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幼少期は川崎病患い、東京五輪はコロナ禍に翻弄された…家族の絆強みにパリで雪辱期す

読売新聞 / 2024年7月19日 16時26分

「ラン」で力走する高橋侑子選手(5月11日、横浜市で)=古厩正樹撮影

[花開け Paris2024]<5>トライアスロン女子 高橋侑子 32

パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。

 競技人生の集大成にするはずだったレースを終えても、心からの晴れやかな笑顔はなかった。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、1年の延期を経て開催された2021年の東京五輪。トライアスロン女子の高橋侑子選手(32)は、最初のスイムで先頭集団に入れなかった。バイクを終えて8位につけたが、ランで失速し、18位に終わった。

 4年に1度の大会に照準を合わせてきたアスリートにとって、延期への対応は様々な困難を伴った。高橋選手もその一人だ。「思うような準備ができず、満足できる結果ではなかった」

 東京都三鷹市出身。幼少期に全身の血管に炎症が起こる川崎病にかかり、生死の境をさまよった。その後、医者が「驚異的な心臓の強さだ」と感心する回復力で、運動ができるようになった。

 小学生になると、トライアスロンが趣味の父・正典さん(64)の影響で、家族そろって各地の大会に出場。「家族旅行」のような感覚でのめり込んでいった。

 大学時代には、日本学生選手権の4連覇など実績を残したが、2016年のリオデジャネイロ五輪への出場を逃した。国内と海外の実力差を痛感した。「もっと強くなる」と決意し、米国に拠点を移した。正典さんは「世界と戦うには必要だ」と背中を押した。

 19年に横浜市で開かれた国際大会で3位と9秒差の4位入賞を果たすなど世界と渡り合えるようになった。

 故郷で行われる東京五輪で最高の結果を出し、引退する――。描いた青写真はコロナ禍で崩れた。

 20年3月に1年の開催延期が決定。当時、練習拠点にしていたポルトガルもロックダウン(都市封鎖)され、帰国を余儀なくされた。ポルトガル人コーチのパウロ・ソウザ氏から対面での指導を受けられなくなり、練習を共にするチームメートとも離れ離れになった。

 プールは閉鎖され、数か月間、本格的なスイムの練習ができなかった。大会も中止になった。実家に戻り、人けを避け、マスクを着けて走った。「誰もが様々な制限を受けて厳しい状況にあった中で対応が難しかった」と悔やむ。

 間近で見ていた正典さんは「 切磋琢磨 せっさたくましていた海外の仲間から離れて孤独だった。高いレベルで気持ちを保ち続けるのは難しかったのだろう」と推し量る。

 東京五輪では混合リレーにも出場し、13位に終わった。その後のミーティングで、ソウザ氏から「まだ、やりたいと思えるなら競技を続けるか」と聞かれた。

 「もちろん、続けます」。自分でも驚くほど即答していた。まだ選手としての伸びしろを出し切っていないと感じた。何より、五輪でやり残したことがあった。

 再びポルトガルを拠点に、レースの駆け引きなど経験を積んだ。第4の種目と呼ばれる「トランジション」にも磨きをかけた。スイムからバイク、バイクからランへの種目のつなぎ目で、靴やウェアの着脱にかかる時間を短縮して順位を上げる。

 昨年9月のアジア大会では個人2連覇を達成。「日々、成長している」と手応えを感じている。

 妹の佳子さん(30)は、高橋選手の海外遠征に同行して食事のサポートを担ってきた。母・真由子さん(64)も娘の名前が記されたTシャツを着用し、家族で一番大きな声援を送ってきた。変わることのない家族の絆が強みだ。「今度こそ本当の集大成にする。心からの笑顔でゴールしたい」(長沢勇貴)

トライアスロン女子

 2000年のシドニー五輪から正式競技に採用された。「スイム」(1・5キロ)、「バイク」(40キロ)、長距離走の「ラン」(10キロ)で着順を競う。パリ五輪では「スイム」の会場となるセーヌ川の水質悪化が懸念されている。

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