1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

史上最年少金メダリストは誰か…1900年パリ五輪に出場した「体重33キロ」の少年説

読売新聞 / 2024年7月26日 18時27分

[パリ五輪こぼれ話]…1900年のパリオリンピック<5>

 オリンピック史上最年少の金メダリストは誰か――。一般には、1936年ベルリン大会の女子3メートル飛板飛び込みを制したマージョリー・ゲストリング(アメリカ)の13歳と268日とされるが、はっきりしない面もある。端を発するのが、花の都で初めて行われた1900年パリオリンピックだ。

 8月26日、パリ近郊のセーヌ川で行われた男子ボートの 舵手 (だしゅ)つきペア決勝は、接戦となった。僅差で優勝したのが、オランダのフランソワ・ブラントとルロフ・クラインのペア。7分34秒2の優勝タイムは、2位のフランスチームとわずか0・2秒差だった。

 「舵手つき」という種目名の通り、各艇にはかじ取り役の舵手(コックス)が乗り込んでいた。オランダ艇でコックスを務めたのは幼い少年。レース後、ブラント、クラインと並んで撮影したとされる写真に、その姿が残されている。

 五輪史の研究者らによる調査によれば、少年がレースに出場した経緯はこうだ。

 オランダチームには元々、ヘルマヌス・ブロックマンという経験豊富なコックスがいた。チームは入念な準備を重ね、優勝も視野にいれていたが、予選では思いがけず、フランスチームに大きく水をあけられた。タイム差は8秒6。他チームの選手の顔ぶれを見て、敗因に思い至った。複数のフランスチームがいずれも子供のコックスを乗せていたのに対し、オランダのコックス、ブロックマンは大人だったからだ。クルーの体重差がレースで不利に働いたと考えた。

 そこで探し出したのが、かの少年だった。パリで見つけたその少年の体重は33キロ。「体重は25キロまで」としていたフランスチームからは見切りをつけられていたが、60キロのブロックマンよりは軽い。実際にブラント、クラインとともにボートに乗り込んでみると、あまりの軽さにコックス側が浮き、かじが水上に出てしまうハプニングもあったが、5キロの鉛の重りをかじに取り付けて艇のバランスを取った。予選より22キロも身軽になった2人は先行逃げ切りのレースを展開し、0・2秒差でフランスチームを振り切った。

 レース後、3人で写真を撮影したのち、少年はパリの町に姿を消した。身元や年齢は今もはっきりしない。五輪史研究者でつくる国際学会の元会長、ビル・マロン氏(アメリカ)らが7~10歳と推測した一方、オランダ人の研究家、アントニ・ベイカーク氏は12~14歳と主張した。「少年は当時、家族でパリに滞在していたジョージア人のギオルギ・ニコラゼ」との説を2016年に公表して注目されたジョージア人研究者、パータ・ナツリシビリ氏によれば、12歳と29日だ。

 いずれの主張にも確たる証拠はないが、13歳と268日で優勝した飛び込み女子のゲストリングよりも若かった可能性がある。国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック研究センターの調査調整官アクセル・テストゥス氏は「この少年がおそらく、史上最年少金メダリストだろう」との見方を示しつつも、「歴史家たちの調査は必ずしもうまくいったわけではなく、謎も残っている」と断定は避ける。124年の時が流れても、真相はやぶの中だ。(デジタル編集部 深井千弘)

 パリで初めてオリンピックが行われたのは、1900年。同じ年に開かれたパリ万博に付随した運動・スポーツ国際大会として開催された。大会期間は5か月余りに及び、選手は国・地域の代表ではなく個人の資格で参加するなど、大会運営方式は現在と大きく異なっていた。1924年にも行われ、フランスの首都では3度目となる今夏のオリンピックを機に、近代オリンピック草創期に開かれた大会のエピソードを紹介する。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください