外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(4) 「自粛」が「萎縮」になってはいないか 今こそ専門家は発信を!

J-CASTニュース / 2020年5月16日 12時0分

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2020年に行われた「さっぽろ雪まつり」(1月31日~2月11日)の光景(写真:AFP/アフロ)

緊急事態宣言が全国に拡大してから、外出自粛の日々が続いている。出勤を控え、テレワークに移行した人も多いだろう。だが、「自粛」が「萎縮」になってはいないだろうか。海外の大学やシンクタンクの活動を見てそう気づき、地元のテレビ会議に参加して、改めてコロナ禍のなかで活動を持続することの大切さを感じた。

英の大学・研究機関などの発信

そのサイトを見た時に、衝撃を受けた。

英国の大学、「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)」のホームページだ。

同校はロンドン大学に属する社会科学系の大学で、とりわけ経済学ではノーベル賞の受賞者を輩出するなど評価が高い。

ホームページは普段通りだが、その中にある「COVID-19 LSEリソース・センター」の入り口をクリックすると、いきなり「新型コロナウイルスへの社会科学の対応をリードする」という標語が現れ、その下に「LSEの公共政策部門は、新型コロナに対する社会科学政策を導き支援するため、主要な考えをまとめてきた」とうたっている。

ここにいう「社会科学」とは、経済学、財政学、社会学、政治学、公衆衛生学、心理学、行動科学など、幅広い分野だ。つまり、政府、非政府組織が新型コロナウイルスへの対応策を練るに当たって必要になるデータやファクト、政策提言を、大学の総力を挙げて結集するという宣言なのだ。

実際、その下に並ぶ様々な調査報告やデータ、政策提言は、この間LSEの教員らが、いかに未知の新型コロナに立ち向かってきたのかを物語って余りある。

ある報告書は、数学者の協力を得て、新型ウイルスの調査について数理モデルを提起し、別の調査報告は感染による死者の発生場所や年齢別データを提供している。経済学者が、行動制限解除にあたって政府が考えるべきことを提言するかと思えば、政治学者が、政治家と専門家の関係について論じる。「政治家はパンデミックにおいてすら、科学者の陰に隠れることはできない」という論文は、「政治家が専門家の助言を無視するのは危険だ。しかし、誤りの余地が大きく、議論のある問題で、判断を専門家に丸投げするのは同じように危うい」と説き、「相反する条件の下で、最終的に厳しい決断を下すのは政治家の仕事なのだ」と警告している。

私が今回のコロナ禍でのLSEの活動に興味を持ったのは、2020年4月13日付けの英紙ガーディアン(電子版)が掲載した「死者の半数が介護施設で亡くなる EUのデータが示唆」という長文記事だった。

それによれば、仏、伊、スペイン、アイルランド、ベルギーの様々な公的統計をLSEの学者グループが解析したところ、42~57%の死者が介護施設でなくなったという。介護施設における感染拡大に注視を促す貴重な調査報道だったが、これもLSEの研究がなければ成り立たなかったろう(ちなみに英国では4月29日から死者の集計方法を改め、医療施設のほかに介護施設での感染死を加えるようになった。その結果、死者数は4千人以上増えて2万6000人超となった)。

社会科学系の大学が、危機にあたって総力を挙げる。それを「当たり前」と受け取る人も多いだろう。社会科学は、そうした時のために存在意義があるのだから。でも、果たしてそうなのだろうか。私がLSEのサイトに「衝撃」を受けたと書いたのは、その「当たり前」のことを、私がすっかり忘れていたことに気づかされたからだった。

英国では、LSEに留まらない。ロンドン大学キングス・カレッジは、サイトに「新型コロナウイルスとの闘いに対するキングスの貢献」という特設欄を設けている。またオクスフォード大も、「本学の研究者は、新型コロナを理解し、我々のコミュニティーを守るグローバルな試みの最前線に立つ」として、数多くの分析や調査を発表している。そこには医学的なテーマだけでなく、「欧州の多くの国ではベーシック・インカムを保証している」といった社会分析や、「コロナ禍における子育てのストレス」についての助言など、テーマは多岐にわたっている。

大学だけではない。世界情勢を分析するシンクタンクとして名高い王立国際問題研究所(チャタムハウス)のサイトは、世界各地の新型コロナの感染状況や影響について論文やコメントを掲載し、王立防衛安全研究所(RUSI)のサイトは、新型コロナが安全保障や防衛、あるいは広く社会にどのような影響を与えるかについて、多数の論文やコメントを掲載している。

米も発信が盛んだが日本は...

米国に目を転じれば、感染症研究で定評のあるジョン・ホプキンス大のホームページがやはり「リソース・センター」を設け、盛んな情報発信を続けている。世界の感染確認数を時々刻々集計してマップに落とし、公開している。日本のメディアが報じている世界の感染者数、死者数の多くはこのサイトに依拠している。センターは、中国・湖北省での感染勃発や、国ごとの感染状況について詳しく報告し、なぜ各国で死者数が違うのか、どこで今感染が広がっているのかなどについても、多くの分析を公開している。

ハーバード大学も、サイトに並ぶ多くの情報は新型コロナ関連だ。「長期隔離の孤独」や「誤ったソーシャル・メディア情報と闘う」、あるいは「ワクチン開発までどれくらいかかるのか」など、こちらも全方位からコロナ禍を分析している。

シンクタンクで言えば、ブルッキングス研究所のサイトは「研究者から、新型コロナへのグローバルな対応を学ぼう」という特設ページを設け、毎日のように更新している。こちらも、「新型コロナは世界最貧の人々にどのような影響を与えるか」とか、「ポスト・コロナ時代の経済のABC」など、テーマは盛沢山だ。もちろん、外交問題評議会(フォーリン・アフェアーズ)も負けていない。「スウェーデン戦略(集団免疫)は世界に広がる」とか、ポスト・コロナ時代の世界の無秩序」、あるいは「米国は中国から何を望むのか」など、こちらも多彩なテーマを扱う論文を毎日のように更新している。

英米のこうした目覚ましい活動を見て溜息をついたのは、日本の大学や研究機関のサイトに、社会に向けた発信があまり見受けられないように思えるからだ。多くは学生や教員、職員に対する告知や注意、新入生や志望者へのお知らせなどにとどまり、専門家が知見を発信するところまで手が届いていないようだ。また、シンクタンクでいえば、私の調べが行き届かないのか、活発に政策提言をしたり発信したりしているのは、「東京財団政策研究所」など、ごくわずかに留まっているように見受けられる。

大学で言えば、まず学生や教員を守り、休校中の代替案を探り、バイトができなくなった学生をどう支援するかが最優先の課題だろう。多くの専門家はメディアに登場して知見や研究の蓄積を踏まえて発言しており、個々の発言はきちんと社会に届いている。

ただ、私が危惧するのは、LSEのサイトを見て衝撃を受けた私のように、「自粛要請」が「萎縮」につながっていないのか、という点だ。

社会科学のみならず、人文科学も同じで、そうした専門家や研究者は、日ごろの研究を通して、今のコロナ禍のような激変に際して、どう発言し、提言するのかに備えて研鑽を積んできたのではなかったろうか。

コロナ禍は私たちすべてに「自粛」や「距離」を強いている。だが医療従事者や交通機関、スーパーなど、ライフラインを守る人々は、感染のおそれに直面しながら、活動をやめていない。私たちは「自粛」を内面化して、「萎縮」に甘んじてはいないだろうか。医療従事者らが、社会が自粛する時もコミュニティーを守るために活動を続けているのであれば、専門家や研究者も、その本来の職務を遂行するべきではないだろうか。

そう思っている時に、知り合いを通して、北海道の地元でテレビ会議に誘われ、刺激を受けた。やはり参加者のほとんどが、自粛のなかで横のつながりを絶たれ、メディアの情報を一方向で受け取るだけの日常に疑問を抱いていたのを知った。話題はローカルだが、一種の「フォーラム」を形づくる試みの一つとして、ご紹介したい。

北海道でのテレビ会議

北海道で去る5月2日夕、ZOOMによるテレビ会議が開かれ、私も参加した。

新型コロナウイルスの感染が拡大してから、私たちは長い間集会にも参加できず、新聞やテレビなどの報道を受け身で知るだけだ。

ちょうど5月3日の憲法記念日を前に、今起きつつあることを主体的に発信し、話し合おうという試みだった。

呼びかけたのは、地元北海道文化放送(UHB)報道スポーツ局長の吉岡史幸さん。もちろん職場を離れ、一個人として知り合いに声をかけ、ざっくばらんに語り合おうという趣向だ。従って、これからご紹介する議論はすべて個人的な意見であり、組織や団体を代表するものではない。事前にこの要旨を参加した13人に配布し、了承を得た。ただし、ご本人が匿名を希望した方については匿名にしている。

