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能登半島地震、被災体験者の声からリアルに学ぶ「地震災害への備えと対策」

日刊SPA! 2024年3月20日 8時50分

 今年2024年元旦、石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震「令和6年能登半島地震」が発生。多くの命を奪ったほか、住まいや道路など住民の生活基盤が破壊された――。
 この記事では、復興が思うように進まぬ大変ななか、現地の方々が教えてくれた“被災して気づいたことや備えておきたいこと”について紹介。取材にあたり、被災地などを案内してくれた「株式会社ぶなの森(石川県で移住支援・観光や交流のサポートをおこなう企業)※以下、ぶなの森」の代表・高峰博保氏に聞いた「転居や家を建てるときに気をつけておきたいこと」についても紹介する。

◆震源地から離れた地域で学ぶ「震災への備え」

 石川県南西部に位置する加賀市は福井県と接し、「令和6年能登半島地震」でいちばん被害が大きかったとされる珠洲市まで直線距離で150km以上離れている地域。地震による被害は少なかったとされる地域ではあるが、影響はあったようだ。

「加賀市のなかでもこの辺りは、家屋が倒壊したり道路が寸断されたりということはありませんでしたが、食器類が棚から落ちて割れるということはあったと聞きました。僕のところも、頭上より上にある棚の食器が全部といっていいほど床に落ちました。高い棚の上に食器類を置くのは危険ですね。ただ、僕の場合は床に衝撃吸収マットを敷いてあったから、食器類は無事でした」

 そう話してくれたのは、加賀市に住む50代・男性。男性は、「頭の上に食器類が落ちていたら大変だったし、食器が割れていたら片付けも大変だったかも。床には衝撃吸収マットを敷いておくといいかもしれない」とアドバイスしてくれた。部屋の見た目を大切にしている人も多いが、落下を防ぐためにも高いところに物を置くことは控えたほうがいいだろう。

◆50以上ある集落でもっとも被害が大きかった“柳瀬”に学ぶ

 今回発生した「令和6年能登半島地震」の報道でよく目にするのは、珠洲市を中心に、能登町、輪島市、穴水町、七尾市、志賀町がほとんどかもしれない。ただ、能登の入口とされる宝達志水町でも、甚大な被害を受けた集落がある。

「ここは、50以上の集落がある宝達志水町のなかで、もっとも被害が大きかった“柳瀬(やなせ)”です。家屋の倒壊や道路の寸断、水道管の破裂など、とても大きな被害を受けました。住むことはもちろん、立ち入ることも難しい赤紙を貼られた家屋も多く、立ち入るのに十分な注意が必要な黄色い紙が貼られている家も多い。道路もあちこち寸断し、傾いている電柱などもあります。けれど数十メートルほどしか離れていない周囲の集落では、柳瀬ほどの大きな被害はありませんでした。そのためか、柳瀬の状況は、ほとんど報道されていません」

 柳瀬を案内してくれたのは、ぶなの森で地域おこし協力隊として働く池田隊員だ。自治体主導で家屋を失った人と空き家をマッチングさせる取り組み「空き家バンク制度」をサポートするぶなの森の活動にも尽力。池田隊員がマッチングした空き家で新しいスタートを切った人もいる。

「お正月に大きな揺れを感じた直後、町内放送(防災行政無線)で大津波警報が発令されたことや避難指示が出ていることを知りました。でも、柳瀬は高齢者がほとんど。私の家にも90歳を超える年寄りがいたので、高台にある避難所へ向かうのは本当に大変でした」

 現在は、ぶなの森が宝達志水町といっしょに情報を集めた空き家のひとつを賃貸で借りることができ、生活基盤を整えつつあるAさん(女性・60代)は当時を振り返る。そして、「紙オムツはかさばるけど、避難所にはないだろうから持って行かないといけない。これも荷物になって大変でした」と話す。

「絶対に持ち出さなければいけないものもあるので、実際に避難となると、『アレも必要、コレも必要』と、すぐには家から出られませんでした。また、90代の年寄りは歩くのも大変。でも、道路は寸断や損傷していて車での避難は無理でした。津波の避難所は高台にあるので、年寄りを支えながら荷物を抱えて上がっていくうちに、ほかの避難者にどんどん追い抜かれていき、最初に到着した避難所はすでにいっぱいになっていたのです」

