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宝塚歌劇「トップオブトップ」轟悠さん、次の舞台はアート「縛られることなく自由に」

読売新聞 / 2024年7月12日 16時40分

ナポレオンの炎

 宝塚歌劇団で長く主演を務めて「トップオブトップ」と呼ばれた轟悠さん。2021年に退団した後、3年にわたり沈黙を保っていましたが、7月15日まで東京・日本橋高島屋の美術画廊で個展「轟悠( 藏人 クロード)展―とき放つ トリコロールに愛のすがた―」を開いています。退団後初のインタビューに答えてくれた轟さんは、白いレースのロングスカートが似合う柔らかな雰囲気の女性でした。

ポーリングアートとの出会い

 ――退団後はどう過ごされてきたんですか。

「ポーリングアート」の勉強をしていました。まだ宝塚でいうと下級生の段階で、舞台と同じように意欲的に挑戦して失敗ばかりしています。

 ――ポーリングアートとは、アクリル絵の具をキャンバスにポーリング(流し込み)して偶発的に出来る模様を楽しむアート。始めたきっかけは。

 宝塚歌劇団の作曲家、吉田優子先生がCDを出されるというのでジャケットのデザイン原画を頼まれました。その際、アクリル絵の具を使ってみたんです。今まで幼少時から水彩画、10歳から油絵を習ってきましたが、アクリル絵の具の面白さ、美しさにひかれました。宝塚を受けたときもそうですけど、やっぱり美しさへの憧れがある。ですので、これまで風景画の個展をやらせていただいていたのですが、ガラッと気分を変えて抽象画の個展をやらせていただくことにしました。一つ一つ段階を経てもっと違うことにもチャレンジしていきたいと思っています。

初舞台「愛あれば命は永遠に」からインスピレーション

 ――ポーリングアートの魅力とは。

 混ぜる液剤の種類によって浮かび上がる模様が変わってきますし、まだまだ未知数な部分があるのが面白いです。調合する分量もちょっとしたさじ加減で変化するので、どう出るのかという、制作している最中のワクワク感っていうのがありますね。油彩画と違ってアクリルは乾きがとても早いのでバタバタしています。

 ――「ナポレオンの炎」「愛」はトリコロールカラーがフランスっぽいですね。

 ナポレオンの生涯を描いた初舞台の「愛あれば命は永遠に」からインスピレーションをもらいました。金箔を貼って遊んでみた部分は戴冠式でナポレオンがつけた冠をイメージしています。初舞台の私たちのロケット(ラインダンス)がトリコロールのお衣装でした。

 展覧会の作品は全部で約60点なんですけどすべて初舞台や、「ベルサイユのばら」、「 凱旋門 (がいせんもん)」、ショー作品の「パッサージュ」「ラヴィール」などからインスピレーションをもらっています。まぁ、抽象的なものですので実際に目で見てどういったことを感じてくださるかは自由です。その方の見方で解釈していただけたらうれしいです。

藏人という作家名に込めた思い

 ――藏人という作家名の由来は。

 本名から一つ、それと、「人とのつながり」に感謝を込める思いから「人」を取りました。また、出身地(熊本県人吉市)にちょうど「人」っていう、字があるので。また、フランスが好きというのもあって、クロードという名前は発音は違いますが、女性、男性両方の名前であることからいいのではと思いました。ペンネームみたいなものですね。

 ――轟さんが2021年、「 婆娑羅 ばさら 玄孫 やしゃご」で退団されたのは驚きました。

 タイミング的にコロナと重なってしまって、「うーん」と思ったんですけど、「今しかない」とふと思ったんですね。

 ――大劇場の大階段を降りるのではなく、別箱公演での退団でした。

 退団したときに出した写真集にも書いたのですが、大階段を降りないで辞めたかったんです。それをするために入ったのではないから。目的が違うので。下級生のころは、「集合日に辞めて、『では』ってスーツケース持ってパリに行きたい」って言っていたんだけど、トップになったときにさすがにそれはできないと思いました。舞台で終わらないといけないと思いましたけど、ぱっと辞めたかったんです。

舞台へのオファー「ありがたくお断りしています」

 ――退団後も舞台に立つのかなと思っていました。

 男役だから舞台に立てたんでしょうね。すごく恥ずかしがり屋で。演出家の先生にはよく叱られました。「なんで一歩下がるんだ」って。でも仕方ないですね。性格なので。

 ――「舞台に出てください」というオファーがあるのでは。

 ありがたくお断りしています。

 ――舞台を見に行かれることは?

 ないですね。

 ――やりきったという感じなのでしょうか。

 やりきった感というのは永遠にないですけど、後悔はしていません。山ほど反省はありますから。人生の教訓として色んなことを舞台で学んだので、逆に舞台以外のことを勉強して引き出しを増やしていかないと、と思っています。アートが今、私の大切な舞台ですので。分かる方は私の心を分かってくださると思います。

「キャンバスの上で、歌い踊り、心を込めた作品を」

 ――今後、美術の世界で色々なことをやっていきたいと。具体的なことは。

 今後、油絵も再開したいと思いますし、書籍から学ぶこともたくさんある。現代アート、日本画、色んなものに興味がありますね。表現者として、キャンバスでやっていくにあたり、縛られることなく自由に生き続けていきたいと思っています。

 ――最後にファンの方に向けてメッセージをお願いします。

 轟 (しばらく考えて)宝塚での舞台で「第二章」という作品に出演したことがあって、ファンの方から「私も第二章に入りました」っていう手紙を頂いたのを今、ふと思い出しました。私にとっての第二章は、美術の方で始まりました。今まで舞台の板の上で表現者だった轟悠が、キャンバスの上で、歌い踊り、心を込めた作品を表現していく。キャンバスが私の舞台であり、今後はその舞台を見に来ていただけたらと思います。

とどろき・ゆう 8月11日生まれ、熊本県出身。1985年に宝塚歌劇団に入団。月組を経て雪組生となる。97年に雪組トップスターに就任。2002年に専科へ異動し、21年に星組公演「婆娑羅の玄孫」で退団した。

取材後記

 「失礼します。暑い中ありがとうございます」。取材場所に現れたのは、柔らかな雰囲気の女性。 美貌 びぼうとスラリとしたスタイルは相変わらずですが、顔をひげで覆われたリンカーンやチェ・ゲバラを熱演されていた頃とあまりにも違いすぎて「轟さん…ですよね?」と思わず確認したほど。

 昨年、東京・伊勢丹新宿店で「ごあいさつ展」としてやはりポーリングアートの展示をされました。今回が初の本格的な展示と捉えているそうです。重厚で妥協のない舞台作りに定評がありましたが、その情熱は今、キャンバスの方に向かっています。「こうでもない、ああでもないと制作していたらあっという間に(退団から)3年たっていた」とも。スッキリとした表情に充実の日々がうかがえました。(小間井藍子)

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