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津波・原発事故に翻弄された「ホキコバ」ペア、初のオリンピックへ…「震災が僕らを強くした」

読売新聞 / 2024年7月16日 14時30分

 パリ五輪バドミントン・男子ダブルスに出場する保木卓朗(28)、小林優吾(29)両選手は福島県富岡町の同じ中学校を卒業した日に、東日本大震災に遭った。一時は別々に避難していたが、再会後にペアを結成。13年かけて初めて五輪への切符を手にした。「震災が僕らを強くした。支えてくれた人たちに結果で恩返ししたい」と誓う。(富山支局 坂野貴)

 2人が所属するトナミ運輸の練習が5月、富山県高岡市で公開された。日本代表コーチも見守る、白熱したラリー。保木選手が前衛でレシーブし、小林選手が後ろから強打を決める。「ホキコバ」ペア得意の形だ。

 保木選手は山口県、小林選手は宮城県の出身。2008年春、2人はバドミントンの強豪校だった富岡町の富岡第一中学校に入学し、ともに寮生活を送っていた。

 11年3月11日午後2時46分。卒業式を終え、小林選手は外出先で激震に襲われた。迫り来る津波から逃れようと、高台に避難。「死と隣り合わせだった」という恐怖は今も覚えている。寮にいた保木選手も無事ではあったが、進学予定だった富岡高校は、東京電力福島第一原発事故で避難指示区域に入り、部活動どころではなくなった。

 プレーする場所を探すために奔走したのが、富岡高の監督だった大堀均さん(56)(現トナミ運輸ヘッドコーチ)だ。その尽力で参加したトナミ運輸の練習で、保木選手は現役の日本代表選手のスピードを体感し、世界のレベルを知った。一方、小林選手は親戚のいる京都に避難し、近くの高校の練習に加わったが、「高いレベルでやるには富岡高以外にない」と揺るがなかった。

 震災の2か月後。富岡高バドミントン部は福島県猪苗代町で活動を再開した。1学年上にはシングルスの桃田賢斗選手もいた。大堀さんは、保木、小林両選手にダブルスを組ませた。

 臨時の寮となったペンションでは、原発周辺からの避難者も生活していた。「練習をしていていいのか」。悩む2人を大堀さんは、「試合に出て勝つこと、輝ける存在であることがおまえたちの使命じゃないか」と励まし続けた。

 2人はその後、トナミ運輸でも年に数回の強化練習をこなし、3年時の全国高校総体で優勝。強豪の同社に入ってからも成長を続け、2022年には世界ランキング1位に立った。

 今年1月の能登半島地震では、富山県でも被害が出た。保木選手の自宅アパートは液状化現象で傾き、住めなくなった。再びの大災害を経て、2人が信じていることがある。「最高のプレーを被災した人たちに見せて勇気を与えることができれば、自分たちが五輪の舞台に立つ意味がある」

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