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NSCから相方・川島明は「すごかった」、自分は「才能なかった」…それでも田村裕がお笑いを続ける理由は

読売新聞 / 2024年6月14日 10時0分

 家族との別れ、極貧生活――。 波乱万丈 はらんばんじょうの中高生時代を過ごしたお笑いコンビ「 麒麟 きりん」の田村裕さん(44)。高校卒業を前に、ひそかに憧れていた「お笑い」の道に一歩を踏み出す。(読売中高生新聞編集室 浜田喜将)

授業料が上がるから

 「中学生くらいから、お笑いって楽しそうやなと思ってたんです。好きな芸人が出演していたテレビ番組を録画して、よく見てましたね。それから、僕より2年くらい前に、お兄ちゃんが吉本総合芸能学院(NSC)に入ったのも大きかった。『ほんまにお笑いの学校に入れんねや』って。それで、僕もNSCに行こうと決意しました。

 当時は春と秋に年2回の募集があったんですけど、次の年から授業料が上がると聞いてました。だから、秋のうちから入ってしまおうということで、お兄ちゃんとお姉ちゃんにお金を借りて高3の秋にNSCに入りました」

駆け込むように入学したNSCで、才能にあふれる相方と出会う。

 「実は相方の川島(明さん)もこの秋入学で一緒に入ってきたんですよ。僕は授業料値上げが理由だったけど、川島の場合はシャイすぎて、誰にも芸人になりたいって言えず、高校を卒業してから半年間アルバイトした末に入ってくるという…。でも、当時から彼の才能はすごかったですね。1人でネタを披露しているのを見て、僕から『コンビ組んだってもええで』って、謎の上から目線で声をかけました。彼には断るコミュニケーション能力がなかったので、半ば強引にコンビを結成して、そこからの付き合いですね」

高校卒業後は、お笑い芸人として着実に人気者への階段を上っていく。

 「若手の頃は、もちろん稼ぎが少ないとかの苦労はありましたが、僕はそれまでの苦労のほうがでかかったんで、 でもなかったですね(笑)。徐々にコンビの仕事も増えていくなかで、注目を集めたのは圧倒的に相方のほうでした。出ていた劇場に届く芸人へのファンレター全てが川島宛てというときもあったほどです。

 それが、2007年に発売した『ホームレス中学生』がヒットした 途端 とたん、僕のほうが一気に忙しくなって。あの頃は完全に調子乗ってたなぁ(笑)。先輩芸人からも助言されてました。『このブームは絶対反動があるから覚悟しときや』って。そしたらその通り、みるみる仕事が減っていって。決定打はコロナ。コロナ禍の時期は仕事がほぼゼロになって、家でご飯ばっかり作ってましたね(笑)」

43歳で母は亡くなったけれど

仕事がなくなった田村さんを救ったのは、中高生時代に打ち込んだバスケットボールだった。

 「小学校5年生からバスケを始めて、中高とずっと続けました。強豪校ではなかったんですが、とにかく楽しかった。大人になってからもバスケ好きは変わらず、仕事がない日は、プロとかの試合をしょっちゅう見に行ってました。子どもがまだ小さかったので、奥さんからしたら僕が好きなことばかりしているように見えたでしょうけど、それでも『行ってらっしゃい』って送り出してくれました。そんなふうに、いろんな所でバスケ好きをアピールしてたら、バスケ関連の仕事がちょっとずつ入るようになって。

 昨年の芸能人のテレビ出演本数ランキングでは、川島が586本で1位やったんですが、僕はたったの11本。しかも、全部バスケ関連。バスケやっててほんま良かったなぁと改めて思います(笑)。今では縁あって小学生対象のバスケスクールも運営しています。

 お母さんが43歳で亡くなっていて、僕も昨年、その年齢をこえました。そのときから、『俺はまだ奥さんや子どもと一緒に過ごせるんや。ラッキー!!』と思って生きてます。残念なことにお笑いの才能がなかったから、僕の言葉が届く範囲は限られていますが、これからも一人でも多くの人を笑顔にできたらいいですね」

(おわり。次回は全盲のスイマー、木村敬一さん)

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