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佐賀西は初の甲子園開催の第10回大会出場、校名変わっても伝統の「EIJO」の文字胸に…[甲子園100年 変わらぬ情熱 夏の高校野球]<中>

読売新聞 / 2024年7月3日 5時0分

大会に向けて練習する佐賀西の選手。練習で使われる帽子にも「EIJO」の文字が刻まれている

 全国高校野球選手権大会の地方大会が各地で始まった。甲子園が誕生した1924年の第10回大会に出場し、100年前から変わらぬ情熱で大舞台を目指し続けているチームの今を、3回にわたって伝える。

 初めて甲子園で開催された1924年の第10回大会に、前身の旧制佐賀中は九州勢唯一の代表として出場した。この100年の間、「佐賀西」と名を変えても野球部で大切に受け継がれてきたものがある。ユニホームの胸に記された「EIJO」の文字。伝統の象徴として、今も部の結束を支えている。

 学校が「栄えの城」とも呼ばれた佐賀城(佐賀市)の跡地に建設されたことから、「 栄城 えいじょう」の呼称で親しまれてきた。野球部の創部は02年で、「EIJO」が生まれたのが21年。佐賀中の主将で、後に明治神宮外苑長を務めて野球殿堂入りした伊丹安広氏(故人)の発案で、強かった慶大にあやかろうと「KEIO」の字体を参考にしたという。

 それ以降、夏の選手権に7度出場したが、最後に甲子園の土を踏んだのは58年。今は選手が約20人と少なく、高校から野球を始めた選手もいる。県内屈指の進学校だけに、限られた練習時間で堅実な守りのチーム作りに励み、66年ぶりの甲子園を目指している。

 胸で存在感を放つデザインは、卒業生にとっても特別だ。約500人の部のOBが年会費を納め、部の活動を支援。個人的に寄付を行い、2年前に打撃練習用のケージを購入してもらったこともある。OB会である栄城野球倶楽部の馬場浩輔会長(65)は「濃紺の文字を身に付けて一生懸命にプレーをする選手たちを見ると、誇らしく思う」と語る。

 日本高校野球連盟が2000年からユニホームに表記できるものを校名や校章、地名に限定した時も、卒業生で当時の県高野連理事長だった田中公士さん(83)が「『EIJO』は学校名に等しい」と訴え、例外的に認められて今に至っている。

 主将の辻康成(3年)は「全力プレーが卒業生らの期待に応え、伝統をつなぐことになる。甲子園は憧れの場所。行ってみたい」と意気込む。聖地で再び輝くことが「EIJO」に関わる全ての人の願いだ。(古島弘章)

ユニークなユニ 各地に

 特徴的なユニホームは、全国の高校でも見られる。市岡(大阪)は3本線の入った帽子、旭丘(愛知)は胸に描かれた2匹のシャチホコのマークが伝統になっている。両校は1924年の第10回大会にも出場していた。

 昨夏の甲子園に初出場した浜松開誠館(静岡)は、米大リーグのダイヤモンドバックスを参考にしたチャコールグレーの上下を着用している。

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