【あの日の五輪】青春映画みたい 緊張より感動…1988年の鈴木大地(下)

スポーツ報知 / 2020年2月15日 10時0分

東京五輪・パラリンピックのマスコット、ミライトワ(左)とソメイティを手にする鈴木大地スポーツ庁長官

 男子100メートル背泳ぎ決勝のレース前の招集所で鈴木が抱いた感情は、緊張ではなく感動だった。「これが五輪の決勝かあ」。1コースを泳いだカナダのマーク・テュークスバリーが立ち上がった。「グッド・ラック」。一人一人に声をかけ、握手をして回り始めた。

 「感動しちゃって。いいなあ、青春映画みたいだって。感動したおかげでリラックスして、いい緊張状態でレースに臨めた。あれがなければ、ガチガチになっていたかもしれない」

 100分の1秒を削るために、どれほどの犠牲を払い、この4年を泳ぐことにささげてきたことか。ファイナリストたちは、互いへのリスペクトにあふれていた。金メダルの瞬間、ライバルが鈴木の元に集まってきた。「金メダルを取るためにやっていたというより、世界の人たちと友達になるために水泳をやっていたんだなって思いました。成績なんてどうでも良かったんだよね、後から考えると」。五輪で得た友情は金メダルと同じか、それ以上の宝となった。

 高校2年の秋が転機だった。鈴木陽二コーチの「次の五輪行けるぞ」の言葉が鈴木を変えた。1年後に控えた84年ロサンゼルス五輪へ、死に物狂いになった。「本当のチャレンジ。人生を懸けた感じでした。一日たりとも練習で妥協をしなかった」。1か月、2か月、どんどん自分が変わっていくのが分かった。「あの1年が一番つらかった。ただの選手から五輪選手になった。その激変が自信になった。それが出来たんだから(ソウルで)金メダルくらい取れるだろうって」

 拠点のプールは25メートルが5レーンしかなかった。水深は腰の高さほど。「20メートル潜って浮き上がったら、もう泳ぐところがないわけよ」。スタート練習では腰が底についた。50メートルプールで泳ぐ機会は年に3、4回。「フットサルをやっていて、突然試合で本番のサッカー場みたいな感じよ。厳しい時代だったね」と懐かしそうに振り返った。

 ソウル五輪後、スイミングクラブや大学、連盟、自宅に大量の手紙が届いた。「感動をありがとう」と記されていた。住所の記載はなく「金メダリストの鈴木大地様」で届いた手紙もあった。「自分がやってきたことが、人を喜ばせたのかと驚いた。スポーツってすごい力を持っていると思いました」。7月に東京五輪がやってくる。スポーツ庁長官として、その「力」を世に広めることに尽力する日々だ。(高木 恵)=敬称略、おわり=

 ◆88年ソウル五輪当時の世相 青函トンネルと瀬戸大橋が開通。東京ドーム完成。リクルート疑惑で竹下内閣が崩壊した。ソウル五輪で不正薬物使用により金メダルを剥奪されたベン・ジョンソンの「ドーピング」が流行語に。坂本龍一が映画「ラストエンペラー」でアカデミー賞最優秀作曲賞を受賞。ゲームソフト「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト3」が大人気となった。

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