初めに司会の吉岡さんが、大きなテーマとして、「新型コロナウイルスと民主主義をどう両立させるのか」という問いを投げかけた。まず札幌の弁護士、今野佑一郎さんが、今回の特措法について概略を説明した。

「もともと今回の改正特措法は、2012年の旧民主党時代に成立したインフルエンザ等対策特別措置法に、新たに新型コロナ感染症を追加する内容で、ほかの規定は変えていない。政府は、蔓延の恐れが高いと判断した場合に、首相を本部長とする対策本部で基本的対処方針をまとめ、専門家の意見を聞いたうえで緊急事態宣言を出すかどうか決める。宣言を出す場合には都道府県を単位とする区域や期間を首相が示す。都道府県知事が、住民の外出自粛や学校、老人福祉施設などの使用禁止、イベントなどの開催制限、医薬品や食品などの売り渡しなどを要請・指示する。臨時の医療施設を設置するために土地や建物の持ち主が理由なく同意しない場合には知事が強制使用できるとか、事業者に医薬品やマスクなどの保管を命じたのに従わない場合や立ち入り検査を拒んだ場合には懲役刑や罰金刑を定める罰則規定も設けられている。しかし、外国のようにロックダウン(都市封鎖)をできるような条項はない」

これに対し、北星学園大で公法を担当する岩本一郎教授は、かりに法律であっても改正特措法は、重要な憲法問題を惹起していると指摘した。

「今回の改正特措法と、自民党が2012年に発表した憲法改正草案にいう緊急事態条項が極めて近い関係にあることに注意する必要がある。改正特措法では、その第45条1項で外出の自粛、第2項で施設の使用制限を要請・指示できるとなっており、憲法22条の居住移転の自由、21条の集会の自由、29条の財産権の保障と公共のために使う場合の正当な補償という各条項に対する事実上大きな制約となる点を確認しておくべきだろう。違憲の問題も生じ得る。自民党草案の緊急事態条項も、客観的な条件は専門家が判断するとしながらも、最後は首相の判断に委ねられ、期間も100日間と長く、無制限に延長できる。しかも裁判所の関与がない。今回最も大きな問題は、安倍首相が法的根拠もなく、2月27日に全国の小中高に自主休校を要請して、事後的に特措法を改正し、外形的な体裁を整えたことだろう。憲法上の緊急条項も、事実上人権に制限を加え、なし崩し的に首相が緊急事態を宣言するようなことが起きる恐れがある。今回のコロナ特措法で起きることを批判的に検証して、憲法上の緊急事態条項について考えるべきだろう」

ここで元北海道新聞、日本ジャーナリスト会議の往住嘉文さんが、「今回のコロナ対策は、特措法を改正しなくても、新型感染症として対応できたのではないか。政府は、本当は非常事態宣言を出したかったのではないか」という疑問を出した。

これに対し、岩本教授は、「その見方はあり得る」としながらも、「私は逆に、政府が前のめりで対応して、法的根拠がないという批判を受け、後づけで法改正をしたのでは」という「後知恵」説を披露した。

エビデンスをめぐる問題と医療現場の実態

ここで市民グループ代表のNさんが、人口約530万人の北海道で感染者がまだ50人未満の段階でも独自の緊急事態宣言が出されたことに疑問を感じ、道に問い合わせた時のことを話した。「道の担当者は、短期間で感染者が10人ほど増えたためと説明したので、では20歳未満の感染者が3人しかいないのに、全道休校までする必要があるのかと重ねて尋ねたら、『未知のウイルスだから』と言うのみで、はっきりとしたエビデンスは示されませんでした」と疑問の声をあげた。

この日は北海道医療大学で臨床看護学講座を担当する塚本容子教授も参加していた。政治や経済など、一方向に流れがちな議論を、わかる範囲の事実で裏打ちし、現実に連れ戻す貴重な役割を果たしてくださった。塚本さんが言う。

