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「バスケ界のカズになれ」恩師の言葉で米国留学、数学教え英語と大男たちとの闘い学んだ富樫勇樹

読売新聞 / 2024年7月18日 14時39分

[花開け Paris2024]<4>バスケットボール男子 富樫勇樹 30

 パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。

 一つの決断が人生を変えた。バスケットボール男子の富樫勇樹選手(30)。きっかけは中学3年の時、恩師にかけられた一言だった。

 「バスケ界のカズになれ」

 15歳の時に単身でブラジルに渡ったサッカー界のレジェンド、三浦知良選手(57)を引き合いに出した言葉に心を動かされた。あれから15年、少年は日本のバスケ界の「顔」になった。

 両親が経験者の「バスケ一家」に生まれた。2歳の頃からおむつ姿で、おもちゃのゴールにワンハンドシュートを決める。テニスのボールでドリブルし、寝る時もボールを抱いた。

 「バスケをやれと言ったことも、技術を教えたことも一切ない」。中学と高校の指導者として、全国優勝を果たした父の英樹さん(62)は、そう言い切る。

 小学生になると、本格的に競技を始めた。忙しかった父は4年の時に息子の試合を初めて見て、驚がくした。「こいつは別格だ」。相手の6年生が誰もドリブルを止められない。出すパスは次々と味方に通った。

 誰に習ったのか。父が思い当たるのは、指導用に集めた大量のビデオ。テレビのアニメには目もくれず、NBA(米プロバスケットボール協会)のプレー映像を見ていた。「独学でまねして身につけたんだろう」

 父が指導する地元の新潟県新発田市の中学を日本一に導き、進路に迷っていた15歳の夏。幼少期から親交があり、プロチームを率いた経験を持つ中村和雄さん(83)に言われた。

 「見たことのない才能がある。若いうちにアメリカに行き、カズのようにバスケ界の常識を打ち破れ」。その言葉に米国行きを決めた。「誰も知らない環境で挑戦したかった」

 進学したのは、何人ものNBA選手を輩出している名門高。身長が2メートルを超える選手もいる中、1メートル70にも満たない日本人に与えられる出場機会は限られた。

 おとりになって敵を引きつけ、スペースを作って味方のパスを通すといった献身的なプレーを身につけた。体格差を補うため、相手ブロックを越すように高く弧を描く「フローターシュート」に磨きをかけた。

 ポジションは、司令塔のガード。コーチからは「常に声をかけ続けろ」とリーダーシップを求められ、仲間に数学を指導する代わりに英語を教わった。「性格が変わった」と言われるほどコミュニケーションを取るようになった。

 米国での大学進学を希望したが、奨学金を得られずに断念し、帰国してプロになる道を選ぶ。身長は1メートル67。「これでもやれる姿を見せたい」と語った。

 2019年、Bリーグの日本人選手(帰化選手を除く)として初めて年俸が1億円を超え、その事実を公表した。「バスケを始める子や頑張っている子たちに夢を与えられたら」という思いからだった。

 「出ることを想像できなかった」という五輪。開催国枠で出場した東京に続いて、パリでは48年ぶりに自力での五輪切符をつかんだ。史上初のベスト8を目標に掲げる。

 「それが当たり前になれば、今度は『メダルを取りたい』という高い目標につながる」。バスケ界の未来を占う戦いに、主将として先頭に立って挑む。(蛭川裕太)

バスケットボール男子

 1936年のベルリン大会から採用され、過去7回出場した。最高成績は56年メルボルン大会と64年東京大会の10位。前回の東京大会は3戦全敗だった。今大会は初戦で昨年のワールドカップを制したドイツ、2戦目で前回銀メダルのフランスに挑む。

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