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能登にも迫る酷暑「今は仮設に入るのが生きる希望」…建設待ち、避難なお2300人

読売新聞 / 2024年7月1日 5時0分

[能登地震6か月]<1>

 元日の激震から1日で半年。能登半島地震の被災地は、復興を信じ、一歩ずつ進んできた。しかし、今も2000人超が避難を余儀なくされ、先を見通せない日が続く。人口が流出し、雇用、医療、教育にもひずみが出る中、街の未来をどう描くか――。奥能登から報告する。

 体育館に雨の音が響く。6月30日朝、石川県輪島市立大屋小学校。「一人でいるといろいろ考えちゃう。みんないるから大丈夫だと思える」。福光昌江さん(70)は表情を緩めた。

 同校の避難所には、50〜80歳代の男女約20人が身を寄せる。福光さんが過ごすのは、段ボールと布で仕切られた、体育館の2畳ほどの空間。昼食や夕食の仕出し弁当に、ちょっと辛めだからと自分で買ったカット野菜を混ぜて食べる。

 気温30度を超える日もあり、暑さが体にこたえる。最近、エアコンが設置されたが、「私、暑がりやから。熱中症が心配」。真夏を前に不安は尽きない。

 同校近くの自宅で、夫の達矢さん(当時75歳)と居間にいた時、激しい揺れに見舞われ、屋根の下敷きになった。約7時間後に救出され、全身に打撲を負った。46年連れ添った夫は、帰らぬ人となった。

 地震翌日から、近所の叔父宅や妹宅で2週間ほど過ごし、金沢市内の次男(43)宅に移った。病院の検査で乳がんが見つかり、3月に手術、入院した。

 頭に浮かぶのは、生まれ育った輪島のことばかり。「このままやったらダメや」と5月下旬に帰郷し、避難所に入った。でも、ふと達矢さんを思い、涙が出る。

 長年、輪島塗の営業・販売に携わり、家では穏やかな人だった。仮設住宅に入って生活が落ち着いたら、お寺に預けた遺骨をお墓に納めたいと願うが、その一歩が遠い。「今日明日のことしか分からんけど、今は仮設に入るのが生きる希望」

 石川県内では、約2300人が避難生活を続けている。完成した仮設住宅は6月27日時点で、計画(6810戸)の約7割の4943戸。半年時点で計画の9割超が完成し、避難者も200人以下だった2016年の熊本地震に比べ、復旧・復興の歩みは遅い。

 県担当者は「建物や水道、道路の復旧工事もあり、作業員が不足している」と話す。県は8月中の仮設住宅の建設完了を目指すが、9月にずれ込む恐れもある。

 酷暑の中で避難生活が続けば、災害関連死のリスクも増す。県内の自治体が認定した災害関連死は計52人。読売新聞の調べでは、自治体への申請数は、認定分も含め、少なくとも221人と増え続けている。

 輪島市内で避難所の運営に参加するピースボート災害支援センターの上島安裕・事務局長は「住み慣れた土地に残りたい被災者には、避難所しか身を寄せる場所がない。避難者の健康悪化を防ぐためにも、国や県は仮設住宅建設や住まいの再建にマンパワーを集中させるべきだ」と訴える。

 奥能登の復旧・復興には、今後も困難が待ち受ける。輪島市で全・半壊した建物の公費解体が完了したのは166棟(28日時点)。申請は約6300棟に上り、さらに増えるとみられる。友延和義・市環境対策課長は「冬は雪が降って解体作業が困難になる」と作業の遅れを危惧する。

 大規模火災で260棟以上が焼失した輪島・朝市通り周辺の公費解体は、6月5日から本格化した。福光さんにとって、家族でよく買い物をした思い出の場所は、少しずつ更地が広がり始めている。「解体が早く進み、街並みが戻り、輪島塗の復活にもつながれば。お父さんもそう願っていると思う」。何年かかるかわからない。でも辛抱強く見守る覚悟だ。

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