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「容疑者」ではなく「場所」に注目...札幌コンビニ殺傷事件に見る、コンビニのリスク・マネジメント

ニューズウィーク日本版 2024年3月23日 11時15分

<容疑者という「人」に注目しないことが犯罪予防の第一歩? 非常ベルの設置やカラーボールを投げるといった対策よりも大切なのは...>

報道によると、先月25日の午前6時50分頃、札幌市のコンビニエンスストア「セイコーマート」で従業員3人が刺された。容疑者は複数の刃物を持って入店。売り場をしばらく歩き回った後、レジカウンター内に侵入し、パート従業員の男性を襲った。

続いて、店内の陳列棚の前にいたパート従業員の女性を襲い、さらに、店の奥にあるバックヤードへ入った。そこで、運営会社の社員を複数回刺し、抵抗を受けたものの死に至らしめる。切り傷・刺し傷による出血性ショックだった。

その後、容疑者はレジカウンターから店外に脱出した男性を追いかけ、再び襲う。最終的には、駆けつけた警察官4人に路上で取り押さえられた。

殺人未遂容疑で逮捕された容疑者は「3人に恨みはなく、申し訳なく思っている」と供述したという。また、運営会社は取材陣に対し、「容疑者と店とのトラブルは確認できていない」と話している。

「人」に注目しても未来の犯罪は防げない

事件後、多くの人がこの事件に関心を持った。しかし、その興味の対象は容疑者という「人」に集中した。このように、「人」に注目する立場を、犯罪学では「犯罪原因論」と呼んでいる。犯罪原因論は、犯罪者が犯行に及んだ原因を究明し、それを除去することで犯罪を防止しようとする考え方だ。

対照的に、「場所」に注目する立場は「犯罪機会論」と呼ばれている。犯罪機会論は、犯罪の機会を与えないことで犯罪を未然に防止しようとする考え方だ。犯罪を行いたい者も、手当たりしだいに犯行に及ぶのではなく、犯罪が成功しそうな場合にのみ犯行に及ぶと、犯罪機会論は考える。

犯罪問題を考える場合、犯罪原因論では予防にはつながらない。言い換えれば、容疑者という「人」に注目しても、未来の犯罪を防げない。その理由は次の通りだ。

犯罪原因論は、大きく分けて、犯罪者の「内」に犯罪原因を求める立場と、犯罪者の「外」に犯罪原因を求める立場がある。

このうち、犯罪者の「内」に原因を求める立場は、「体」を重視する立場と、「心」を重視する立場に分かれる。「体」を重視するアプローチは、頭蓋骨、遺伝子、ホルモン分泌不全、栄養不良、脳障害などに注目する。一方、「心」を重視するアプローチは、知能、深層心理、精神障害、気質などを取り上げる。

一方、犯罪者の「外」に原因を求める立場も、家庭、学校、職場、地域など、犯罪者の「生い立ち」や「身の上」を重視する立場と、景気、都市化、不平等、テレビ、インターネットなど、犯罪者が暮らす「社会」を重視する立場に分かれる。犯罪者の「外」といっても、家族や友人などが住む、身近で目に見える環境から、社会や文化など、漠然として捉えにくい環境まで、様々な「外」があるわけだ。

このように、犯罪原因論は、犯罪者の「内」から「外」まで、犯罪者をめぐる多種多様な原因を扱う。したがって、特定の事件について、犯罪原因を特定することは至難の業である。少なくとも、マスコミや一般の人たちが、犯罪が起きた後に原因を解明することは不可能に近い。

要するに、意外かもしれないが、容疑者という「人」に注目しないことが、犯罪予防の第一歩である。もっとも、「場所」に注目する立場を取ったとしても、それだけでは予防にはつながらない。次には、「リスク・マネジメント」と「クライシス・マネジメント」の区別が必要になる。リスク・マネジメントは危機が起こる前(平時)のことで、クライシス・マネジメントは危機が起こった後(有事)のことだ。

