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21歳で「ダイエット感覚」と「殻破る」ため始めたブレイキン…41歳福島あゆみ、パリで狙う頂点

読売新聞 / 2024年7月16日 17時4分

最終予選でパリ五輪出場を決めた福島あゆみ選手(6月、ブダペストで)=松本拓也撮影

[花開け Paris2024]<2>

 パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。

 ダンスの途中で頭が真っ白になり、次に何をしていいかわからなくなった。思わず、ステージの真ん中で体育座り。対戦相手は、小学生の女の子だった。

 ブレイキンを始めてからわずか3週間、滋賀県で行われた「デビュー戦」での完敗は、今も鮮明に覚えている。福島あゆみ選手(ダンサー名AYUMI)。21歳の夏だった。

 それから20年がたった。パリ五輪のメダル候補に挙げられる41歳は、年の離れたダンサーたちと第一線でバトルに挑み続ける。「ダンスにゴールはない。だから、ずっと楽しい」

 踊り始めるきっかけは、カナダ留学から一時帰国したことだった。先に始めていた3学年上の姉、梨絵さん(同NARUMI)に誘われた。前までは断っていたが、この時は「やってみよう」と思った。

 現地で自分から話しかけられず、英語が上達しなかった。引っ込み思案の自分を変えたかった。もう一つ理由があった。体重が10キロ近く増えていた。「殻を破りたいのと、ダイエット感覚だった」と笑う。

 帰国していた約3か月の間、姉が練習する地元の京都駅前などで汗を流した。体はきつかった。コツコツとやるうち、できる技が増えるのが喜びだった。

 ダンスに言葉はいらない。性別や年齢、国籍も関係ない。色々な人が集まって踊り、教え合う。カナダに戻ってからも、現地の人とダンスに明け暮れた。3年ほどで帰国すると、姉のチームに入った。

 日本語学校の職員や英語講師を務めながら、技を磨き、活躍の舞台を世界に移していく。米国やオランダ、ベルギー……。コンテストで好成績を収めた。

 2020年12月、五輪競技に採用されることが決まる。文化としての側面の強いブレイキンが、スポーツになることに、ダンサーの間には戸惑いもあった。

 当時、37歳。ブレイキンの第一人者になっていた。若手に交じり、横一線で始まる選考レースに挑むかどうか、心は揺れた。

 代表スタッフに就任することになった梨絵さんに相談すると、こう言われた。「惨めな思いをしたり、プライドをズタズタにされたりすることがあるかもしれない。腹をくくれるの?」

 悩んだ末、「ダンスを見てもらうのは一緒。きっと応援してくれる人は増えるはず」と覚悟を決めた。

 ステージで争う相手には10歳代のダンサーも多い。彼女たちの力技やスピード感には太刀打ちできない。対抗できるのは、独創的なスタイルがあるからだ。

 せっかちな性格で、ダンスの動きもどこかせかせかしている。「掃除しとるみたいや」。仲間からそう言われて着想を得た「雑巾がけ」といった動作から、お掃除スタイルを自称する。こうした独自の動きや経験を生かした豊富な技、滑らかな踊りへの評価は高い。

 選考レース中、体は何度も悲鳴を上げた。慢性的な首の痛みと向き合い、ヨガで心身を整え、はり治療で体を手入れする。年齢は感じざるを得ない。

 それでも、「こんなおばさんになっても、日本代表の経験ができるのは、ほんまにありがたい。いい意味で常に人を裏切り、進化した姿を見せたい」。20年前は想像もしなかった舞台へ、遅咲きのダンサーが上がる。(上田惇史)

ブレイキン

 1970年代に米ニューヨークで、ギャング同士の争いを解決させる平和的手段として始まったとされる。DJの流す音楽に即興で踊るのが特徴で、相手と交互に演技する。技術や独創性などの要素をもとに審判が採点し、勝敗を決める。パリで初めて競技に採用され、日本は男女各2人が出場。次のロサンゼルス五輪では実施されない。

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