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1900年パリオリンピック、体操はてんやわんやだった…珍種目「複合高跳び」に大苦戦

読売新聞 / 2024年7月22日 14時18分

1900年パリオリンピックの体操で優勝したギュスターブ・サンドラス(C)1900/International Olympic Committee (IOC)

[パリ五輪こぼれ話]…1900年のオリンピック<2>

 1900年の夏、花の都は暑かった。酷暑と言ってもよかったらしい。パリは19世紀を締めくくる万国博覧会の真っ最中。万博の付属イベントとして開かれていたパリオリンピックも、対応を迫られた。パリ南東部、「ヴァンセンヌの森」にある屋外自転車競技場が会場となっていた体操競技では、大型テントを設置した。4年前のアテネオリンピックでもそうだったように、当時の体操は屋外開催だ。「日射病を懸念し、種目と種目の合間に選手が風通しの良い日陰で休めるよう、組織委員会が設置を決めた」。腐心の様子は、体操競技の組織委会長ラショー博士がまとめた報告書に詳しい。

 「選手第一」の備えは、大会運営に思いがけないメリットをもたらした。朝から雲行きが怪しかった競技初日の7月29日、演技が始まると、激しい風雨が競技場を襲った。万博会場や近くの体育館への退避も検討されたが、鉄棒や平行棒など膨大な数の器具を収容できる場所はすぐに見つからない。審判員は大型テント下に器具を運び込み、観客も逃げ込む。つり輪や鉄棒など一部は雨ざらしになったものの、風雨が収まった瞬間を見計らって演技するなどして競技を進行。天候が回復した午後は着実に種目を消化し、初日を終えて「残すところ3、4種目となった」。

 計16種目からなる競技構成は、現在のオリンピックと異なる。体操ではおなじみの平行棒、あん馬などに加え、「複合高跳び」「棒高跳び」「綱登り」「石持ち上げ」といった種目も含まれていた。綱登りでは長さ6メートルの綱を腕力で上り下りし、石持ち上げでは重さ50キロの石を両手で10回持ち上げた。各種目20点満点で採点される中、「他種目よりも得点はかなり低く、成功した選手はほとんどいなかった」と記録されているのが「複合高跳び」だ。助走をつけて踏み切り板から1メートル先にある高さ1メートル25のロープを開脚で越え、さらに2メートル先にある高さ1メートルのロープを閉脚で飛び越えるという連続ジャンプ。種目別の表彰はなく、「個人総合」の形式により、最高で320満点となる合計点で争われた。

 2日間の競技を終えて優勝したのは、302点を獲得したフランスのギュスターブ・サンドラス。2位は295点のノエル・バ、3位は293点のリュシアン・デマネと、いずれもフランス勢が続いた。優勝者に授与されたのは、ギリシャ神話に登場する俊足の女狩人アタランテのブロンズ像。ただ、「1位と2位の差はそれほど大きくない」との考えから、2位にも同じ銅像が用意された。

 出場全135選手中、フランス人が108人を占めた。他国からの参加が低調に終わった点は否めないが、開催国の強さが際立った。オリンピックの歴史の中で、フランス勢が体操の個人総合を制したのはサンドラスのみ。124年の時を経た今も、その偉業は 燦然 (さんぜん)と輝いている。(デジタル編集部 深井千弘)

 パリで初めてオリンピックが行われたのは、1900年。同じ年に開かれたパリ万博に付随した運動・スポーツ国際大会として開催された。大会期間は5か月余りに及び、選手は国・地域の代表ではなく個人の資格で参加するなど、大会運営方式は現在と大きく異なっていた。1924年にも行われ、フランスの首都では3度目となる今夏のオリンピックを機に、近代オリンピック草創期に開かれた大会のエピソードを紹介する。

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