「仁徳天皇稜」に複数の埋葬者!何者たちか?世界遺産登録で宮内庁も拒否できなくなった立ち入り調査

J-CASTテレビウォッチ / 2019年7月20日 12時0分

世界遺産に登録がきまった百舌鳥・古市古墳群の中にある日本最大の前方後円墳・大山古墳(大仙と書く説もある=大阪府堺市)に、埋葬者がもう1人いる可能性が浮上している。これまで、埋葬場所は後円部にあり、仁徳天皇陵ではないかといわれ、宮内庁は立ち入りや学術調査を厳しく制限してきた。しかし、世界遺産に登録されたことで、いつまでも禁じているわけにはいかなくなった。

実は、明治5年に実施した調査で、もう一つの石棺があったことがわかっていた。古墳時代中期の5世紀によく作られた形で、前方部の南側斜面の下で確認された。ガラス容器、甲冑、太刀などの副葬品から、京都橘大学の一瀬和夫教授は「トップクラスの豪族で、地位のきわめて高い人物が埋葬されていたのではないか」と推定する。

古代史学者「夫婦ではなく支配一族の親子・兄弟」

去年(2018年)10月、宮内庁と堺市が大山古墳の堤の3カ所を発掘したときには、小さな石が敷き詰められ、直径35センチの埴輪が並べられていることが判明した。築造当時の規模からすれば、3万本の埴輪が埋められたと見られる。これは1日2000人を動員して15年かかるスケールにあたる。

埋葬されたのは果たしてだれなのか。一瀬教授は「この時代は、兄弟や親子も埋葬されますから、支配者グループの1人だったと思います」という。

大阪大学の福永信哉教授は、他の小規模古墳から出た人骨の歯形がよく似ていることを確かめ、「夫婦というよりも、兄弟がともに埋葬される」という考え方が最近は強まった。大阪府内にある和泉黄金塚古墳では3体、大塚山古墳では8体の複数埋葬が確認され、大山古墳も「埋葬者はもっといる」という説が有力だ。

大山古墳にもかつては住民が立ち入っていた。地元旧家の文書に、桐の植林や薪をとった記録が残る。牛の放牧もしたらしい。豊臣秀吉は頂を「国見山」とよんで花見や鷹狩りをしていた。

しかし、明治の終わりごろから宮内庁が立ち入りを段階的に制限し、現在では「静安と尊厳を保つ」として立ち入りを禁止している。それでも住民は周辺の掃除に努めてきた。発掘好きの俳優、刈谷俊介さんは「人が里山として手入れしてきたから、あの形が残った」、福永教授は「人々の居住地域の中で残ってきたことが世界遺産の評価につながった」と指摘する。

地元自治体だけでは難しい「維持・保存」浸食激しく崩壊

上空からのレーザー調査すると、大山古墳は浸食などのため前方後円墳の形が崩れてきたことがわかった。49基の古墳がある百舌鳥・古市古墳群をどう保存したらいいのか。

大阪府藤井寺市が管理する津堂城山古墳は雨で表面の土が削られ、石棺がむき出しになりかねない状態だ。市は1000万円かけて修復することにしたが、担当者は「保全の見通しの立たない古墳もあり、前方後円墳の形状確保だけで財政が破綻する」と話す。

保存は市町村が基本で、国や県はサポートに回る。福永教授は「もう少しサポートを手厚く」というが、これ以上の税金投入は難しい。クラウドファンディングの活用などが考えられるが、そのためには宮内庁は積極的に調査を受け入れる必要があるだろう。世界遺産の登録は、保存を義務化されたということでもある。

*NHKクローズアップ現代+(2019年7月18日放送「新発見続々!世界文化遺産 古墳ミステリー」)

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