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「人は機械と恋に落ちることはできない」…サブスクからAIまでヨーヨー・マが伝える音楽のススメ

読売新聞 / 2024年6月23日 7時4分

インタビューに答えるヨーヨー・マさん

 音楽の聴き方として主流になりつつある定額制音楽配信サービス(サブスク)の波は、ついにクラシックにまで押し寄せた。米アップルが、日本語版の提供を開始したサブスク「Apple Music Classical」(AMC)は、初心者からコアなファンまで満足させるため設計されたアプリだ。そのアドバイザーを務めたのは、世界的チェリストのヨーヨー・マさん。リアルなライブから時空を容易に飛び越えるサブスクまで、音楽をどう楽しむか。巨匠の深い思索はAI(人工知能)にまで及んだ。(文化部 金巻有美)

数十のスターリン批判に1分でアクセス、サブスクが届ける“希望”

――AMC開発ではどのような要望をしたのですか?

ヨーヨー・マ(以下「マ」) 「もっとクラシック音楽を検索する簡単な方法があればいい」とアドバイスしました。ポピュラーは楽曲名やバンド名などで検索すればいいのですが、クラシックは楽章など色々な構成の作品があり、あまりにもデータポイントが多いからです。AMCはそれらを満たし、自分の見つけたい音楽をすぐに発見できるようになっています。「いつでも簡単にアクセス」ですね。

 例えば先日、私はショスタコービッチのチェロ協奏曲第2番を録音していました。これは、冷戦下で書かれたとても特別な曲で、権力と真剣に向き合おうとした試みでもあります。検閲があったのに、聴いた人はみな理解できる暗号化されたメッセージが秘められているのです。私がこの曲を演奏するのは、スターリンが言ったとされる「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計でしかない」という言葉に あらがうかのような音楽だからです。ショスタコービッチは「100万人の死は単なる統計ではなく、一人ひとりの死は重んじられるべきだ」と言うために作曲したのだと思います。音楽は声なき人たちの声を代弁するものなのです。

 この協奏曲が書かれた1966年当時、私は11歳で、人々が「二度とあのようなことを繰り返してはいけない」と言っていたのを聞いて育ちましたが、今や人々はそのことを忘れつつあると感じていました。しかし、AMCでこの協奏曲を検索すると、ほとんど私より若い人たちによる数十の録音があり、「人々は忘れていないのだ」と大きな希望をもらいました。このアプリで見つけられる全ての音楽作品は、誰かが時間をかけて何かを考え、表現した結果です。本来ならば数週間かけて数十もの録音があることを探し、「ワオ!」と言うのでしょうが、今や1分でアクセスできるようになったのです。

――クラシックを身近に楽しむこともできそうですね。

 人間は賢いもので、数十通りも聴くことができるならば、比較を通じて真実により近づくことができます。「これをやれ」と親に何回言われても納得できない子どもでも、同じことを友だちから聞いたら、ようやくその意味に気付くことができるでしょう?

旅立つ友がくれたハンカチは思い出そのものではない

――モノとして手に取れるCDはいかがですか?

 どこか遠くへ旅立つ友人が「自分を忘れないでほしい」と何かをくれたとします。それはCDや本、ハンカチかもしれません。そのハンカチを見れば、友人を思い出すことができますが、思い出そのものではありません。CDとストリーミングは、あくまで供給手段。どちらで聴いたとしても、そのとき自分の心の中に思い浮かぶものこそ、音楽の実体なのです。

――形にこだわらないということですね。

 つまり、情報を何通りかの方法で受け取るということです。手書きもあれば、Eメールもある。私は陶器や酒など日本の「ものづくり」は素晴らしいと思っています。機械で作れば完璧な形になるでしょうが、貴重なものではなくなります。私たちはどちらかを選ぶことができますし、時には両方が必要です。人によっては、AIは音楽を作ることができ、それは人間が書いた音楽と同じものだと言うかもしれません。しかし私は、人は人を愛するものだと思います。機械と恋に落ちることはできません。機械とも愛し合うことができるという人もいるかもしれませんが、疑問に思います。

芸術と科学、生と死…すべてを持ち合わせたバッハ

――大自然の中でバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」を演奏する映像を公開されました。バッハはご自身にとってどんな存在ですか?

 私は4歳からバッハの演奏を始めました。子どもの頃はスポンジのように吸収し、20代になると、バッハの音楽には特別な力があると信じるようになりました。病んでいる人や人生の厳しい時期を迎えている人などを助ける力、癒やしがある、と。また、バッハは非常に客観的であると同時に、共感的で主観的でもあると感じるようになりました。友人としてもそういう人が信頼できます。「全くあなたの言う通りだ。ほかの人たちは全部ダメだ」などと言うのではなく、「こういう考えもあるのではないか」と言ってくれる人が望ましい。つまり、客観性と主観性の両方がバランスよく存在しなければならないのです。

 バッハは科学者であり、芸術家でもあったと思います。偉大な即興音楽家でもあり、ジャズトランペット奏者、ウィントン・マルサリスは「バッハは最初のジャズミュージシャンだった」と語っていました。科学者であり芸術家であり作曲家であり、人間に対する共感も持っていた人、それがバッハなのです。

――だから、バッハとともに人生を歩んでいるのですね。

 彼は親友の一人みたいなものです。私はバッハの同じ曲を、友人の結婚式でも葬式でも演奏しています。そこに彼の音楽の幅の広さや奥行きが感じられるのではないでしょうか。バッハの音楽は生でもあり、死でもある。死は生の一部でもあるのですから。

ライブで互いを感じ、サブスクでタイムトラベル

――今後、ストリーミングとCD、生の演奏はどんなふうになっていくと思いますか。

 私にとっては、ライブでの演奏が最も大切です。例えば今こうして、私たちは一緒の部屋にいて、お互いの存在を感じることができます。表情を見たり、反応や温度を感じたりもできます。お互いに非常に多くの情報を集めることができるのです。ライブと同じように、今ここにいる人たちが同じ部屋で同じように集うことは二度とないでしょう。それを知っていてどうするのか。いつもと同じようにインタビューを受けるのか、それとも、今は貴重な瞬間であって二度と起こらないことなのだと感じながら今ここにいるようにするのか。

 一方、CDやストリーミングなどの録音された音楽は非常に限られた情報ですが、機器を持ってさえいれば世界のどこにいても受信し、再生することができます。非常に遠い距離を一瞬で移動できるのは、ストリーミングの利点です。しかも遠く離れた誰かとつながることができ、生演奏も瞬時に受信できます。AMCではライブを聴いたり、90年前に録音されたものにアクセスしたり、ある人が12歳のときに演奏したものにアクセスして今の演奏と比較したりすることもできる。タイムトラベルができるのです。それはライブではできません。

 とはいえ、音源へのリンクURLを送るのと、CDにサインをしてプレゼントするのとでは、喜びが違いますよね。

――それぞれの良さがあるということですね。

 その通りです。

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