今回の事件についても、コンビニに非常ベルを設置するとか、カラーボールを投げるといった対策を取るべきだと、報道されている。しかし、これらはすべてクライシス・マネジメントである。すでに店舗が襲われているからだ。

コンビニのリスク・マネジメントと、その理論的コンセプト

リスクとクライシスの区別については、例えば、中国最古の医学書でも「名医は既病を治すのではなく未病を治す」と書かれているという。その言葉を借りるなら、クライシス・マネジメントは既病を治す、リスク・マネジメントは未病を治すである。真の意味で予防と言えるのは、リスク・マネジメントだけなのである。

では、コンビニのリスク・マネジメントとは何か。その基本になるのが犯罪機会論だ。犯罪機会論では、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることがすでに分かっている。実は、その知見に基づいて設計されたのが、アメリカ生まれのコンビニだ。

20世紀末まで、つまり、犯罪機会論が導入されるまで、コンビニでは強盗が多発していた。格好のターゲットになっていたわけだ。そこで、強盗を徹底的に捕まえようと警察力が強化された。当時のアメリカは犯罪原因論が主流だったので、強盗犯という「人」に集中したのは自然な流れである。ところが、強盗事件の増加を食い止めることはできなかった。そうして、溺れる者は藁をもつかむという気持ちで飛びついたのが犯罪機会論だった。

試行錯誤の結果、出来上がったデザインが今のコンビニだ。出入り口を1カ所に限定し、「入りにくい場所」にした。そして、道路側を全面ガラス張りにし、「見えやすい場所」にもした。レジカウンターを出入り口近くに置いたのも、道路から「見えやすい場所」にするためだ。その「見えやすさ」は、伝統的な古本屋などと比べれば、一目瞭然ではないだろうか。

次の写真は、オリジナルの良さを生かしたシンガポールのコンビニだ。オリジナルの設計通り、出入り口は一か所で、全面ガラス張りである。

シンガポールのコンビニ By Nagono, CC BY-SA 3.0

日本にコンビニが輸入されたときにも、そのデザインはそのまま引き継がれた。しかし、その理論的コンセプトが広く知られることはなかった。その結果、せっかくガラス張りにした側面にポスターを貼ったり、そのそばに本棚を置いたりして、店内を「見えにくい場所」に変えてしまった。これでは、強盗や万引きを誘発してもおかしくない。

では、今回の事件現場はどうだろう。やはり、ポスターが何枚も貼られ、本棚もガラス面に沿って設置してある。Googleストリートビューで見る限り、のぼり旗が立てられ、余計に店内が見えにくくなっている。

事件現場となったコンビニ

対照的に、次の台湾のコンビニは「見えやすい場所」になっている。ポスターが貼られていないだけでなく、全面ガラス張りの壁に軽食カウンターが設置されている。ここで飲食すれば、自然に目が道路に向く。つまり、犯罪機会論のデザインによって、店内だけでなく、店外の安全も確保しているのだ。

台湾のコンビニ Icatnews-Shutterstock

同様に、次の韓国のコンビニも「見えやすい場所」になっている。店の前に、食事用のテーブルや椅子が置かれているからだ。ここに誰かが座れば、店内と店外の両方に視線が注がれる。他にも、カプセル玩具の自動販売機が入り口の横に設置された店舗もある。親子連れが玩具目当てにコンビニを訪れれば、それだけで店内と店外の安全性が向上する。

韓国のコンビニ Sorbis-Shutterstock

このように、海外では、あの手この手で視線の交流が図られている。それが「見えやすい場所」を作るからだ。そこに犯罪機会論の伝統を垣間見ることができる。

繰り返しになるが、コンビニのデザインは犯罪機会論の長い研究の成果である。しかし、犯罪機会論を知らなければ、せっかくの防犯デザインも効果が減じられてしまう。もし犯罪機会論が普及していれば、今回の事件も、尊い命が奪われる悲しい出来事にはならなかったかもしれない。犯罪原因論から犯罪機会論への発想の転換が求められる所以である。

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