【追悼・星野仙一 鉄拳制裁】“お祭り”東西対抗でふざけていたらノックの嵐、本塁打を打たれたらガツン!

夕刊フジ / 2018年1月13日 17時30分

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中村氏(写真)は星野氏に鍛え上げられ中日の正捕手を張った(夕刊フジ)

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 4日に膵臓がんで急逝した星野仙一氏(享年70)に“一番殴られた男”と自他ともに認める中村武志氏(50)=現韓国KIAコーチ。恐怖体験を振り返る。(山戸英州)

 すごいのは、僕らが気を抜く瞬間を絶対に見逃さずに怒ること。一生懸命やっている時間帯は、サングラス越しに寝ていたこともありました。だから1日中気が抜けない。精神的に強くなり、「プロは人前だけ頑張ってもダメ」と気付かされました。

 星野さんが最初に中日監督に就任された第1次政権(1987-91年)では、レギュラーだった選手を他球団へ放出したり、ポジションをコンバートして、僕や3年後輩の立浪和義(通算2480安打の名内野手)ら実績のなかった若手を抜擢しました。毎日どつかれ、一方で「俺が日本一のキャッチャーにしてやる。俺が守ってやるから嘘はつくな」といわれていました。結果としてレギュラーになれたけど、とにかく必死で「やれ!」と言われたことをやっただけです。星野さんと出会っていなかったら、99%モノにならなかったと思います。

 監督は、できないことをやれとは言わない人で、その代わり、バント失敗とか凡ミスして負けたら怒りましたね。宇野勝さん(84年本塁打王)にも「朝までバントやっとけ!」と命じたり。僕も経験がありますが、それくらいバント練習をやると手が腫れ上がります。でも次の日には必ず起用してくれました。練習しなかったら? クビです。抹殺されます。言ったことは興奮しても絶対に覚えていますから。

 常に真剣勝負。あの頃は公式戦終了後の11月に、セ・リーグオールスター東西対抗(巨人、ヤクルト、横浜=現DeNAが東軍。中日、阪神、広島が西軍に分かれて対戦)が開催されていました。“お祭り”なので試合前にふざけていたら、監督は怒り心頭。即座に外野でアメリカンノックを受けるハメになり、さらに三塁の定位置で強烈なノックの嵐。当時西軍で一緒だった岡田彰布さん(当時阪神内野手)が「何やってるんや…」とあきれかえってました。

 そして、試合中に原辰徳さん(当時巨人)に打たれ、「何考えとるんや。東西対抗でも若いやつにとっては関係ないんじゃ」と殴られました。

 間違いなく僕が一番監督に怒られたと思います。厳しいところは厳しかったけど、オヤジのような人で、人間として成長させてやろうという気持ちが伝わってきました。当時のチームメートで1度も怒られたり殴られたりしたことがない選手もいたけど、ざまあみろという感じですよ。

 ■中村武志(なかむら・たけし) 1967年3月17日、京都府生まれ。花園高から84年ドラフト1位で中日入り。長く正捕手を務めた。02年に横浜(現横浜DeNA)、05年に楽天に移籍し、同年限りで引退。通算打率.242、137本塁打、604打点。オールスター出場8回。国内球団のコーチを歴任し、15年から韓国・KIAのコーチ。右投げ右打ち。

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