【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】一番殴られた男・中村武志氏 後ずさりしながら65メートル「シバかれ」続け、飛んできた灰皿は間一髪で避けた

夕刊フジ / 2018年1月12日 17時15分

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審判に猛抗議する(右から)中村氏と星野氏(1998年)(夕刊フジ)

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 4日に逝去した星野仙一氏(享年70)から、最も厳しい指導を受けたことで知られるのが中村武志氏(50)=現韓国KIAコーチ=だ。星野監督時代の中日で“一番殴られた男”であるのは自他ともに認めるところだ。(山戸英州)

 怖い、怖くないのレベルじゃない。生きるか死ぬか、それくらいの感覚でした。

 自信があるのは、どの野球人よりも星野さんに一番怒られたということ。人が人をここまで怒れるなんて見たことも聞いたこともない。人間じゃないと思いました。ただ、それも野球を上達させるため。プラスになるように怒ってくれていたと思います。

 鉄拳制裁もありました。室内練習場でジャージー姿でヘルメットも被らず、先輩のバットで練習している姿を見つけられたときには、後ずさりしながら距離でいうと65メートルくらいシバかれ続けました。

 キャンプ中、室内練習場での居残り特打を運動靴でやっていたら、いつの間にか見られていて、「スパイクは?」と聞かれ、返事をためらった瞬間、場内を1周半歩きながらグーとパーで殴られ続けました。

 まだ駆け出しだった頃には、チーム宿舎のロビーで自分で吸うたばこを買う姿を目撃され、「先輩の買い出しを…」と言い訳してしまった。「俺はウソをつく奴が一番嫌いなんだ!」と怒鳴りながらボコボコにされ、気がつけば倒れてました。

 監督室で叱られていて、クリスタルガラス製の大きな灰皿が飛んできたこともありました。ギリギリで避けて難を逃れましたが、監督ご自身が関係者に「あれは危なかった」と漏らしていたと聞きました。

 監督の奥さま(扶沙子夫人=1997年死去)にも気遣われて、「武志君、いつもごめんね。実は、負けて帰ってきても『今日も武志を殴ってやったわ!』と言っているときは機嫌がいいの。我慢してね」と言われてました。

 とにかく、星野さんが最初に監督に就任された第1次政権の5年間(1987-91年)は「死ぬ勢いで練習」することを体感できた時間でした。あの頃はワザとそうしているんじゃないのかなって思うくらい笑わないし、怒っている姿しか思い浮かばない。999回怒られ続けても、たった1回褒められることがすごくうれしいし、自分の中で勲章になった。それからまたずっと怒られっぱなしでしたけど。

 第2次政権(96-2001年)のときは「(責任は監督と正捕手で)半分半分だからな。その代わり、イチ野球選手としてみてやる」と優しくなった。その分プレッシャーはかかりましたが、それを意気に感じてプレーしていました。

 昨年12月に電話したとき、「どこにいても頑張れよ」といっていただいたのが最後。理不尽に思えることもあったけど、今にして思えば正しいことだったと思います。でないと、プロで生きてこられなかった。星野さんにはこの先もずっと感謝し続けます。

 ■中村武志(なかむら・たけし) 1967年3月17日、京都府生まれ。花園高から84年ドラフト1位で中日入り。長く正捕手を務めた。02年に横浜(現横浜DeNA)、05年に楽天に移籍し、同年限りで引退。通算打率・242、137本塁打、604打点。オールスター出場8回。国内球団のコーチを歴任し、15年から韓国・KIAのコーチ。右投げ右打ち。

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