 その後Aさん一家は、避難先で親切な人に車で送ってもらい、Aさんの実家に身を寄せた。けれど、Aさんの夫が慣れない生活で体調を崩す日々。持病もあり入院した夫のこと、そして今後の生活を考え途方に暮れているとき、ぶなの森などが集約した空き家との縁に恵まれた。

「私はありがたいことに、こうして空き家を安く借りることができています。ただ、避難所にもいつまでも居られないですし、お金がなくてどこにも行けずに倒壊した自宅と同じ敷地にある納屋などで暮らしている人もいます。お金を貯めていた人たちは同じ石川県内や県外といった別の場所で家を建てるなどしているようですが、まさか家が倒壊するなんて想像もしていなかったので、いままで普通に生活していた人がほとんど。私も倒壊したあの家でずっと住む予定だったので、まとまったお金もありません」

 災害時に「まとまったお金が手元にないというのは、本当に心細い」と言い、ある程度のお金は貯めておくべきだということを体感したというAさん。このことから地震保険を掛け、さらには数百万単位のまとまったお金を貯めておくことの大切がわかる。また、緊急時に持ち出せるよう荷物をまとめておくことも必須だ。

◆転居や家を建てるときに気をつけておきたいこと

 取材にあたり被災地などを案内してくれたぶなの森の代表・高峰氏は震災後、自社サイトに「令和6年能登半島地震関連情報」ページを作成して復興の様子を発信するほか、ボランティア希望の県外団体が被災地でスムーズに活動できるようコーディネートしている。

「東日本大震災のときにも問題になりましたが、昔の人たちが『家を建ててはいけない。危険だ』と警告している場所に家を建て、被災しているケースも少なくありません。人口増や暮らしが変化していく長い歴史のなかで、先人たちの警告が薄れてしまったようです」

 しかし、「そういった場所にも普通に家が建てられたり、建て売り販売されたりしている」と高峰氏。そのため、危険な場所だと気づかずに購入してしまうケースもあるようだ。つまり、マンションやアパートにおいても同じように注意が必要だといえるだろう。

「転居するときや家を建てようとするときは、その地域にある役場のハザードマップを閲覧したり、図書館にある地域の歴史や文献に目を通したりしたほうがいいでしょう。そうすれば、その土地にまつわる災害や注意すべきことがみえてきます」

◆危険度の高い地域に住む人ができること

 国土交通省北陸地方整備局の「石川県内の液状化しやすさマップ」によると、液状化現象が起こり宝達志水町のなかで唯一の甚大な被害を受けた柳瀬をはじめ、周辺地域が危険度3のピンク色に塗られている…。しかし、こういった地域は日本の国土において非常に広範囲にわたり、実際に住んでいる人も多いのではないだろうか。

参考:国土交通省北陸地方整備局「石川県内の液状化しやすさマップ」「羽咋・かほく地域」

「国や自治体といった大きな組織が『ここからは危険な区域なので、家を建ててはいけない』など注意喚起をし、いま住んでいる人たちが安全に暮らせる場所を提供できるのが最善です。でも、莫大な費用がかかるので、すぐには難しいでしょう」

 個人や自社の力だけではどうにもできない対策もあるが、この記事で紹介した内容は、「令和6年能登半島地震」という大きな地震を体験した方たちのリアルな声にほかならない。お金を貯めたり衝撃吸収マットを敷いたりと、できることからはじめてみてはいかがだろう。

「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々が1日も早く平穏な日々を取り戻せるよう心より願っております。

高峰博保氏
「株式会社ぶなの森」の代表。ぶなの森では、石川県の観光や交流サポートをおこなうほか、加賀市や宝達志水町を中心に石川県への移住促進を担う。震災後には自社サイトに「令和6年能登半島地震関連情報」ページを作成し、個人のSNSとともに復興の様子を発信。家屋を失った人に空き家を手配するほか、ボランティア希望の県外団体と被災地を結ぶコーディネーターとしても活動している。
・「令和6年能登半島地震関連情報」ページ
・能登定住・交流機構のFacebook
・高峰氏個人のFacebook
・高峰氏個人のInstagram

【山内良子】
フリーライター。ライフ系や節約、歴史や日本文化を中心に、取材や経営者向けの記事も執筆。おいしいものや楽しいこと、旅行が大好き! 金融会社での勤務経験や接客改善業務での経験を活かした記事も得意

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