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仮設住宅で焼く、亡き父が喜んでくれたチーズケーキ…輪島を離れた姉と週1で電話

読売新聞 / 2024年7月2日 5時0分

[歩む 1・1能登地震]第2部<2>

 6月中旬の日曜、石川県輪島市の仮設住宅でチーズケーキ作りが始まった。背中を丸めて調理する姿は、亡き父にどこか似ている。

 学校図書室で借りたレシピ本をのぞき込みながら、中学3年の日吉 陽雅 ようが君(15)が砂糖の量を量り、鍋に卵黄や牛乳を加えていく。「グツグツしたら、火を止めて」「すぐに混ぜる。早く」。矢継ぎ早に指示すると、手伝う母のウィルマさん(38)は「はい、ごめんなさい」と笑いながら手を動かした。

 自宅の倒壊で亡くなった父の浩幸さん(当時63歳)は料理が得意で、朝5時に起きて家族に朝食を作ってくれた。陽雅君も見よう見まねで、小学6年の頃から台所に立つようになった。

 今は母が仕事で遅くなった夜、パスタや唐揚げを自分で作る。チーズケーキは初挑戦した2年前、浩幸さんも「おいしい」と喜んでくれた思い出の一品だ。

 焼き時間が短かったせいか、この日のケーキは少ししぼんだが、甘さひかえめでおいしかった。遊びに来ていた同級生の海津 颯星 はやせ君(15)はしょっちゅう一緒にいるが、「普段の姿からは想像できない」と菓子を作る手つきに驚いた。

 母子2人が避難所から仮設住宅に移って1か月半。フィリピン出身で日本語が苦手なウィルマさんを気遣う父はもういない。陽雅君が、行政からのお知らせを読み、書類を代筆する。母は息子のことを信頼しきった表情でうん、うんとうなずく。

 陽雅君は週に1度、姉の彩さん(16)と電話する。

 「おれ、体重減ってちょっと痩せた」

 「すごいやん」

 彩さんはいつも聞き役に回る。姉に気を許し、学校の出来事や母の様子を一生懸命伝えてくる弟を「かわいい」と思う。父の話だけは2人ともほとんどしない。

 2学年上の彩さんは、スポーツ奨学生として入学した日本航空石川高校に自宅から通っていたが、地震の影響で学校が移転。家族のもとを離れて東京の寮に入り、バレーボールざんまいの日々を送っている。

 彩さんにとって、浩幸さんは友達みたいな存在だった。彼氏ができたとき、真っ先に教えたら「おー」と驚きつつ応援してくれた。

 元日は家族全員で昼ご飯を食べた後、彩さんだけが商業施設へ出かけていた。冷たくなった父と翌朝、病院で対面した。今も思い出すと涙があふれる。

 浩幸さんの誕生日だった6月24日も、陽雅君の声が聞きたくなった。電話すると、相変わらずの弟でほっとした。ビデオ通話の画面の向こうには、いとこの結婚式で一張羅を着た父の写真が置かれている。花束とともに、たこ焼きやミートソースパスタも添えてあった。どれも父の好物だ。

 「ママの料理を見たら、久しぶりに食べたくなったよ」。余計に寂しくなる気がして、その一言はのみこんで電話を切った。

 2人と話すとき、彩さんは輪島を近くに感じる。8月には帰省する予定だから、それまでは電話で我慢しようと、自分に言い聞かせる。

 中学校では進路の希望調査が始まる頃で、陽雅君は「お金がかからないから」と公立の輪島高校を志望する。高校卒業後は地元で働くつもりだ。奥能登には大学がなく、進学すれば母を残して行くことになる。

 ウィルマさんが「ママは大丈夫。金沢の大学に行っていいよ」と話すと、陽雅君は「遠いから無理」とむきになって言い返した。

(平松千里)

これまでの経緯

 陽雅君が浩幸さんと居間のこたつに入っていた時に地震が起きた。落ちてきた天井を父の体が支えたことで、押しつぶされずに済んだ。彩さんは東京で寮生活となり、栄松さんは別の場所で避難生活を送る。陽雅君はフィリピン出身の母ウィルマさんを支えながら、輪島市で暮らす。

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