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青果売り場から競歩の「新星」がパリへ…大学で芽が出ず就職活動、2月に想定外の好記録

読売新聞 / 2024年7月17日 14時1分

日本選手権で、力強く歩く浜西選手(2月18日、神戸市で)

[花開け Paris2024]<3>陸上・競歩男子20キロ 浜西諒 24

 パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。

 6月中旬、陸上・競歩男子20キロの浜西諒選手(24)は、勤務する埼玉県草加市のスーパーマーケットの青果売り場に立っていた。箱から出したキャベツやスイカなどの野菜や果物をカットして袋詰めにし、店頭に並べる。

 買い物客の多くは、代表選手とは気づかずに通り過ぎていく。「パリでの活躍、楽しみにしています」と声をかけられるようになったのも最近になってからだ。

 実は、パリ代表の座をつかむまではシニアの代表経験のない無名選手だった。

 2月の日本選手権(神戸市)で、東京五輪の銀メダリスト池田向希選手(26)に次ぐ1時間17分42秒で2位に入った。自己ベストを4分以上も更新する快挙で、パリ五輪の派遣設定記録を突破し、内定を確実にした。

 この結果に最も驚いたのは、浜西選手自身だった。4年後のロサンゼルス五輪への出場を目標にしていただけに、レース後の取材に「うれしい誤算。想像もしていなかった流れです」と顔を紅潮させ、喜んだ。

 大阪府豊中市出身。中長距離の選手として、地元の履正社高で陸上部に入ったが、周囲のレベルについていけなかった。浜崎弘監督(57)の勧めに応じ、選手層の薄かった競歩に転向した。

 ルールを知らず、競技を見たこともなかった。気乗りはしなかったが、「いつか走る方に戻る」との一心で、練習に打ち込んだ。

 競歩は、歩型を崩さずに忍耐強く歩き続けることが求められる。次第に、「地道な努力が苦にならない自分の性格に向いているな」と感じるようになった。

 2年時、タイで開かれたアジアユース陸上選手権の日本代表に選ばれ、4位に入賞した。メダルを逃した悔しさを胸に、「再び日の丸を背負える選手になりたい」と覚悟を決めた。

 浜崎監督は「負けん気を出して、少しずつはい上がった」と話す。

 明治大では、同じく男子20キロに出場する古賀友太選手(24)らと競い合った。競歩に没頭した「充実した4年間」と振り返るが、運動時に吐いてしまう体調不良に悩まされるなど思うような記録は残せなかった。

 卒業を前に実業団から声がかかることはなく、引退を覚悟し、就職活動を始めた。そんな時、関東でスーパーマーケットを展開する「サンベルクス」(東京)の社員から「働きながら競歩を続けてみないか」と提案された。「せっかくのチャンス。期待に応えたい」と入社を決めた。

 昨春からの新生活は、忙しい。朝5時半に起きて自宅周辺を10~20キロ歩き、午前8時に出勤。午後1時に退社すると、また歩く。店舗幹部は「限られた時間でも集中し、仕事の覚えが早い。従業員としても戦力になっている」と評する。

 仕事で疲労がたまった時は練習を休むなど生活にメリハリをつけながら、基礎を反復して力を付けた。技術的な指導は、学生時代のコーチから受けている。

 「無駄にする時間は全くありません。仕事は立ち仕事の肉体労働なので、体が適度にほぐれてちょうどいいんです」と前向きだ。

 実家の玄関には「 猪突 ちょとつ猛進」の4文字が掲げられている。浜西選手が高校生の頃、したためたものだ。母・さとみさん(56)は、「これと決めたら、がむしゃらに突き進む息子らしい言葉でしょう」と話す。

 「日本代表として出るからには金メダルを目指す」。浜西選手は、着実に歩みを進めている。(高木文一)

競歩男子20キロ

 歩く速さを競う競技。両足が地面から離れる「ロス・オブ・コンタクト」、前足が垂直になる前に膝が曲がってしまう「ベント・ニー」という2種類の歩型違反に気をつけなければならない。違反が重なると失格になる。パリ五輪では、エッフェル塔に近いトロカデロ広場で行われる。

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