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東京ドーム沸かせた外野手トリオ、松井秀喜・高橋由伸・清水隆行…「いい時代にジャイアンツで野球ができた」

読売新聞 / 2024年6月22日 10時0分

 読売巨人軍で一時代を築いた外野手トリオ、清水隆行(50)、松井秀喜(50)、高橋由伸(49)の3氏が、当時の思いや長嶋茂雄終身名誉監督への敬意などを語り合った。巨人在籍時の打率で上位10傑に入る3人が、同時期に活躍した希少な時代を振り返る。(敬称略)

98年高橋由伸入団…「これは間違いなく本物だ」

清水「3人一緒に会うのは、自分がOB戦で肉離れして以来だね」

由伸「2018年2月、宮崎でのホークス戦ですね」

松井「そうそう、清水さん、フライを捕るときに『やっちゃった、やっちゃった』って。まだ試合の序盤だったのに。あはははは」

清水「ジャンプした時に太もも裏が『ばちっ』と」

松井「だめだよ、ジャンプなんかしたら(笑)」

<レフト清水、センター松井、ライト高橋の布陣は1998年から始まった。前年の外野陣は、松井のほか、打率3割に達した清水、22本塁打の広沢克実という豪華な布陣だったが、98年、六大学野球で通算最多本塁打記録を更新した高橋が入団した>

清水「すげえ選手が入ってきたと思った。技術もそうだし、雰囲気が違う。最初に松井を見た時も思ったけど」

松井「清水さんが言ったように、同じ選手で感じるものがある。『本物かどうか、あやしいな』『これは評判倒れ』『完全にニセモノだな』、いろいろ感じるけど、『これは間違いなく本物だ』と。本物と分かると、清水さんが割食っちゃう。みんな(ポジション争いで)レフトに行っちゃうから(笑)」

清水「しょうがないよ。本当にすごいこの2人だから。もう受け入れていたよ」

由伸「僕自身は『これは違う世界に入ってしまった』と思いましたよ。熱を出して春のキャンプは二軍スタートだったんですが、二軍でも飛ばす人は飛ばす。その後、一軍に行ったら、もっと飛ばす。松井さんもそうだし、清原(和博)さん、広沢さんもいて、フリー打撃では当時のひむか(現ひなたひむかスタジアム)で、打球がぼこぼこ場外に出ていく。ある程度ヒットを打たないと自分は試合に出られないだろうなと思いました。守備はそれなりにできると思っていたけど、外野手は守るだけでは出られないから」

 <4番松井、7番高橋で開幕し、2戦目から2番清水が定着。松井は開幕戦の第4打席から32打席連続無安打と大きくつまずいた>

松井「ちょうどね、横浜スタジアムで打率が0割4分5厘になったの。横浜の市外局番は045でしょ。『あれ、市外局番と一緒になった』と言ったのを覚えているよ(笑)。キャンプで左膝をけがしていたんだよね」

清水「(1割8分6厘など)身長を下回ってもまずい、という時に市外局番だからね。それでも、松井は同じリズムでずっと過ごしていた。同じような姿勢で練習に取り組み、ゲームに入って、試合が終わると、ロッカーでゆっくりスパイクを磨き、スイングをして帰っていく。内心は分からないけど、ルーチンは全然、崩れていなかったね」

松井「打てないことはよくあるから。開幕直後だと、若干は焦るけどね(笑)」

由伸「そうだったんだ。1年目は自分のことで精いっぱいで記憶にないなあ」

松井「4番でスタートしたけど、打てなくて膝も悪くて、途中で4番はキヨさん(清原)に代わったんだ。5月ぐらいからだんだん調子が良くなったけど」

<結局、松井は自身初の打撃タイトルとなる本塁打、打点の2冠に輝き、高橋はセ・リーグで長嶋茂雄以来の新人打率3割をマーク。攻撃型2番に定着した清水も2年連続の3割を記録し、98年は外野手黄金時代の幕開けとなった>

