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1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に成功...謎だった「死因」に関する新情報も

ニューズウィーク日本版 2024年3月29日 19時5分

<遊牧民「鮮卑」はエキゾチックな外見をしていたとも考えられていたが、復元された武帝の姿はこれとは大きく異なるものだった>

約1500年前の中国を生きた皇帝、北周の武帝の顔が中国復旦大学の研究チームによってDNAを基に復元された。これまで文献や絵画でしか窺い知ることのできなかった古代中国の統治者のリアルな姿は学術誌に発表され、研究者の1人は今回の発表によって「歴史上の人物に命が吹き込まれた」と語っている。

■【画像】1500年前の中国・北周の皇帝「武帝」のリアルな顔を再現...従来の説を覆す「外見」の特徴が判明

これは、学術誌「カレントバイオロジー」に発表された研究の成果だ。研究チームは、皇帝の遺骨からDNAを取り出し、その顔を復元した。中国上海にある復旦大学科学技術考古学研究院の文少卿が率いたこの研究は、皇帝の死、そして、皇帝が属していた民族の起源と移動パターンに新たな光を当てるものとなった。

この皇帝は、西暦560年から578年まで中国北周を統治した武帝だ。5世紀から6世紀にかけて、中国は南北朝に分かれていた。北周は、この時代に勃興した北朝の一つ。南北朝時代は、隋の文帝が中国を統一したことで終わりを告げた。北周は、現在のモンゴルや中国北部、北東部に暮らしていた鮮卑と呼ばれる古代の遊牧民族によって統治されていた。

論文責任著者の一人である復旦大学の魏偏偏はプレスリリースで、「私たちの研究によって、歴史上の人物に命が吹き込まれた」と述べている。「これまで、古代の人々の姿を思い浮かべるには、史料や壁画に頼るしかなかった。しかし私たちは、鮮卑の人々の姿を直接明らかにすることができる」

「エキゾチック」な外見と考えられていた鮮卑だが

武帝は非常に影響力のある統治者で、強い軍隊を組織し、北斉を倒して古代中国の北部を統一した人物。1996年には、中国北西部で武帝の墓が発見された。そこには、ほぼ完全な頭蓋骨を含む遺骨が納められていた。

今回の研究では、この遺骨から遺伝物質を抽出。その一部には、皇帝の肌や髪色に関する情報が含まれていた。研究チームは、このデータを頭蓋骨のデータと組み合わせて、皇帝の顔を3D復元した。

抽出された遺伝物質は、武帝が茶色の目、黒髪、標準的な色かそれより暗い色の肌を持っていたことを示唆している。また、顔の特徴は、現在の北アジアや東アジアに暮らす人々と似ていたことがわかった。

論文の責任著者の一人である復旦大学のShaoqing Wenはプレスリリースで、「一部の学者の間では、鮮卑はひげが濃く、鼻が高く、髪が黄色いなど、『エキゾチック』な外見をしていたと言われている」と前置きしたうえで、「私たちの分析によれば、武帝は、東アジアや北東アジアの典型的な顔立ちをしていた」と説明している。

36歳で生涯を終えた武帝の死の原因にも光が

研究チームによる遺伝子解析の結果、鮮卑は中国北部に南下した際に、漢民族と混血していたことが明らかになった(漢民族は中国最大の民族で、現在、中国本土の総人口の約90%を占めている)。「これは、古代人がユーラシア大陸でどのように広がり、現地の人々とどのように融合したかを理解するうえで重要な情報だ」とWenは述べている。

遺伝子解析の結果は、36歳で生涯を終えた武帝の死にも、新たな光を当てた。武帝の死については、病死したという説や、敵に毒殺されたという説が存在する。

研究チームがDNAを分析した結果、武帝は脳卒中のリスクが高い状態にあったと判明し、脳卒中で命を落とした可能性が浮上した。この結果は、武帝は眼瞼下垂、普通ではない歩き方、失語症(言語障害の一種)だったという文献の記述と一致している。これらはすべて、脳卒中の可能性を示唆する症状だ。
(翻訳:ガリレオ)



アリストス・ジョージャウ

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