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焦点:武漢「封鎖」の内幕、中国はなぜ初動が遅れたのか

ロイター / 2020年4月11日 6時56分

新型コロナウイルス大流行の震源地となった中国湖北省の武漢市は、世界の他の都市に先駆けて封鎖が解除された。写真は3月29日撮影。封鎖されていた当時の武漢市内(2020年 ロイター/Aly Song)

Cate Cadell Yawen Chen

[北京 8日 ロイター] - 新型コロナウイルス大流行の震源地となった中国湖北省の武漢市は、世界の他の都市に先駆けて封鎖が解除された。中国自身だけでなく、各国の公衆衛生専門家がこの封じ込めを成功例として称賛しているが、ロックダウンまでの道のりは簡単ではなかった。

ロイターはさまざなデータや公式記録に当たるとともに、武漢の市当局者、住民、科学者など数十人にインタビューをした。そこから見えてきたのは、問題をなかなか直視できなかった武漢市当局と、事態の深刻さを目の当たりし、慌てて強権を発動していく中央の姿だった。

<1月18日、潮目が変わる>

武漢の保健医療当局が、のちに新型コロナウイルスと判明する最初の症例を報告したのは12月、そしてこのウイルスとの関連が明らかな最初の死者が確認されたのは1月初めのことだった。

1月の最初の2週間、市当局は状況はコントロール下に置かれていると強調し、人から人への感染の可能性を軽視していた。彼らの関心はむしろ、感染源と疑われる海産物や野生動物を売買する市場へと向けられていた。

だがその後、不穏な兆しが現れ始める。

武漢の住民6人がロイターに語ったところによれば、1月12日頃には病院の呼吸器科病棟が許容量の限界に達し始め、一部の患者が受診や入院を断られるようになっていた。

しかし、少なくとも1月16日までは、武漢市政府は新たな患者は2週間ほど発生していないと説明し、市内はいつもと変わらぬ様子だった。レストランは来店者で賑わい、商業地区には買い物客が行き交い、旅行客は春節(旧正月)の休暇に向けて鉄道の駅や空港へと向かっていた。

住民の証言によれば、この頃実施されていた対策は、公共施設での住民の検温や、感染防止用マスクの着用呼びかけといった最低限のものだったという。

「私たち一般市民には、感染防止対策をとる必要があることは知らされていなかった」。1月31日に叔父をコロナウイルスで亡くしたというワン・ウェンジュンさんはこう語る。

その空気は、1月18日を境に変化する。北京の中央政府から派遣された専門家チームが武漢に到着したのだ。

チームを率いるのは、2003年に、やはりコロナウイルスの一種である重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大について中国国内で警鐘を鳴らしたことで知られる、疫学者の鍾南山氏(83)である。派遣チームは2日間にわたって武漢での感染源と感染規模の調査を行い、海産物や野生動物の市場を含む現場の視察を行った。

この視察について詳しい関係者は、武漢での視察が進み、危機の規模が明らかになっていくにつれて、科学者たちの表情は暗くなっていったと明かす。

専門家チームが到着する前日には市内で新たに4件の感染例が確認されたが、いずれも市内生鮮市場との明確な関連は確認されなかった。

<深まる疑念>

こうして、人から人への感染を否定してきた地元政府の主張に疑問が生じた。そうなると、市内で思い切った封じ込め策を実施する必要が出てくる。

このときの視察は12月末以降で3度目の専門家の派遣だったが、その間、中央政府はウイルスが伝染性のものではないかという疑いを深めていた。1月18日の視察に参加した研究者と1月2日に武漢を訪れた科学者によれば、一方で地元政府は、感染封じ込めに手を焼いていることを隠蔽(いんぺい)しようとしていたという。残る1回の視察は1月8日に実施されている。

1月18日の視察で、チームはそれまで地元政府が公にしていなかった事実をいくつか発見した。

10数名の医療従事者の感染、濃厚接触者の追跡数の減少、そして1月16日以前には病院での検査が1件も行われていなかったことである。鍾氏を中心とする専門家たちは、これらの点を武漢への視察を終えた数日後に明らかにした。