「確かに、十分な説明がなされているとは言えません。緊急事態宣言が出された当時、若い人には無症状の人が多いと言われた。でも無症状でも感染した若年者が高齢者にうつすと、80歳代以上では致死率20%、基礎疾患が三つあると半数程度が亡くなると言われました。アイスランドのデータでは、陽性患者の半数に症状がなかった。つまり知らず知らずのうちに感染させてしまう。スペイン風邪もそうだが、感染を阻止するには、社会的隔離しかないという現実がある。通常のインフルエンザは簡単には肺炎を起こさないが、新型コロナは肺で繁殖し、劇症化しがちです。経済的補償も大事だが、非常事態宣言は致し方ないと思う」

ここで塚本さんは、北海道の医療現場の実態を報告した。北海道では、鈴木直道知事が2月28日、いち早く独自の緊急事態宣言を出して外出自粛を求め、一時は感染が沈静化して3月19日に宣言を終了した。しかし、札幌を中心に、この会議が開かれたころには再び感染が急上昇していた。病院や介護施設などのクラスターで集団感染が起き、経路をたどれない市中感染も増えていた。塚本さんは言う。

「北海道では、コロナ以外の患者さんの受け入れ先を探さないと、現場が回らなくなっている。ある介護施設では、重症者の入院先が見つからず、介護崩壊に直面している。命の線引きが始まっている。医療従事者も疲弊しています。ガウンやマスクは中国からの寄付でまかなっているのが現実で、使い回しをしながら、皆さん、恐怖を感じながら働いている。軽症者が療養するホテルでも、診る人が足りない。消毒薬が足りず、ホテルのボディソープで手を洗っているのが現状です」

ここでNさんが塚本さんに質問をした。

「厚生労働省の資料を読むと、今回の新型コロナは指定感染症なので、うち1~3類に当たるとされています。医療機関の負担を考えると、5類にした方がいいのではありませんか」

これには補足が必要だろう。政府は1月28日、新型コロナウイルスを感染症法の「指定感染症」にすると閣議決定した。感染症法は危険度に応じて1~5類に分け、その対応を定めている。今回は1~3類に相当するとしたため、患者は知事の入院勧告に従わない場合は強制入院の対象となる。医療費は公費で負担し、診察した医師には届け出の責任が生じる。かつて1類にはエボラ出血熱、2類には重症急性呼吸器症候群(SARS)などが指定された。今回は、国民の健康に大きな影響を与える恐れがあるとして、1~3類相当とした。

Nさんの疑問は、軽症者の多い新型コロナの患者を1~3類相当としたため、「強制入院」の縛りが、医療現場に過剰な負担を強いているのでは、という意味だ。むしろ、通常のインフルエンザのように、5類に指定して、柔軟な対応を取るようにしたほうがいいのでは、と尋ねた。これは私も日ごろ抱いていた疑問だった。塚本さんの答えはこうだ。

「80%が軽症というが、フリーアナウンサーの赤江珠緒さんのように、軽症で自宅療養をしていて2週目に肺炎で入院(のち退院)した例もある。軽症者が重篤化し、自宅療養中に亡くなるケースが報告されています。1~3類か5類かといった問題ではなく、わかっていないことが多い。アメリカでは1週目で軽症だった人が2週目にICUに入る例もあった。最初に軽症だから大丈夫ということにはなりません」

そのうえで塚本さんは、医療現場だけでなく、集団感染が広がる介護施設の負担が限界に達しており、そのテコ入れも急務と話した。

これからの北海道の産業、文化・教育

新型コロナの実態が多少見えてきたところで、司会の吉岡さんが、北海道二十一世紀総合研究所の木本晃さんに、地元経済への影響はどうか、と話を振った。2年前に退官するまで道庁で観光行政を担ってきたプロだ。木本さんは「経済の見通しは立たない。できることからやっていくしかない」と前置きをしたうえで、資料を示しながら、こう話した。

「昨年道が発表した観光客入込客数でいうと、観光に訪れた5520万人のうち、外国人は312万人。うちアジア系が86%を占め、新型コロナでインバウンドが途絶えると打撃になるのは間違いない。ただ、客全体の83%は道民なので、これまでは国内分が減った分をインバウンドで補ってきたと言っていい。これからは、インバウンド頼みから、道民、国民に軸足を移すことが必要だ」

