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<映像作家・佐々木昭一郎さんがのこしたもの>中尾幸世…人の心を調和へと導く「音」

読売新聞 / 2024年7月19日 11時0分

「四季・ユートピアノ」の頃

 演出家・映画監督の佐々木昭一郎さん(6月14日、肺炎のため88歳で死去)は、音と音楽を核に独自のドラマを作った。そのうち5作品のヒロインとして今も多くの人の心に鮮烈に焼き付く存在が、中尾幸世さんだ。「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」、「川の流れはバイオリンの音」をはじめとする「川(リバーズ)」三部作(いずれもNHKドラマ)――。中尾さんにとって、佐々木さんがのこしたものとは。語ってもらった。

<中尾幸世(なかお・さちよ)> 1974年、NHKディレクターだった佐々木昭一郎さんの作・演出による「夢の島少女」に主演。当時は高校3年生で、きっかけは知人の推薦だった。その後も、職業俳優ではない「実生活者」として、佐々木作品に出演。「四季・ユートピアノ」(1980年)で演じたのは、ピアノ調律師・榮子。ピアノの音、 音叉 (おんさ)のA音など、音から広がる榮子の物語は、中尾さんのまなざし、四季の風景とともに見るものの心に響き、国内外でさまざまな賞に輝いた。さらに、「川(リバーズ)」三部作(1981~84年)にも、ピアノ調律師のA子(栄子)役で主演。イタリア・ポー川、スペイン・アンダルシア地方、スロバキアのドナウ川をめぐった。このほか、ラジオドラマにも主演。声と音楽との「あやなすひびき」をテーマに、1989年より朗読活動を行っている。

音の力、声の力

 佐々木さんから私に残されたもの、引き継いでと言われたような気がするもの。それは「音」です。実際には聞こえていなくても、こころに聞こえている音です。それは、音を詩的に描いた世界で唯一無二の作品「四季・ユートピアノ」の音叉、夢のようにも風のようにも聞こえるAの音にも通じます。

 音は人を狂わせもしますが、魂に気づきも与えます。佐々木さんは、「四季・ユートピアノ」で、人の心のチューニングを試み、いまだかつてない世界に踏み込まれた。榮子、そして人の心を調和へと導く音叉はその象徴です。

 「四季・ユートピアノ」の撮影期間は1年以上ありました。佐々木さんからは、その合間に、色々な音楽をコラージュしたオープンリールのテープをいただきましたが、その発想に驚かされました。音に関するイメージのひろがりがとても豊か。天才、と思いました。

 初めてお会いした時、佐々木さんは、私の声を音として感じ、聞いてくださった。そのことに私は深い感動と感謝を覚えています。自分の声の可能性、声を生かして表現する道があるということに目覚めさせてもらった。ラジオドラマに主演したのも、「四季・ユートピアノ」での私のナレーションを聞いたディレクターの方が、誘ってくださったから。声の力に気付かされたことは、今に至る35年間行っている朗読に (つな)がっています。

ともに創る

 佐々木さんに最初にお会いしたのは、近所のケーキ屋さんの2階の喫茶室。こんなに普通の穏やかで静かで繊細そうな人がNHKみたいな大きな組織で映像を作っているんだという驚きがありました。

 席についたとたん、佐々木さんは、「夢の島少女」の主人公について、ご自分のイメージを、よどみなく話し始めました。当時、私は高校生。高校生って、ちょっと生意気なところがあると思うんですけれど、ものすごいイマジネーションをお持ちの方だということがひしひしと伝わってきて、このお話だったら、できるかもしれない、是非やりたい、一緒に「創りたい」――。そうお話ししました。

 私は子供のころから、「自作自演」ということがすごく楽しくて、小学校6年生のころにはクラスメートと劇団を作って、月1回くらい自作自演をしていました。だから、佐々木さんにお会いして、お考えをうかがって、どのような立場であれ参加して一緒に「創りたい」ということが出発点になりました。要するに、スタッフというか、ともに作るエンジニア同士みたいな、そんな感じで、「女優さん」としての動機というのはありませんでした。

 「夢の島少女」の撮影は、役作りをすることもなく始まりました。冒頭シーンが生まれて初めての撮影シーン。大変なことだなと思いましたけど、同時にすごい作品なんだな、と思いましたね。そのシーンはちょっとわくわくして始まりました。

私も佐々木さんの右脳の一部

 <「夢の島少女」は都会の片隅で、現実にもみくちゃにされていく少年少女の物語。運河でずぶ ()れになって倒れている赤い服の少女と、彼女を救いたいと願う少年(横倉健児)の出会いから始まる。少年は少女をおぶって歩み出し、ひととき、穏やかな時間を過ごすが、それは長くは続かない。2人が終幕、行きつくのは「夢の島」。その姿を撮影するヘリコプターからの映像は圧倒的に鮮烈だ>

 冒頭のシーンでの私は、気絶している人間という設定なのですが、少年役のケンちゃん(横倉さん)におぶさる時に「申し訳ない」という気持ちが働いて、手が動いちゃったんですよね。でも、カメラは止めないでずっと回していた。こけたらこけたで、もう勢いですよね。最後のシーンもそうです。ヘリコプターが超低空でホバリングして、ずっと私たちの横を飛行していくんですよ。そんな中でケンちゃんは、おんぶが大変ですよね。どこまで歩けばいいかもわからないので、ひたすら、まだかな、どこまであるんだろうねって、ぶつぶつつぶやきながらヘリコプターの音が聞こえなくなるまで歩き続けました。

 佐々木さんの現場はカチンコがないので、自分の同録(同時録音)のマイクをぽんとたたくんです。それが始まりの合図。よーいドンでカメラマンがスタートした瞬間、私は、(「夢の島少女」の)主人公の小夜子さんに切り替わり、いったんカットとなれば、スッと幸世さんになる。まったく違和感なく、行ったり来たりしている形でした。

 佐々木さんからのイメージが非常に明確に伝わってきていたので、作品の撮影がスタートした段階ではもう役になっている感じ。小夜子さんにしても、榮子さん(「四季・ユートピアノ」の主人公)にしても、撮影途中で役柄に悩むということはありませんでした。

 「夢の島少女」の約4年後に撮影が始まった「四季・ユートピアノ」や「川シリーズ」で佐々木さんは、「僕と『おっちょ』(中尾さんのニックネーム)はあうんの呼吸だから」という言い方をされていました。私も動いている自分の映像がすぐに浮かぶので、それを再現していくような感じでした。各シーンの状況設定を聞いて、共鳴して、以心伝心というか、榮子像を中尾幸世にインプットしてゆく。そういう演出でもあったと思うのです。私も佐々木さんの右脳の一部……。そんなふうに思います。

実生活から詩を見いだす

 周囲の出演者の方たちもみなさん、(職業俳優ではなく)普通に生活されている方たち。だから、私も溶け込めたのかな、とも思います。佐々木さんのインタビュー記事を読み返すと、「どういう人を選ぶのですか」という質問に対して、なにげない表情、たたずんでる表情をずっと見続けられる、そういう人を僕は選びます、と。そういう自然の人生が一番美しいんだということをおっしゃっていました。

 そういう人を見つけ出して、実生活をしながらせりふを言ってもらう。そのことに、まったく違和感がない。それどころか、すばらしく美しくて詩的であるというのは、すごく特別な佐々木さんの才能だと思います。

 「川の流れはバイオリンの音」で私は、ポー川の近くで自給自足に近いような生活をされているおじいさんと、孫と祖父のように話をしていきます。その中で、おじいさんが戦争の時の話をなさるシーンがあります。その中で、兵隊が自分で食べるためのスプーンを靴にさしているということを語られるのですが、それは、かつて私の父が佐々木さんに話したこと――シベリアに抑留されていた時のこと――です。そういうことを違和感なくやってのける。その方の生活の雰囲気を壊さず、いろんなことを言ってもらう。これも佐々木さんの作り方の特徴です。

