1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

視覚障害の女性がパリへ、「12年越しの夢」五輪とパラのボランティアに…「障害理由に諦めない」

読売新聞 / 2024年7月7日 18時16分

 いずれ目が見えなくなるかもしれない――。視覚障害を持つ女性が7日、福岡空港からフランスに向けて出国した。目前に迫ったパリオリンピック、パラリンピックの大会ボランティアに採用された。視野が少しずつ狭くなる難病だが、今はまだわずかに見える。ボランティアに参加したくて仕事も辞めた。「12年越しの夢」をかなえるために。(デジタル編集部 池田亮)

障害者と見られたくなかった

 松木沙智子さん(44)(福岡市西区)は、生まれつきの網膜色素変性症。視野が少しずつ狭くなる進行性の難病で、「視野の中心部が少しだけ見える」状態だ。日が暮れて薄暗くなるとほとんど見えない。将来、失明するかもしれない、と覚悟もしている。

 今は 白杖 はくじょうを手に外出するのが日常だ。だが最初は抵抗があった。

 「見られるのが恥ずかしくて。障害者と思われたくなかった」

 考え方が変わったのは、30歳を過ぎた頃だった。東京駅の薄暗い構内で、ベビーカーに衝突。押していた母親にどなられた。「他人に迷惑はかけられないな」

 同じ頃。スポーツにあまり興味はなかったが、2012年ロンドンパラリンピックをたまたまテレビで見た。柔道や競泳で、自分より見えていないはずの視覚障害者が躍動していた。心が奪われた。

 「同じような境遇の人が世の中にたくさんいることを初めて知ったし、選手から勇気をもらった。ようやく自分の障害を受け入れられるようになった」

東京パラリンピック目前、まさかの事態に涙

 ロンドンパラリンピックから1年後の2013年9月、東京オリンピック、パラリンピックの開催が決まった。自分の意思とは裏腹に、視野はどんどん狭くなる。見えているうちにパラリンピックに関わってみたい。新しい夢ができた。食に興味があり、食堂に関する仕事で関わりたいと、調理師免許も取得した。

 念願かなって五輪の選手村食堂に採用された。ただ、東京オリンピックがフィナーレを迎える3日前、悲劇に見舞われた。

 選手村での業務を終え、帰宅する途中で忘れ物に気づいた。普段は走らないのに、バスの時間が気になり、暗闇のなかで慌ててしまった。通路を踏み外し、斜面を1メートルほど転落。右足首を骨折した。車いすでも、松葉づえをついてでも、パラリンピックの選手村食堂で働きたいと訴えた。しかし、認めてもらえなかった。実現間近だった夢が、目前でかなわなかった。涙があふれ出た。

 「パラリンピックを楽しみに、8年もかけて準備してきたのに。もう悔しくて悔しくて」

パリで再挑戦、一方で葛藤も

 無念の「骨折リタイア」から3年。パリパラリンピックで絶対に再挑戦すると心に決め、昨年に福岡で開催された世界水泳など、国際大会でボランティアの経験を積んだ。一方で葛藤もあった。

 「自分の意思でボランティアに行くのに、誰かのサポートをあてにしていいのかな」

 いくらボランティア経験があっても、視覚障害があれば慣れない土地での移動は難しい。さらに言葉の壁も。活動するためには誰かのサポートが必要だった。

 支援を買って出たのが日本財団ボランティアセンターだった。移動支援のために、短期間ながらもスタッフをパリに派遣することになった。同センターの倉田伸也さん(44)は「サポートし合えば、海外でもボランティアを十分楽しめる。長年の思いを実現してきてほしい」と全力で後押しする。同居する全盲の村松 芳容 よしひろさん(33)も「困難は必ずある。どう乗り越えるか考えることを楽しんでほしい」。周囲の言葉を力に、ボランティアの募集受け付け最終日に思い切って応募し、採用された。

 7日、福岡空港の国際線ロビーには、友人らも見送りに駆けつけた。

 「障害があると、迷惑になるからと家にこもりがちの人もいるかもしれない。でも、私は夢に向けて一歩を踏み出す。障害を理由に諦めたくないし、誰でも挑戦できる。私がパラアスリートから勇気をもらったように、誰かに力を与えるような挑戦にしたい」。不安は尽きないがまずやってみよう。力強く一歩を踏み出した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください