Infoseek 楽天

日本製鉄によるUSスチールの買収・子会社化...「待った」をかけたバイデンの「本音」

ニューズウィーク日本版 2024年3月25日 16時30分

<日本製鉄による買収・子会社化に、官民挙げて「NO」の大合唱。だが労組さえ合意すれば、いつでも「YES」に転じる>

かつての鉄鋼王国アメリカの象徴ともいえる会社USスチール(1901年創業)を、日本企業(日本製鉄)が買収して子会社とする──ある意味「歴史的」ともいえるこの案件で、両社が合意に達したのは昨年12月のことだ。

しかしジョー・バイデン米大統領は去る3月14日の声明で、USスチールが「今後もアメリカ企業であり続け、国内で所有・運営されていくことは死活的に重要」だと述べて買収に待ったをかけた。今秋に迫る大統領選で苦戦を強いられているバイデンとしては、少しでも支持率を回復したい思いがあったのだろう。実際、翌週にはUSW(全米鉄鋼労組)がバイデン再選支持を正式に表明している。

ただしUSWは、今回の買収提案を頭から否定してはいない。今も買収を承認するために必要と考える条件を満たすべく、水面下で日本製鉄との交渉を続けている。交渉は難航が予想されるが、どちらも本気であり、11月初めの大統領選までには合意に達したいと考えている。

合意すれば、バイデンは前言を翻して買収支持に転じることができる。政府の対米外国投資委員会(CFIUS)も、おそらくゴーサインを出す。ちなみに日本勢による米企業の買収をCFIUSが阻止した例は過去に一度もない。

両社の合併話が初めて公になった際に、ホワイトハウスは型どおり、CFIUSが国家安全保障やサプライチェーンの観点から本件を精査するとの声明を出した。しかし買収反対とは言っていない。下手に口を出せば日米関係に傷が付くし、それで中国が図に乗れば、東アジア全域の安全保障が脅かされる。

だからバイデン政権としては、日本製鉄との協議を通じてUSWが買収提案を受け入れることを望んでいる。ただし、話がつかなければ買収を阻止する。それでドナルド・トランプの大統領復帰を防げるなら、少しくらい日米関係に傷が付いてもいい。それがバイデン政権の本音だ。

ちなみに、日本の岸田文雄政権はひたすら沈黙を守っている。余計な緊張は招きたくないからだ。

幸いにして、日本製鉄とUSWは2月下旬に秘密保持契約を結んだ。これで本気の秘密交渉に入る法的な手続きが済んだ。そして3月7日には、日本製鉄の森高弘副社長がUSWのデビッド・マッコール会長を表敬訪問している。森は今回の買収プロジェクトを率いる立場にある。この初会談について、USWは「何の進展もなし」という厳しい評価を下しているが、この手の交渉で労組側が強気に出るのは毎度のことだ。

約141億ドルで米鉄鋼大手の買収を試みる日本製鉄 AP/AFLO

ほかの選択肢はない

現状では、まだ実質的な協議は始まっていない。合意に達するには時間がかかるだろう。だが現実問題として、USスチールが単独で生き延びるのは困難であり、同社を救済合併できるアメリカ企業は存在しない。労組側が望むのは同業のクリーブランド・クリフスによる買収だが、それは独占禁止法に抵触する恐れがあり、事実上不可能だ。

そもそも米国内には、伝統あるUSスチールを外国企業に売り飛ばすのは許せないという空気がある。本社のあるペンシルベニア州と隣接するオハイオ州選出の上院議員4人も同じ考えだ。共和党のトランプも、自分が当選したら「即座に」買収を阻止すると息巻いている。

この状況で、バイデン政権はCFIUSによる審査を持ち出した。支持率の低迷するバイデンは、共和党のみならず民主党支持者の間でも高まるナショナリズムと保護主義の波に逆らえない。

事態は深刻だ。ペンシルベニア州は激戦州で、ここを落としたらバイデン再選は難しい。またオハイオ州で民主党上院議員のシェロッド・ブラウンが再選を果たせなければ、民主党は上院の過半数を維持できない可能性が高い。

なおCFIUSは財務長官をトップとする組織だが、現場を仕切るのは国防総省などの主要省庁から出向しているスタッフだ。しかも厳密な意味での法的機関ではなく、むしろ政治的な助言機関の役割を果たすことが多い。言い換えれば、CFIUSが今回の買収にゴーサインを出しても、大統領は買収を阻止できる。しかもCFIUSの審査報告書が公表され、国民の目に触れることはない。

幸いにして、今の議会はこの問題に無関心だ。日本製鉄による買収に反対しているのは民主党の上院議員4人と共和党の上院議員3人、そして両党の下院議員53人だけ。有権者の大半も無関心だが、いわゆる激戦州ではどんなに小さな問題も勝敗を左右する要因となり得る。

一方で、政治的発言力の強い自動車業界などの主要企業には、日本製鉄によるUSスチール買収を歓迎する空気がある。他国の会社に買収されるよりも安心だからだ。

格付け会社も、合併が実現すれば同社の財務が改善され、社債の格上げにつながるとみている(現在は「ジャンク」扱いなので新規の社債発行が難しい)。合併で資金力が付けば積極的な設備投資もできるから、現役の労働者も年金受給者も安心できるだろう。

日本製鉄のUSスチール買収計画に「反対」を表明したバイデン大統領 ALEX WROBLEWSKI FOR THE WASHINGTON POST/GETTY IMAGES

「トランプ大統領」なら消滅

組合側の抱いている不満や不安は、十分に話し合いで解決できる。米国市場で見込める新たな収益を考えれば、日本製鉄としても受け入れられる範囲のことだ。

組合側の最大の懸念は、日本製鉄が現経営陣の方針を受け継ぎ、多くの組合員が働く高炉の閉鎖や売却に踏み切ることだ。しかし日本製鉄の広報は筆者の問い合わせに、「USスチールの高炉を閉鎖する意図はない。既存の高炉に新たな投資と革新をもたらし、脱炭素化の取り組みと全体的な効率の改善に貢献したい」と回答してきた。

組合側はまた、レイオフや年金などに関する現行の労使協定の全てを日本製鉄が引き継ぐことの絶対的かつ法的拘束力のある約束を求めている。日本側は既にそうした保証を与えたとしているが、組合側はあくまでも「法的」な保証を求めている。

米大統領選は11月5日。それ以前の決着は容易でないだろうが、双方とも本気で交渉に臨んでいる。その間、バイデンは選挙に勝つためなら何でも言うだろう。だがひとたびUSWが買収に同意すれば、堂々と前言を撤回できる。

では合意が遅れ、その前にトランプが大統領になったらどうか。おそらく、この話は消えてなくなる。

(筆者には『日本経済の未来を懸けた争い──起業家vs巨大企業』〔未邦訳、オックスフォード大学出版局刊〕の新著がある)

リチャード・カッツ(ジャーナリスト)

この記事の関連ニュース