【ここがヘンだよ!日本】柴山文科相の発言から端を発した「教育勅語論争」 何が問題点なのか?

夕刊フジ / 2018年10月11日 16時56分

写真

柴山文科相の発言に、辻元氏(写真)が噛み付いた(夕刊フジ)

★(1)

 柴山昌彦文科相が就任会見で、教育勅語に関する認識を問われた際、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と答え、この発言が物議を醸している。

 立憲民主党の辻元清美国対委員長は「言語道断だ」「昔なら、その一言で即クビだ。首相は同じ考えなのか」と述べ、国民民主党の玉木雄一郎代表も「教育をつかさどる大臣の発言としては軽率だ」と非難している。

 そもそも、教育勅語は1890(明治23)年、明治天皇が時の首相と文相に与えた勅語で、太平洋戦争以前は「国民道徳の指導原理を示すもの」とされた。学校では、生徒に暗唱させ、学校儀式で奉読される、などの慣習があった。

 しかし、敗戦後に日本国憲法の理念に基づく教育方針を定めた教育基本法を制定するにあたり、政府と国会で、教育勅語の特別な地位が否定された経緯がある。現代の教育行政において、教育勅語の持つ特別な地位が否定されていることに関しては、与野党超えて議論の余地は全くない。

 では、今何が問題になっているかというと、「一文書である教育勅語の価値を、柴山氏が個人としてどのように認識しているのか」だ。こうした観点で、柴山氏と野党幹部らの発言を見ると、物事が整理して見える。

 まず、柴山氏の発言だが、公式性が否定された一道徳文書に対し、文科相という立場で所感を述べること自体が、たとえ記者から質問されても、不適切と言わざるを得ないだろう。その意味で、玉木氏の問題意識は極めて正しい。

 一方で、辻元氏の批判もおかしい。

 わが国には思想信条の自由がある。教育勅語も、その内容に柴山氏が個人として共感しても、それ自体「即クビ」につながる、という理屈は成立しない。

 社民党の吉川元(はじめ)幹事長に至っては、柴山氏の発言に関して「まさに憲法違反だ」と指摘したようだが、どちらかといえば、教育勅語を一種のタブー・禁書として扱うことを求める吉川氏の発言内容の方が憲法違反に近いだろう。

 このように、何かと政局的な議論の対象になりがちな教育勅語だが、最後に、その中身に関して簡単に評価したい。

 「親孝行を尽くそう」「兄弟・姉妹は仲良く」「夫婦はいつも仲むつまじく」など、伝統的な家族像を前提とする限りは、教育勅語の内容の一部は、確かに普遍性を持っていることは間違いない。だが、家族像が多様化し、崩壊家庭に苦しむ児童も増えるなか、伝統的な家族像を教育の場で押し付けること自体が、そのような家庭に属していない子供の心を傷つける可能性が極めて高いことを忘れてはいけない。

 言うまでもなく、教育は何よりも子供のためのものなのだから、イデオロギー論争に陥らず、子供の目線に立って与野党の政治家は議論をすべきなのではなかろうか。

 ■宇佐美典也(うさみ・のりや)1981年、東京都生まれ。東大経卒、経産省入省。企業立地促進政策、農商工連携政策、技術関連法制の見直しを担当後、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)で電機・IT分野の国家プロジェクトの立案やマネジメントを行う。2012年9月に経産省を退職。現在、政策コンサルタントとして活躍する。著書・共著に『朝日新聞がなくなる日-“反権力ごっこ”とフェイクニュース』(ワニブックス)、『逃げられない世代-日本型「先送り」システムの限界』(新潮新書)など。

fuji

トピックスRSS

ランキング