1月19日には5、6人ほどの専門家で構成されるチームが北京に戻り、視察で得られた知見を、中国の健康保健政策を策定する国家衛生健康委員会(NHC)に報告した。

このとき報告を受けた2人の情報提供者によれば、専門家は、武漢を隔離し、病院の収容能力を急速に拡大する必要があると勧告したという。鍾氏自身がロックダウン(都市封鎖)を提案したと彼らは言う。この件に関して鍾氏とNHCにコメントを求めたが、回答は得られていない。

情報提供者の1人によれば、当初、武漢市当局は経済的な打撃を懸念してこの提案を受け入れようとしなかったが、中央政府に押し切られたという。

1月20日夕刻、中央政府は武漢市に特別対策本部を設立し、感染拡大抑制に向け陣頭指揮に当たらせることを決定した。

武漢市のロックダウンに向けて、事態は動き始めた。

武漢市のある湖北省で統計局副局長を務めるイェ・チン氏は、鍾氏からの調査結果の発表を知って初めて、この感染症の深刻さを実感したと語る。

武漢市政府の対応は遅きに失した、と彼は言う。「もし市政府が通達を出していたら、そしてすべての人々にマスクを着用し体温を測るように呼びかけていたら、死者の数はもっと少なくて済んだかもしれない」

「多くの血と涙が流された、痛みを伴う教訓だ」と同氏は言葉を添える。

その後ウイルス感染者の追跡を行った結果、感染が確認された人がロックダウン実施前に、武漢から中国全土の少なくとも25の省、直轄市、行政区へと移動していたことがわかった。

これについて武漢市政府とNHCにコメントを求めたが、回答は得られていない。

<ロックダウン>

中央政府の動きは、その後すぐに武漢でも感じられるようになった。

武漢市政府関係者2人によれば、1月22日、武漢市政府高官のもとに、市外への移動の原則禁止、必要がある場合は居場所の報告を求める中央政府からの書簡が届いたという。

この情報提供者によれば、このときの指示にはそれ以上の詳細な情報は含まれていなかったが、同日夜8時ごろ、市当局者の一部に、武漢市が翌朝には封鎖されると電話での通達があったという。

ロックダウンが公式に発表されたのは午前2時であった。何千人もの武漢市民がなんとか市外に脱出しようと試み、混乱が生じた。

だが、武漢市内外を結ぶ交通手段はすぐさま遮断された。公共交通機関は運行を停止し、自家用車の使用も禁じられた。その後まもなく、住民の外出も禁じられた。

この危機で統制を把握した中央政府は同時に、武漢市・湖北省の政府の要人を数多く更迭した。

武漢の周先旺市長はその地位にとどまったが、数日後、国営メディアのインタビューで、何かにつけて党中央に報告する仕組みが早期対応の足枷になったと率直に認めた。

「もっと迅速に情報を公開するべきだった」と彼は言う。武漢市当局者としては、完全な情報公開に先立って「許可を得ることを余儀なくされた」ために、プロセスのスピードが鈍ったと市長は語る。

<ニューノーマル>

ロックダウンの実施からほぼ2カ月後、中国政府は武漢住民に市街に出ることや国内線の飛行機、都市間鉄道路線の利用を解禁した。公式データによれば、武漢で報告された新規感染者はこの1週間でわずか1人にとどまり、全患者の約93%が回復している。

だが、他国が武漢方式の隔離を検討するなかで、こうした数値への疑念も高まっている。トランプ米大統領は先週、中国の発表する数値について「少なめの数字」と発言し、中国政府の怒りを買った。

感染者が自覚症状のないまま感染を広めてしまう無症状患者のデータについては、中国もようやく先週から公表を始めたところだ。しかし国内のソーシャルメディアでは、政府の集計からかなりの数が漏れているという反発が起き、感染の第二波を引き起こすのではないかという懸念も強まっている。

政府の新型コロナウイルス対策本部の一員でもあった清華大学のスー・ラン教授は、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)などロックダウン時にとられた予防措置は、今後の中国では日常生活の一部として定着するのではないか、という。

「私たちの社会生活は、これまでとは違う新たな『普通』(ニューノーマル)へと移行していくだろう」と同教授は語る。

(翻訳:エァクレーレン)

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