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938人が立候補した村長選挙、旧中田村で何があったのか…選挙活動せず投票ボイコット「ほとんどが稲刈りしていた」

読売新聞 / 2024年7月4日 8時5分

 7日投開票される東京都知事選は、過去最多の56人が立候補したことでも注目されている。首長選の歴史をひもとくと、福島県内では立候補者が938人に上った選挙があった。1959年に行われた旧中田村(現福島県郡山市)の村長選だ。村で何があったのか。(堀和彦)

 現在の郡山市東部に位置する中田村は、1956年に宮城村と御舘村が合併して誕生した。村長選での候補乱立は、曲折のあったこの合併話が発端だった。

 「郡山市史」(第6巻現代)などによると、合併前の宮城村の一部住民は分村した上で御舘村、郡山市とそれぞれ合併することを希望した。しかし県は当初から分村合併を認めない方針だったため、宮城村の「郡山合併派」は反発を強めていった。「役場は宮城村に建設する」などとする協定条項をまとめ、全村合併にこぎ着けた。

 ところが、合併後も混乱は続いた。役場が宮城地区の予定地に建設されないことになったためだ。全村合併に反対していた宮城地区の一部住民らの反発は激化し、納税拒否まで起こったとされる。さらに反対派が目を付けたのが、現職の辞職に伴う59年の村長選だった。

 供託金制度がなかった村長選の盲点をつき、宮城地区の25歳以上の住民が集団で立候補し、候補は938人に。協定を 反故 ほごにされたことへの抗議の意味合いが強かったとみられ、家族ぐるみで立候補したケースもあったという。

 「役場はてんやわんやだった。職員総動員で夜を徹して準備した」。当時、村役場職員だった男性(86)は、混乱する役場の様子をそう振り返る。

 候補者に支給する腕章など選挙の「七つ道具」は用意が間に合わず、本来の布製ではなく、特例的に紙に印刷して対応した。投票所に掲示する候補者の氏名に間違いがないよう、担当職員が細心の注意を払って作業にあたったという。

 こうして異例の選挙戦が始まったが、候補者の多くは選挙活動はせず、投票もボイコットした。当時の地元紙「郡山経済新聞」は、宮城地区について「一割にも満たない低調な投票ぶりで、候補者のほとんどが稲刈りをしていた」と報じている。

 開票では、集団立候補とは別の新人で御舘村出身の宗像亀佐氏が2400票余りを得て初当選した。宗像村政のもと、対立は融和へと向かい、村は65年に反対派住民が望んだ郡山市との合併を果たした。

 公職選挙法の改正で町村長選挙にも供託金制度が導入されたのは、村長選の3年後の62年だった。立候補者数が過去最多となった都知事選の報道に接した男性は、「都知事選とは違い、中田村の選挙は合併という対立軸がはっきりしていた」と思い返した。

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