そう述べた上で木本さんは、第一次産業の比重が高い道の場合は、今後、物流をどう確保するかが鍵になると注意を喚起した。不幸中の幸いで、今のところ、電気ガス水道に加え、物流のライフラインも滞ってはいない。しかし、千歳からのアジア向け航空機便がほとんど欠航し、オホーツク産の帆立貝が値崩れするなど、すでに影響は出始めている。木本さんが言うように、インバウンドの減少だけでなく、輸出入の目詰まりも注視する必要があるだろう。

ここで司会の吉岡さんは、農業や漁業の一大産地・十勝を地盤とする元衆議院議員の石川知裕さんに話を振った。「十勝の感染者は3人だが影響は大きい」と切り出した石川さんは、こう話す。

「非常事態宣言が出されて以降、経済が冷え込んでいる。地域間の移動を避けるのは仕方がないが、域内ではもう少し、経済活動を活発化させてもいいのではないだろうか。感染者が少ないのに休校し、公園も有刺鉄線を張って使用を禁じている。うちにも2人の子がいるが、スーパーもダメ、小さな公園に行ってもダメ、となると皆さん不満を感じている。振興局ごとに、もう少し対応が違ってもいいのではないか」

ここで司会の吉岡さんは、かねて石川さんが提唱してきた「9月新学期」について尋ねた。石川さんは、コロナ禍を機会に、「9月入学」というグローバルスタンダードに切り替えるべきだと主張してきた。

「かつて東大が9月入学を提唱したこともあったが、企業や予算の会計年度が4月で始まるため、見送られてきた。しかし、もともと2月の試験はインフルエンザや悪天候のリスクがある。今では大学院は海外からの留学生で成り立っており、9月の方が入学しやすい。今年だけというのではなく、社会全体で9月入学を検討してもいいのではないか」

教育に話が及んだところで司会の吉岡さんは、北海道演劇財団専務理事の斎藤歩さんに話を振った。自ら「札幌座」を率いる作・演出家・俳優であり、テレビや映画でも活躍している。財団では、役者を全道の学校や施設に派遣し、コミュニケーションのワークショップを開くことに力を注いできた。演劇人は、ふだんアルバイトをしながら生計を立て、舞台に打ち込んでいる。せめてワークショップの「講師料」を収入の足しにしてもらう一方、子供たちにも演劇を身近に感じてもらい、ファンの裾野を広げていきたい、という狙いだ。今、演劇人はつらい立場に追い込まれている。

「ぼくらは、ともかく人が集まらないと何もできない。でも今は、人を集めることがためらわれる。2月末に公演が中止になり、できれば春に、と思っていたが、まだ難しい。学校や地域のワークショップに派遣する役者が10人ほどいるが、休校でそれもできない。ぼくより10歳若い連中がもつかどうか気がかりだ。ネットを使って彼らに対価を支払えないか、知恵を絞っていきたいと思う」

ここで、先ほど「観光の軸足を国内・道内に」と言った木本さんが提案した。

「演劇も、軸足を道内やご近所に移してはどうか。北海道の人は、まだまだ道の観光を楽しんでいない。北海道文化の魅力も、道産子が外に向けて説明できるほどには知っていない。地元の人がもっと足元の文化や観光に親しむいいチャンスかもしれない」

情報とメディアのありかた

そうした話題の後、5年前まで3期札幌市長を務めた弁護士の上田文雄さんが登場した。

「札幌の医療態勢は十分揃っていて、在任中は、医療崩壊の危機に直面するようなことはなかった。行政の在り方で最も大切なのは、具体的なエビデンスを示し、いかに市民に情報を提供し、共有するかだろう。政府は専門家集団の意見を聞くというが、それ以外の専門家の批判を聞いていない。きちんと批判し合い、ブレーキをかけながら意見を闘わせることができていない」

ここで元北海道新聞記者の高田正基さんが発言した。

「今の社会の空気は不穏で、『100%我慢を』という雰囲気が漂っている。専修大教授の山田健太教授が、『命も自由も守ろう』と呼びかけたが、その通りだと思う。今は政権の悪口を言ったり、批判することをためらう空気があり、野党も有権者の支持を失うことを恐れ、補正予算でも安易に賛成に回っている。相互監視、同調圧力が強まり、批判を封じるような空気だ。かつて『決められない政治』が批判されたが、今は何でも勝手に決めることが当然視されている」

