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松井秀喜と長嶋茂雄監督の4番1000日計画…東京ドームで自宅でホテルで「素振りの日々」

読売新聞 / 2024年6月23日 10時0分

松井は長嶋監督のマンツーマン指導で大砲へと開花していった(2000年10月、ジャイアンツ球場で)

 2001年まで指揮を執った長嶋茂雄監督。「球界の4番に育てる」という長嶋監督が掲げた4番1000日計画の下、松井秀喜はマンツーマン指導を受けて大砲に開花。高橋由伸も大きく影響を受け、全力プレーを毎日観客に見せるという野球哲学を培った。

「本当にきつい」素振り50本…一本一本が真剣

 1993年の松井入団から、素振りによる英才教育は連日続いた。本拠地・東京ドームはもちろん、遠征先のホテルや長嶋監督の自宅、都内のホテルで素振りをしてから神宮球場に向かったこともある。

 東京ドームでナイトゲームがある場合、2人は午後3時半頃からミーティングルームにこもった。外角や内角など、監督が手にしたバットで示すコースめがけて振り、当たる瞬間に監督がバットを引っ込める。素振りは、短くて高い空気を切る音が出ると合格だ。

 「よしっ」。音と全体のシルエットが良いスイングを何本か続けると、監督が合図をして終わりとなる。10〜15分、50本超の素振りは「一本一本、真剣に振るから本当にきつかった」。その後、グラウンドに出てフリー打撃を行うのが日課だった。

 監督がバットを引っ込めるのが遅れ、スイングした自分のバットと衝突したことがあった。「うおー、ゴメン、ゴメン」。長嶋監督が謝るほほ笑ましい光景もあったが、いつも張り詰めた空気が漂っていた。一度、知らずにドアを開けてしまった清水は、あまりの緊張感に驚き、慌てて閉めたことを覚えている。

 「巨人の主力選手は絶対に休んじゃだめだ。お客さんはお前を見に来ている」「自分自身と向き合ってやるのが素振りだ。自分で考えながら毎日やれ」――。松井はその教えを実践。日米通算で1768試合に連続出場し、自宅など1人でも素振りによる調整を怠らなかった。

 本塁打は日米通算507本。長嶋の444本を上回っている。「ドラフトでくじを引いてもらった時から、いろいろと導いてくださった。いろんな意味での『師』。ホームランの数字が超えただけで、長嶋茂雄を超えたとか、全くないですよ」。松井は永遠の師弟関係をそう語る。

高橋由伸「自分の全力を見せなくては」…ミスターの教え実践

 1998年元日掲載の読売新聞で対談した際、長嶋監督が「高橋の柔、松井の剛」と表現したように、高橋は1年目から大きな期待を寄せられていた。松井のように連日ではなかったが、不振に陥ると、遠征先で同じような素振りによる特訓を受けた。

 監督がバットで示したコースめがけて振る。「だめだ」「今のはいい」――。やはり音とシルエットで判断。マメができて手が痛くなるほどの気の入れようだった。

 打撃だけではない。「球場に来た人に、毎日いいプレーを見せるというのはプロ野球選手のあるべき姿。監督は現役の頃から意識されていただろうし、そうしなくてはいけないと監督から教わった」

 守備で1アウトをもぎ取るため、フェンスを気にせず、けがを恐れず、果敢に打球へ飛び込んでいったのも、自身の野球哲学を体現し続けたからだ。その代償によるけがで、5年目の2002年以降、出場試合数は少しずつ減っていく。ダイビングキャッチによる負傷から復帰後、再びダイビングキャッチを試みたシーズンもあった。

 「離脱することも多かったけど、自分の全力を見せなくては、という思いは常にあった。3年目と4年目は頑張ってフルで出たんですよ」。00年と01年は全試合フルイニング出場。ファンの前に立ち続けたことを少し誇らしげに振り返る。

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