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文楽人形遣いの吉田簑助さんが死去 現代を代表する華やかな女方、人間国宝

産経ニュース 2024年11月8日 18時6分

華やかな女方の文楽人形遣いとして活躍し、昭和から令和の文楽界を牽引した人間国宝で、文化功労者の吉田簑助(よしだ・みのすけ=本名・平尾勝義=ひらお・かつよし)さんが7日、大阪市内の病院で死去した。91歳。通夜は11日午後7時、告別式は12日正午、大阪府吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。喪主は妻、匡子(きょうこ)さん。

昭和8年、大阪市生まれ。父は人形遣いの二代目桐竹紋太郎さん。15年に三代目吉田文五郎さんに入門した。23年には二代目桐竹紋十郎さんの門下になり、36年に三代目吉田簑助を襲名。華麗な遣いぶりで、令和3年に引退するまで女方の第一人者として活躍した。

「本朝廿四孝」の情熱的な八重垣姫や「酒屋」のけなげな妻のお園など姫から女房、遊女といった、さまざまな立場の女性の内面を華やかさと艶やかな色香あふれる遣いぶりで表現。「曽根崎心中」では遊女のお初を遣い、初代吉田玉男さんの徳兵衛とのコンビで悲しくも美しい純愛を描いて一世を風靡した。

平成10年11月、公演中に脳出血で倒れたが、リハビリの末に11年7月に舞台に復帰した。令和3年4月に「国性爺合戦」の錦祥女を遣ったのを最後に81年の舞台生活に幕を引くまで、文楽のヒロインのほとんどの役どころを遣い、女方の第一人者として活躍した。

平成6年に人間国宝、8年に紫綬褒章、21年に文化功労者。24年には日本芸術院会員に選ばれた。

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