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さくらジャパン 湯田葉月「自分自身のために」五輪も女性らしさも最上級を追求する生き方

REAL SPORTS 2021年3月26日 11時50分

「さくらジャパン」の愛称で注目を集めているフィールドホッケー女子日本代表。東京五輪メダル候補とされているも、新型コロナウイルスによる練習や試合への影響、新監督を迎えての新体制も未スタートという状況だが、コカ・コーラレッドスパークスに所属する湯田葉月は、女子ホッケー日本代表、そしてチーム コカ・コーラの一員として「東京五輪で勝つ」ことを目標に真っすぐ前を向いている。夢の舞台を前に、彼女の「オリンピック」へのこだわり、そして東京五輪に懸ける想いを語ってくれた。

(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=軍記ひろし)

「5秒あれば点が決まる」フィールドホッケーの面白さ

――フィールドホッケーはまだ日本ではマイナースポーツですが、ユース時代からフィールドホッケー女子日本代表に選ばれ、前回の2016年リオデジャネイロ大会にも出場し「さくらジャパン」の一員として第一線で活躍している湯田選手にとって、ホッケー界の現状をどういうふうに捉えていますか?

湯田:私がホッケーを始めた時からあまり変わらず、やはりマイナースポーツのままだなと感じています。「ホッケー」と言っても「ラクロス?」と言われたり、アイスホッケーと間違われたりするので。もっと多くの方にフィールドホッケーを知っていただきたいなと思います。

――もっとホッケーをメジャーにしていくためにはどんなことが大事だと思いますか?

湯田:こうやっていろいろなメディアの方にホッケーのことをお話しさせていただくことも大切かなと思っています。ホッケーってそういう機会が少ないと思うので、まずはホッケーを知ってもらえるきっかけになっていけばいいなと考えています。

――湯田選手から見て、ホッケーの魅力はどんなところですか?

湯田:ホッケーは他の競技に比べてスピード感があるスポーツだと思うので、やはりスピードやゲーム展開の速さは注目ポイントかなと。5秒あれば点が決まるので、目が離せないところが魅力かなと思います。

――かなり激しいスポーツですよね。

湯田:けっこう激しいですね(笑)。

――ケガも多そうなイメージがありますし、スティックやボールがぶつかって歯が折れてしまう選手もいますよね。

湯田:私はまだ口には当たったことがないんですけど、当たりたくないです……(苦笑)。ショックですよ。ゴルフボールぐらいボールが硬いので、簡単に折れてしまうんです。

――オーストラリアに留学していたそうですが、オーストラリアはホッケー強豪国でもあり、メジャースポーツですよね。まだまだマイナースポーツである日本と比べてどんなギャップを感じましたか?

湯田:まず、日本でやっている時とは全然雰囲気が違いました。日本は“部活感”というか、すごく厳しい環境でやってきたイメージがあるんですけど、オーストラリアでは年齢も関係なく、スポーツとして本当に楽しみながらホッケーをやっていました。

――オーストラリアでは年齢も大人から子どもまで一緒にやるような環境なのですか?

湯田:はい。所属していたクラブチームにも10代の子もいれば大人もいて、その中で実力のある人が試合に出るという世界だったので、すごく新鮮だし楽しかったですね。

――観客も多く見に来る?

湯田:けっこう人は集まりますね。


「一度も勝てずに」終わったリオ五輪のリベンジへ

――これまで競技人生の中で、自身のターニングポイントとなった出来事はありますか?

湯田:実は2012年ぐらいに、いったん大学を休学して、ホッケー生活もやめているんです。当時ロンドン五輪の予選が日本で行われたので、軽い気持ちで(予選に出場する)みんなの応援に行って、そこで試合を見て「私もやっぱりオリンピックに行きたい」という思いが湧いて。それを機に再びホッケーを始めましたし、そこが初めてオリンピックを意識した年でもあるので、私にとってその時がターニングポイントかなと思います。

――一度ホッケーをやめた理由はなんだったのですか?

