠んでいる。

お月様が実際に舟になっていくとか、他界した相手が上方にいて手が届かないとか、見えているものを現実であるように言葉に表している点がシャーマン的です。

中国の文化の影響を受けながらも、本来、呪術的な精神性、世界観を持っていることがうかがえます。

アイルランドにもそういう言霊世界観や文化があります。詩人の位が高いのは、言葉で現実にさせる力を持っているからです。

古代ギリシャの文学に出てくる「ロゴス」は、言葉も現実もロジックも全部含む概念ですから、呪術的な世界観は同じようにあるわけです。

でも、私の知る限り、それが記録として残されているのは『万葉集』だけです。もしそうであれば、『万葉集』は、世界レベルの文学作品であるだけでなく、呪術的な世界の記録としても極めて優れた価値を持つことになる。

文学の枠組みを超える、人類にとって非常に大事な歌集だと思うのです。それが、私が『万葉集』を翻訳する動機でもあるのです。

上野 そのとおりだと思います。

春になると天皇やその地域の位の高い人が山に登って景色を見渡し、「こういう景色が見えた」と歌います。

「大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島 大和の国は......(5)」。

国原には煙が立っている。これは、炊煙です。海に鳥がたくさんいるのは、魚がいるということ。さぞかし豊漁なんでしょう。それが「見れば見ゆ」、つまり「見たら見えた」という型の国見歌(くにみうた)です。

実際には、貧しくてご飯なんか食べられないかもしれない。豊漁でないかもしれない。でも、天皇が「そういうものが見えた」と歌うことで、「それが実現する」と思う。

これは言葉に魂があるから、言霊があるからです。『万葉集』に「見れば見ゆ」型の国見歌がこれほど多数存在しているのは、そういう古い呪術が『万葉集』の歌の形式に引き継がれているからなのです。

マクミラン 『万葉集』の翻訳文学という側面については、「型があるから破れる」という先ほどの説明にすごく納得しました。それでは、今お話しになった呪術的な面についても、中国に型があったのでしょうか。それともそれは日本独自の感性ですか。

張 日本にはもともと呪術があり、例えば漢文を学んだ日本の文人たちが外交使節として中国に行き、呪術を見て似ていると感じた、ということはあると思います。

ただ、中国の呪術は既に、天を祀る儀式、地を祀る儀式というふうに宮廷の中で儀礼化していましたから、比較すれば日本の呪術のほうが匂いは強かったと思うんです。

マクミラン そうなると、「『万葉集』は中国の翻訳文学」という冒頭の話は実際はもう少し複雑で、翻訳文学であることに加えて、もともと日本にあった呪術的な世界を、中国の呪術的な型を借りてやまと言葉で表現し直している要素もある、と言えますね。

※第3回:万葉集は英訳のほうが分かりやすいのはなぜか?...古代から現代、日本から世界に羽ばたく「世界文学としての和歌」 に続く

[注]
(4)仏教において用いられる呪文の一種で比較的長いものをいう。通常は意訳せずサンスクリット語原文を音読して唱える。
(5)舒明天皇の国見歌(巻一の二)

上野誠(Makoto Ueno)
國學院大學文学部日本文学科教授[特別専任]・奈良大学名誉教授。1960年生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は万葉集、万葉文化論。著書に『折口信夫 魂の古代学』(角川ソフィア文庫)、『万葉文化論』(ミネルヴァ書房)、『日本人にとって聖なるものとは何か』(中公新書)、『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)など多数。

ピーター・J・マクミラン(Peter MacMillan)
翻訳家・版画家・詩人。アイルランド生まれ。日本での著書に『日本の古典を英語で読む』『英語で味わう万葉集』『松尾芭蕉を旅する』など多数。相模女子大学客員教授・東京大学非常勤講師をつとめるほか、朝日新聞で「星の林に」、京都新聞で「古典を楽しむ」を連載中。NHK WORLD「Magical Japanese」、KBS京都「さらピン!キョウト」に出演している。

張競(Kyo Cho)
1953年上海生まれ。華東師範大学卒業、同大学助手を経て1985年に来日。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。著書に『海を越える日本文学』(筑摩書房)、『異文化理解の落とし穴』(岩波書店)、『詩文往還』(日本経済新聞出版)など。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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