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「アングラ演劇の旗手」唐十郎さん、テント舞台に紡いだ現実と幻想…上野の地下とつながった記憶

読売新聞 / 2024年7月6日 16時17分

 紅テントで時代を挑発する作品の上演を続けた劇作家・演出家・役者の唐十郎さんが、5月4日に84歳で死去した。40年間追い続けた記者が見た「アングラ演劇の旗手」の素顔とは?そして作品の真髄とは?

 この春の花園神社(東京都新宿区)は、いつにもましてざわついていた。発生源は あかテント。唐さん率いる状況劇場が1967年に初めてこの境内に建てた可動式の劇場で、状況解散後は89年旗揚げの劇団唐組が引き継いだ。唐組の春公演「泥人魚」の東京初日は5月5日。その前夜に唐さんは旅立ち、翌日からテントは唐さんを惜しむ観客であふれた。

 記者が見た6日夜も、めいっぱい拡張したテント内の、ござ敷きの桟敷はぎゅうぎゅう詰め。舞台奥の装置が崩れ、ヒロインやすみ(大鶴美仁音さん)に、主人公の螢一(福本雄樹さん)が駆け寄りブリキで作った うろこをささげる最後の場面では、拍手が まない。役者紹介のあと、演出、役者を兼ねる久保井研さん(62)が「座長はテントのどこかで見ていると思う」とあいさつ。やがて あかりが落ちたテントの中に、唐さんが歌う「腰巻お仙・振袖火事の巻」(69年)の劇中歌「さすらいの唄」が流れた。

 ♪ある夕方のこと 風が おいらに伝えたさ この町の果てで…

 「唐!」の掛け声に 嗚咽 おえつが交じる。「テントそのものが街の中の、象徴的な役者」。そう話した唐さんと、もう会えないのか。こみ上げるものを抑えられなかった。

 初めて見た紅テントは84年、花園神社で状況劇場が再演した「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」だった。野田秀樹さんの夢の遊眠社、鴻上尚史さんの第三舞台など新進劇団がひしめく80年代小劇場ブームのさなかにあって、紅テントの舞台は超然として異質だった。激しさとはかなさ、 猥雑 わいざつさと妖しさ、懐かしさとユーモア。翌年春に同じ花園神社で、「兄貴」と慕った寺山修司(83年死去)にささげた「ジャガーの 」を、秋には石橋蓮司さんと緑魔子さんの劇団第七病棟のために書いた「ビニールの城」を浅草常盤座で見た。この2作で唐さんの劇世界に完全に打ちのめされた。

 10年ほど前、女優、演出家の木野花さん(76)へのインタビューでは、状況劇場「少女仮面」公演を渋谷の駐車場に建てたテントで見た時の話になった。「大久保鷹が甘粕大尉の役で、テント奥の幕がバンと落ち、夜の駐車場の闇の向こうから『おーい』と叫びながら自転車でテントの中に入ってくる。わたしは一瞬、闇の向こうに満州の平野が広がっている、そんな幻想を見ました」

 唐さんの舞台の魅力の一つは、現実と幻想、ここと、思いも及ばぬどこかがつながってしまうことにある。本紙「私のいる風景」のインタビューでは、自身の原風景を「都市の穴」をキーワードに語った。そろばん塾に通う息子を迎えに自転車で川沿いの道を走る時、川に注ぐ排水口の穴が気になる。「ゴミになった自分が、あの穴からあふれ出してきたら、なんて考えてしまう」

 穴は生まれ育った下谷万年町(現在の東京都台東区)に近い、上野の地下の記憶とつながっていた。戦後、戦地や疎開先から戻った人たちでごったがえし、もうもうと湯気が立ち込めていた地下。「穴」のような、どこかへつながる回路はないかと、いつも唐さんは目をこらしていた。

劇団 無名の若者らと成長

 2008年に本紙に連載した新聞小説「朝顔男」の取材旅行で長崎県に同行した時のことは忘れられない。浅草や新宿 界隈 かいわいをうろつく主人公を東京から離れた場所へ連れ出したいと考えた唐さんは「軍艦島へ行きましょう」と言った。坑道を下って採掘跡なども見学できると知り、船で渡った池島炭鉱では「黒手帳」なるものに強い関心を示した。閉山時に配られた、手当などを受け取るのに必要な就労証明の手帳で、表紙の色からこう呼ばれた。旅程を早めて帰京すると唐さんが言い出したのは、つかまえた「黒手帳」のイメージと、そこから広がる世界へ少しでも早く筆を進めたかったからではなかったか。小説の後半では「黒手帳」の一章が書かれ、09年には新作舞台「黒手帳に頬紅を」を創っている。

 「ジャガーの眼」で移植される角膜、「ビニールの城」で男と女を隔てる透明なビニール、「泥人魚」では諫早湾周辺の地元の人が「やすみ」と呼んでいた魚……。大多数が気にもとめず通り過ぎる小さな断片から、意想外の世界へ飛躍する。一点突破の幻視力が、唐さんの劇世界を支えていた。

 89年の唐組旗揚げからは、親子ほども年齢の離れた若者たちと「ゼロからのスタート」で芝居を創り始めた唐さん。スターがいた状況劇場と違い、無名の若者たちとの苦戦が続いた。90年代前半、目黒不動尊境内で見たテント公演など、客席が閑散としていた。そこから役者たちを育て、一方では横浜国立大学教授として学生からも刺激を受けて、劇団を軌道に乗せてゆく。2000年代は、唐組の黄金期だったと言っていい。

 残念でならないのは12年春、「 海星 ひとで」公演中の唐さんが自宅前で転倒し、頭部の大けがから劇作も演出も役者もできなくなったことだ。劇団は久保井さんの演出で唐作品を上演し続け、久保井さんと親子ほども年齢の離れた世代が成長し始めている。

 けがのあとの12年間、初日や楽日など、テント後方の花道脇で観劇する唐さんが、涙を流しているのを時々見かけた。力強い握手を返してもらった日もある。心に残るのは21年12月29日、東京・渋谷のシアターコクーンで金守珍さん(69)が演出した「泥人魚」の千秋楽。唐さんも来場し、カーテンコールでは金さんが、感極まってか「唐十郎、万歳」を三唱した。その帰り道、劇場裏でタクシーを待つ唐さんと奥さんに遭遇した。空気の澄んだ夕方、暮れ行く年末の冷気の中で、車に乗り込む唐さんを見送った。唐さんに会えたし、今日は来たかいがあったと晴れ晴れした気分になった。唐さんに会った記憶は、あの日が最後だ。(東京本社文化部 山内則史)

亡くなられた方々

 ▽作家 斎藤栄さん(6月15日、老衰で死去、91歳)

 ▽現代美術家 三島喜美代さん(6月19日死去、91歳)

 ▽作家 梁石日さん(6月29日、老衰で死去、87歳)

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