松井秀喜に追いつくには…「何かを変えなくちゃ」

松井「数字としては決して良くなかった。34本塁打、100打点でしょう。自分としてはねえ……」

清水「その後も松井は(不振に)はまっている感じがない。四球も一つ二つ選ぶしね」

由伸「そう、ずっと同じ感じなの。打ったとか、打たないとかじゃない。実際の数字は分からないけど、ずっとそういうイメージで見ていた」

松井「3人タイプはそれぞれ違ったけど、由伸は(逆方向となる)レフトへすごくうまく打つ。我々はそうでもなかったね」

由伸「僕だって入団した時は引っ張りのバッターでしたからね。でも、松井さんと違ってボールの見極めが良くなくて、何でも振っていくタイプだから、それを直したくてだんだん広角(打法)になっていった。大学時代と同じじゃだめだなと。打撃フォームも変わりましたよ。この世界で生きるため、自分のレベルを上げるためです。松井さんに数字的に追いつこうと思ったら、何かを変えなくちゃならなかったので」

清水「僕はね、1番の仁志(敏久)さんが出塁すると大ピンチ。この2人がいるのに、なんでチャンスをつくらないんだと風当たりが強くなる。(バントも含めて)大学時代にやってこなかった練習をすごくやった。こんなに長く現役をやれると思っていなかったのに、すごい2人がいたからこそできたんだと思う」

<松井は2000年から移籍する02年まで、4番を誰にも譲らなかった。それまでは1996年に退団した落合博満や、97年に入団した清原が務めるケースも多かった>

「4番はスーパーマンじゃなきゃ」…2000年以降譲らず

松井「4番は自分の中でのイメージは落合さん。落合さんは『4番はいろんな意味でスーパーマンじゃなきゃだめだ』とよく言っていた。何でもできなくちゃだめだ、ということなんでしょう。自分もそういう存在にならなくちゃいけない、という気持ちだった。落合さんがもし引退したら自分がと思っていたし、キヨさんが入ってきたので、また奪うというか、4番に置いてもらえるようにならなくちゃいけないと思っていた」

由伸「僕らの時代、4番が代わるというのは一大事みたいな雰囲気がありましたよ」

松井「キヨさんもけがをしたりで4番がころころ代わる時期もあった。4番がどうこう言われるチームにならないよう、自分が打たなくちゃいけない、2000年からそういう気持ちだった。4番は誰なのかと、もうそんな話にならないでしょ。この人(由伸)は奪うとか、そういう性格じゃないからね(笑)」

由伸「いやあ、僕は別に。実は小さい頃から4番はあまり経験がない。3番が多いんですよ。プロでもチームが苦しいとき、打順を入れ替える際の4番とかね、ピンチのときの様子見の4番かな。(松井が抜けた03年は4番で開幕したが)松井ショックを消したかったんでしょうね(笑)」

清水「4番はやはり、松井のイメージしかないなあ。年間通して絶対にいる存在。プレーボールがかかれば、必ず最後までいた」

松井「由伸は自分の前で打っていたイメージが強い。目の前でガンガン打つから刺激になった。あと、打順で並ぶと左のワンポイントが来るでしょ。由伸が先に打席へ行くとそれを観察できたね」

<松井が在籍した02年まで、5年間で2度の日本一を成し遂げた>

清水隆行「レフトを守るためどうするか、それがエネルギーに」

松井「投手には上原(浩治)がいたり、同年代でいい選手がそろっていた。ジャイアンツはフリーエージェント(FA)のイメージが強いかもしれないけど、逆指名はあったにしても僕たちはドラフトで入った選手が基本だった」

清水「仁志さんも、二岡(智宏)もいて、(阿部)慎之助も入ってきてね」

由伸「チームだけど、一人ひとりが個として成り立つ選手が多かった。僕はいい時代にジャイアンツで野球をしたなと思います」

清水「僕が入団した頃、松井がすごく素振りをしているのを見て、自分も振るようになった。プロ野球選手はこんなに素振りするんだって。当時、若い選手はみんなやっていたよね」

松井「試合前と試合後、確かにそうですね」

清水「最後の一つ(レフト)を守るためにどうするか、それが自分のエネルギーになった。同じ時代にやれたのは本当に良かったと思っている」

松井「今の時代はレベルアップの仕方はいろいろあるので、自分自身をちゃんと観察・評価して、正しいと思う道を正しく進む。それをやり続けてほしいね」

清水「僕の時代より、投手の球速は10キロぐらい速くなっているし、球種も多い。大変だろうけど、結局は自分で日々考えながらやっていくしかないよ」

由伸「誰かが守ってくれるわけじゃない。自分で壁を越えていかなくちゃいけない世界だからね」

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