ここで元毎日新聞の山田寿彦さんが上田さんに質問した。

「札幌雪まつり直前の今年1月30日、WHO(世界保健機関)が緊急宣言を出した。例年より少なかったとはいえ2百万人の人出があった。上田さんが市長だったら、雪まつりをやっていたろうか」

これには上田さんも、たじたじの返事だった。

「ずっと続けてきて、風物詩になっている催しを、直前になって中止するという判断はものすごく難しい」

塚本さんが医療の立場から意見を述べた。

「あの時点で中止という判断は難しいと思う。会場が屋外だったし、どう感染するか、ウイルスの特性もまだよくつかめていなかった」

山田さんは、上田さんが指摘した「専門家集団」についても言及した。

「メディアをウォッチしているつもりだが、かなりいい加減な専門家もいる。政府の専門家会議も国立感染症研究所が中心で、臨床の専門家がいない。臨床現場を知らない人たちが司令塔になっているのではないか」

ここで司会の吉岡さんから指名され、私が発言した。

「この間の動きで、後から検証しなくてはならない点が三つあると思う。第一は1月31日に政府が湖北省滞在者に限って入国を拒否したこと。2月2日に米国が『過去2週間に中国に滞在した人』を対象にしたことに比べ、明らかに狭かった。これは、習近平国家主席を国賓に迎えるという政治日程に左右されたのでは、という見方もできる。第二は東京五輪延期の日程が決まるまで、感染の重大さが表面化しなかったのはなぜか、ということ。そしてそれにも関連するが、第三の論点は、PCR検査を絞り込んできたことだ。当初は症状のある人だけを検査してクラスターを追跡し、医療現場を守るという建前だったが、市中感染が広がって経路をたどれなくなった時点で、戦略転換すべきではなかったのか、という問題だ。専門家についていうと、上田さんがおっしゃるように、専門家同士が議論する場がない。テレビも、コメンテーターが特定の専門家の話を聞くという一方向で、しかも登場する専門家ごとに言っていることが異なり、市民はどれが本当なのか戸惑うばかりだ。こうした時こそ、メディアは議論の場を提供し、民主主義が機能するように目を光らせるべきではないだろうか」

往住さんはメディアの問題について、さらにこう続けた。

「NHKは指定公共機関になって専門家会議にも深く入り込んでいるが、従軍記者のように内部と一体化し、政権批判をしなくなる懸念もある。安倍政権はそれ以前から、報道を批判し、メディアに自制を求める傾向があった。今回、30万円給付がなくなり、国民に一律10万円給付の政策に方針転換したのも、国民の不満があったからだ。新聞やテレビは、SNSに象徴される国民の声と連携しないと、やっていけないということだろう」

今の言論状況について、弁護士の今野さんがこう話した。

「議論の場がなく、情報が一方通行になっている。非常時には配慮して、国家や行政に批判の目を向けないという空気だ。内閣が法律を超えたことをしても、検証がなされない。根拠は、議論をするからこそ、できるものだ。数字の出し方ひとつとっても、意見を闘わせ、科学的知見を踏まえる必要がある。急がねばならない部分はありつつ、丁寧に議論することが大事だろう」

人間らしく生きること

議論を引き取る形で岩本さんがこう発言した。

「一番重要なのは、日本国憲法第13条の『すべて国民は、個人として尊重される』という原則だろう。専門家会議は『新しい生活様式』を打ち出したが、それが人間を孤立化させ、管理することにつながるのなら、日本国憲法に対する挑戦になる。どんな時でも、人間らしく生きることを大切にしたい」

塚本さんがこれに賛同した。

「コロナ対策は国によって違う。ある意味で自由を規制し、感染リスクをアプリで追跡する台湾や韓国もあれば、集団免疫を目指すスウェーデンのような国もある。ウイルス抑制のためなら何をしてもいいというのは、おかしい。岩本先生に同感です」

会議は予定を超えて2時間に及んだ。ここで概略をご報告したように、話題はあちこちに飛び、散漫と思う方もおられるだろう。

ただ私にとって、初めてのテレビ会議は新鮮だった。それは、自分が抱いている疑いが、ほかの人も同様だったことに気づいたり、自分が気づかなかった問題を、改めて突きつけられたりすることへの発見だ。

そんなことは、日常の中にいくらでもある。そう思う方もいらっしゃるだろう。

そう。コロナ禍の今、それはない。私たちが知らずに失ってしまっていること、話すこと、語らうことの大切さを、私は痛感した。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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