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角幡唯介さん 植えつけられた「極地観」

読売新聞 / 2024年7月12日 15時15分

 北極に近いグリーンランドで狩りをしながら 犬橇 いぬぞりで漂泊を続ける探検家、角幡唯介さん(48)が先月、約2か月間の旅から帰国しました。生きる意味を自問し続ける角幡さんは旅を終え、「生きるってただひたすら疲れること」と達観したようです。それでも旅を続けるのはなぜか。まずは早稲田大探検部時代の話から。

『世界最悪の旅』アプスレイ・チェリー=ガラード著/加納一郎訳(河出書房新社) 2178円

死と隣り合わせの旅

 グリーンランド最北端の集落シオラパルクを起点に北上し、結氷した海峡を越えてカナダ最北部のエルズミア島へ渡った。13匹の犬に橇を引かせて旅した今回の単独行は、総移動距離が約1300キロに及んだ。帰国後、鎌倉に構える自宅近くの中華料理店でラーメンを すすった。

 「向こうでは(狩りで得た海獣などの)肉ばかり食ってるんで。中華系が食べたくなって、ラーメンを」。 裸足 はだしで出迎えてくれた野性味 あふれる探検家は日に焼けた顔で笑う。

 テントに襲来する白熊や、犬橇の背後から忍び寄る おおかみの群れ……。日本での穏やかな暮らしとは異なり、北極圏の旅は常に死と隣り合わせだ。「落ち着いて家族と暮らしたい」と思いつつも、毎年、極地に いざなわれる。早稲田大の探検部時代に出合った一冊の本が「人生の中で決定的な転機」になったという。

勧誘ビラに「洗脳」され

 探検部に入ったのは、大学2年時、構内で見かけた勧誘ビラがきっかけだった。世界地図に「メコン川全流降下」「コンゴ・ドラゴン・プロジェクト」といった魅力的な言葉が書き込まれていて、「見ているうちに洗脳された」。

 入部後は、未踏の地への憧れを抱きながら、ミャンマーや南米などを旅した。「誰も行ってない地理的な空白」を探し求めていた大学3年目の1997年、世間を騒がせた事件が起きる。アマゾン川上流で、同学年の部員2人がペルー軍兵士らに殺害された。

 実はこの探検に誘われていたが断っていたという。「自分で旅の計画を発案し、実行したかった。もし行ってたら、死んでたかもしれなかった」

 事件後、橋本竜太郎首相(当時)が「十分事前に準備が出来ていたのか、冒険好きな僕からしても疑問」と発言し、探検部OBらが「兵士による組織ぐるみの犯行で、事前準備という次元を越えたもの」と反発。「周辺が騒がしかった」が、大学4年時には、部の仲間と、未踏の地が残るチベットのヤル・ツアンポー峡谷を視察した。北京から成都への電車内で、座り心地の悪い座席に腰掛けながら読んだのが『世界最悪の旅』だった。

 同書は、20世紀初頭に南極点を目指した英国のスコット隊を描いた 凄絶 せいぜつなノンフィクションだ。極点踏破を争ったノルウェーのアムンセン隊に遅れること1か月余りで到着するも、ほぼ全員が死亡した悲劇が記録されている。

 「死がすぐそこにあるような世界で、隊員の死が淡々と書かれていた。ここまではできないと思ったけど、極地観みたいなのを植えつけられて心から取り除けなくなった」

 著者のガラードはスコット隊の数少ない生存者で、動物学者の助手として同行していた。旅は、皇帝ペンギンの生態解明のために営巣地の卵を採取する使命も帯びていた。「当時は、社会的な意義がないと探検が許されない時代だったから、大義名分をこしらえていく。でも、彼らも本当は、ただ極地を旅したかっただけじゃないかな」

僕は「スコット的人間」

 アムンセン隊はよそ見せず、真っすぐ南極点へ向かい、一人も失うことなく帰還した。一方のスコット隊は、冒険心が豊かで、地質学調査にも重きを置き、戦力を多岐に散らしながら目的地を目指した。「シンパシーじゃないけど、僕はスコット的な人間。犬橇だって、昔のイヌイットの旅を自分もやりたいと思ってるわけで、そういう意味ではロマン主義的な面が強い」

 結局、卒業には6年かかった。その後は、バイトで食いつなぎながら、国内外の山を登った。時代は21世紀に入り、環境破壊に対する反省から、ダム建設などへの批判が活気づいていた。「大好きな自然が公共事業によって壊されている」。フリーター生活に区切りをつけ、社会への疑問を抱えて新聞社に入社した。27歳だった。(真崎隆文)

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