湯田:当時の自分自身にちょっとマッチしないというか、違和感を感じて。海外に行きたいというのもありましたし、そこで「やめます」と。

――すごい決断でしたね。その中でホッケーの試合を第三者として見ていたら、もう一度やりたいとモチベーションが上がったのですね。

湯田:そうですね。「あ、オリンピックに行きたい」と思って。

――その後のリオ五輪で「オリンピックに行きたい」という夢は叶えられたわけですけども、その先も競技を続けてきたというのは、やはり東京五輪を目指して?

湯田:はい。年齢を考えると他のこともやりたくなってくるだろうし悩みましたけど、やはり自国開催の大会に出たいという気持ちはもちろん、リオ五輪の時に一度も勝てずに10位に終わったというのが私にとってすごく大きかったです。

――ただ出場するだけではなくて、そこで勝ちたいという気持ちが強くなったんですね。

湯田:はい。


新体制で迎える「さくらジャパン」の2021シーズンへの胸中

――コロナ禍の影響でスポーツ界においても東京五輪の延期や、思うようにトレーニングができない状況が続いていた中、どんなことを考えていましたか?

湯田:新型コロナウイルスの影響で思うように練習はできなかったですけど、嘆いても仕方がないので、今できる限りのことをやっていこうと思っています。

――特に東京五輪の延期というのは、すごく衝撃的な出来事だったと思います。この知らせを最初に聞いた時はどんな気持ちでしたか?

湯田:もしかしたら延期になるかもしれないということを聞いた時に、「ああ、延期か」と思いましたけれど、自分たちがどうこうできる問題ではないというところが大きかったので、自分たちはまた決められた日程までにベストな状態を持ってくるだけだということを意識しました。

――全体での練習ができない時期はどんな形でトレーニングしていたのですか?

湯田:ランニングをしたり、個々に家でできる範囲でウエイトトレーニングを行ったり。(フィールドホッケーは)チームスポーツなのでなかなか仲間とコミュニケーションが取れなかった時期には、代表チーム、コカ・コーラレッドスパークスのメンバーどちらともオンライン会議サービスを介してみんなで一緒にトレーニングをしていました。なかなか会えないぶん、顔を見ながらできて楽しかったです。

――こういった平常ではない時を過ごす中で、スポーツやアスリートのあり方について考えたというアスリートの方も多いようですが、湯田選手自身はアスリートの存在意義などについて考えたりしましたか?

湯田:あまり考えてはいないですけれど、今まで当たり前だと思っていた練習環境が、こういう事態になってなかなか思うように練習できなくなり、久しぶりに練習した時にはやっぱりありがたいなと思いました。

――練習できなかった期間はどれくらい?

湯田:だいたい2カ月ぐらいはできなかったですね。そこから徐々にできるようになって、思うようにできるようになるまで3カ月くらいでした。

――それだけの期間、競技から離れたのは初めてですか?

湯田:競技を始めてからは、2018年の秋ぐらいに前十字靭帯断裂のケガをして8カ月休んでいた期間以外は初めてでした。

――今、日本代表はどういう状況なのですか?

湯田:(2020年)10月にアンソニー・ファリー監督が退任されて12月にチャビ・アルナウ新監督が就任しました。新型コロナウイルスの影響で監督が入国できなくなってしまったため、監督が来日できるようになってようやく新スタートという感じです。今は新しい監督がどんな方か、まだ会っていないのでわからないですし、どんなホッケーをするのかというのも楽しみではあります。

――監督が代わってメンバーの選考もゼロからということになると、東京五輪まで期間もあまりないですし、選手からすると不安もあるのでは。

湯田:そうですね、複雑ではあります。


おしゃれやメイクは「自分自身のモチベーションや気分を上げるため」のもの

――湯田選手を始め、女性アスリートについて「美人すぎるアスリート」と表現されることもありますが、そういった報道についてどう感じていますか?

湯田:別にそれに対していいなとか嫌だという感覚はなくて。心の中で違和感を感じはしても、「そうやって取り上げてくれてんねんから、まあいいか」という感じです。そういった取り上げ方をされても、否定するより「ありがとうございます!」と言えるぐらいのほうがいいかなと思って。

――容姿のことで過去に不快な思いをしたことなどはありますか?

湯田:もうあまり気にしていません。

――そういったタフなメンタルは昔から?

湯田:そうですね。やはり大阪出身なので気も強いですし、あまり細かいことは気にしないので(笑)。

――それはすごくアスリート向きの性格ですね。湯田選手はアスリートビューティーアドバイザーにメイクアップを学んだり、アパレルブランドのモデルもしていますが、アスリートが見た目に気を使ったりおしゃれを楽しむことについて懐疑的な人もいます。湯田選手自身はこのことに対してどんな考えを持っていますか?

湯田:すごく良いことだと思っています。アスリートでもアスリートじゃない時の自分ももちろんいるわけじゃないですか。なのでオフの時はおしゃれだって楽しみたいし、試合の時もメイクをしますけど、それが自分のモチベーションにつながっています。

 否定的な意見ももちろんあると思っています。だけど、きれいになることは別にダメなことでもないですし、「化粧してどうするん? 誰に見せたいん?」と言われたりする時ももちろんありますけど、別に誰かに見せたくてメイクをしているわけではなくて、自分自身のモチベーションや気分を上げるためにやっている。だから「好きにさせてください」と思います。


“特別な舞台”東京五輪に懸ける想い

――改めて、東京五輪は湯田選手にとってどういう意味を持つ大会ですか?

湯田:この4~5年間ずっと東京五輪で結果を出すということを目指してきて、自分自身の最高のパフォーマンスを発揮する舞台だと思っているので、すごく楽しみにしています。

――やはり自国開催のオリンピックというのは気持ち的にも他の大会と全然違いますか?

湯田:全然違いますね。オリンピックという大会自体特別ですけど、なおさら自国開催となると見てくれるファンの方も多いですし、家族や友人たちも多く見てくれるというのはすごく力になりますね。

――オリンピックをモチベーションとしてホッケーに復帰して、東京五輪後の競技人生については現状どのように考えているのですか?

湯田:その先については、まだ「どうしようかな」という段階で。引退時期も特に決めていないですし、競技を続けていく中でまた目標が見つかってくるのではないかなと思って。まず今は東京五輪に向けて集中しようという感じです。

――コンディション的にも問題ない?

湯田:はい。ケガの状態もすぐに回復しましたし、あとは東京五輪に向けてコンディションを上げていくだけかなと思っています。

――育成に携わったりすることは?

湯田:コカ・コーラでクリニックを行ったりしているので、小学生に教えたりすることもあります。コロナ禍で今はそういった機会を作ることがちょっと難しいですけど、自分のできる範囲、チームでできる範囲でどんどんやっていきたいです。

――オリンピックのパートナー企業の中でも最も歴史がありオリンピックとともに歩んできたコカ・コーラのホッケーチームに所属していてオリンピックを目指しているわけですから、すごい環境ですよね。

湯田:そうですね。昨年12月にも聖火の展示イベントに参加させていただきましたが、ホッケーだけでなくチーム コカ・コーラの一員としてオリンピックに参加できるというのも、すごくうれしいです。聖火リレーも5月に走る予定なので、とても楽しみです。


<了>






PROFILE
湯田葉月(ゆだ・はづき)
1989年生まれ、大阪府出身のフィールドホッケー選手。コカ・コーラレッドスパークス所属。強豪校の羽衣学園中学・高校でホッケーを始め、高校生の時にはインターハイ(全国高等学校総合体育大会)2年連続優勝を果たす。ホッケーの名門、天理大学を休学し、ホッケーの本場であるオーストラリアへ留学。帰国後2013年よりコカ・コーラレッドスパークスへ入団。2020年のホッケー日本リーグ優勝。ホッケー女子日本代表「さくらジャパン」の中心選手としても活躍し、2014年のワールドカップオランダ大会10位、2016年リオデジャネイロ五輪では10位。東京五輪を目指し日々練習に励んでいる。

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