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「キャリアの敗北」を重ねて、木村敬一がたどり着いた場所…パリは「自分がどこまでやれるか追及したい」

読売新聞 / 2024年7月5日 10時0分

木村敬一選手

 東京パラリンピックで 悲願 ひがんの金メダルを獲得した 全盲 ぜんもうのスイマー、木村敬一さん(33)。長い競技生活で大切にしてきたことや、今夏に迫ったパリ大会への意気込みを聞いた。(読売中高生新聞編集室 高田結奈)

進学先は日大へ

 「高校1年の後半から上半身を集中的に きたえ、平泳ぎでストロークのテンポを上げる泳ぎ方に変えました。フォームを 改善 かいぜんしたことで一気に記録が伸び、高2になると100mの自己ベストが10秒くらい縮まりました。これまでのパラリンピック出場選手の記録と比べて、『これなら出られるかもしれない』と手応えを感じ始めたのもこの頃です。そして、初めてパラの舞台に立てたのは、高3の夏。北京大会でした。観客の多さや遠征期間の長さなど、これまでの国際大会とは全然違って、レース中の記憶もあまりないまま、気がついたら終わっていました。

 卒業後の進学先は日本大学に決まり、初めて一般の学校に通うことになりました。特別支援学校という“守られた世界”から飛び出していくのは、やっぱり不安で怖かったです。ただでさえ大学は自由ですから、自分から積極的に友だちを作っていかないとしんどくなると思いました。でも、講義や水泳サークルを通じて、交友関係は広がっていきました」

転機となったのはリオ大会での 挫折 ざせつ 。環境を変えようと、アメリカに渡ることを決意する。

 「銀と銅メダルを取ったロンドン大会後の4年間は、やれることは全てやったつもりです。競技を続ける以上は、ステップアップするべきですから、次のリオ大会では当然、金メダルを目指しました。でも、メダルの数が増えただけで、結局は銀止まり。スポーツでは必ず勝者と敗者が生まれますが、僕は常に敗者の側で、金メダルを取れない人間なんじゃないかと落ち込みました。

 どうすればいいかわからないし、かといって競技を引退する気にもなれません。それなら、いっそ環境を変えようと、アメリカ行きを決意しました。異国でのトレーニングは、練習メニューひとつを聞き取るのにも必死でしたし、日本にいるときとは気合や集中力が全く違って、充実した約2年間を過ごしました」

自分と憧れの存在は違う

競技者として大切にしてきたのは、「目標とする人物を持つこと」。そして、「自分を見失わないこと」。

 「水泳を始めた頃にオーストラリアのイアン・ソープ選手に あこがれたように、僕には常に目標とする人がいました。何事も 漠然 ばくぜんと努力するのは難しいから、『この人みたいになりたい』という具体的な指標があるといいと思います。僕が特に影響を受けたのは、パラリンピックに6度出場した河合純一さん。同じ全盲の競泳選手で、高校の先輩。さらに寺西真人先生から指導を受けた、圧倒的に分かりやすいロールモデルでした。

 一方で、自分を見失わないことも大事だと思います。一時期は河合さんを追いかけることに必死で、早稲田大学を目指したけど受からない、パラで金メダルも取れない…。そうやって“キャリアの敗北”を繰り返す中で、自分と河合さんは違う人間なんだという当たり前のことに気づかされました。刺激を受けたり、参考にしたりはしても、 根底 こんていにある自分の軸は大切にしたいですね」

悲願の金メダル獲得。その先に見据えるパリ大会で目指すものとは。

 「コロナ に揺れた東京大会で、ようやく金メダルを取ることができ、本当にうれしかったです。そして、その後も競技を続けることを決めたのですが、その大きな理由は、自分の泳ぎにまだ改善点があると思ったから。パワーに頼って技術が低いので、フォームを見直せば、もっと記録は伸びると信じています。出るからには金メダルへのこだわりもありますが、同時に自分がどこまでやれるのかを追求したい。課題を 克服 こくふくしたとき、どういう泳ぎが完成するのか。パリは、それを確かめに行く大会にしたいと思います」

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