 「四季・ユートピアノ」の撮影に入る前の事前準備として、私は、現地の方と一緒に暮らすという課題を、佐々木さんから与えられました。スタッフの方たちが撮影に到着する前に、(撮影地の一つ) 霧多布 (きりたっぷ)に先に一人で行って、日の出の時間を調べるとか、海岸沿いをチェックするとか……。馬を飼っているおじいちゃん、おばあちゃんのところにも出かけて行って、出演交渉というか、お邪魔するむねをお伝えしたりもしました。小さい時の「榮子」の役をしてくれた津軽の女の子のおうちにも事前に泊めていただきました。

魂の中で目が覚める

 <「四季・ユートピアノ」の榮子は、雪国から都会に出てピアノ調律師になった女性。過酷な過去を生きてきたが、音そして音楽に導かれて生きていく姿に悲壮感はない>

 「四季・ユートピアノ」は、あらすじだけを文字にしたら悲惨です。人もどんどん死んでいくし、ピアノの調律師として自立していくのにも、切実な理由があります。でも、作品そのものの味わいは、美しい音楽を聴いているよう。どんなに悲惨な場面があっても、佐々木さんの根底から、人間の根源的な生きる喜びのようなものが伝わってくるのです。

 初めて作品が放送された日、放送が終わりかけたころに空を見ていたんです。今、この時間、見えないけれど電波にのって作品が、各家庭のテレビに届いている、遠くまで多くの方に届いていると思うと、すごくうれしかった。なんだか磁場が変わるような感覚さえ覚えました。

 佐々木さんの作品は、それを受け取った人たち、一人ひとりのものすごく深いところに入っていって、生きる礎というか、支えになっている。今も影響を受けて映像を作っている、芝居をしている方たちが、若い人たちの中からも生まれている。朗読会をしていますと、ファンの方たちが日本中から来てくださる。ありがたいことです。

 名作とか、芸術性の高い作品は数々あるんですけれど、佐々木さんの作品は、異次元の世界というか、時空を超えた拡がりが感じられ、奇跡としか呼べない。一度見ると、心をつかまれてしまうんですよね。精妙なエネルギーというのでしょうか、魂の中で何かが目覚めてしまう。

 今になって思えば、佐々木さんとは、何歳の時にどういう形で会う、ということを、生まれてくる前に、もう了承して、青写真を作ってきていたのだという気さえしています。スタッフのみなさんも同じだと思います。

夢の中で

 佐々木さんは本当にユーモアのセンスが豊かで、架空のコントみたいな話をぺらぺらぺらぺら一人でしている時があった。面白かったですね。できれば最後に佐々木さんとそういう喜劇をつくりたかったですね。佐々木さんからは、中尾さんはコミカルなものもできるって言われていました。

 長らく佐々木さんとはお会いしていませんでしたが、まれに夢を見ました。その夢の中の私は、佐々木さんとまだ一緒に作品をつくっている、撮影を続けている。つい最近だと2年くらい前かな。場所は日本のどこかですけれど、「川」シリーズですね。佐々木さんは、「主人公はA子さんで、もうNHKで放送枠もとってあるから、これ絶対放送するから」って言うんです。私は、「なんでそんなことできるんだろう」って思いつつ、「でも、まあ、夢の中のことだし、頼んでみようかな」と、「それはいいんですけど、佐々木さん、一つだけお願いがあります。私もう年だし、年取ったA子を見るっていうのもちょっとつらいかなと思うので、できるだけヘアメイクをつけてください」なんて、言っている。そんな夢を見たことがあります。

 ご年齢を考えれば、いつかこういうかたちの再会になるというのは、覚悟はしていました。佐々木作品の思いを受け止めて、映像を創ったり、演じたりしてくださっている方々がいらっしゃると時々お聞きします。一つの時代が終わったというよりは、やっと時代が追いついてきたのかもしれません。作品をご覧になられた方、そしてこれからご覧になられる皆様が、作品の1シーンを日々の生活の中でふと思い出して、幸せを感じられたら、それ以上の追悼はないかもしれません。

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