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3歳の初戦は泣いて逃げ出す・代表唯一の「非世界女王」…挫折が武器のレスリング「さくら」、パリで開花へ

読売新聞 / 2024年7月21日 13時32分

[花開け Paris2024]<5>レスリング女子62キロ級 元木咲良 22

 パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。

 タオルで何度拭っても、涙が止まらない。昨年9月にセルビアで行われた世界選手権で、パリ五輪代表の座を射止めたレスリング女子62キロ級の元木 咲良 さくら選手(22)は、泣いていた。うれしかったわけではない。

 決勝で敗れ、狙っていた優勝を逃した。実力者がそろい、パリでメダルラッシュが期待される女子代表。その6人で唯一、世界選手権を制したことがない。

 「自信がないし、マイナス思考。だからこそ、練習も研究もできる。それが自分の武器」。負けやケガに泣き、はい上がる。それを繰り返してきた。だから今度だって――。

 涙で始まったレスリング人生だった。元五輪代表の父の影響で、3歳で地元の埼玉県のクラブに入った。その直後のデビュー戦で、同い年の男の子を前に戦意を喪失。泣きながら逃げ出し、棄権した。

 強豪の埼玉栄中に進んでからも、定位置は優勝者の右か左。負ける度に「才能がない」と泣き、数日、口もきけなくなった。監督だった野口篤史さん(57)に言われた。「負けてから努力して、はい上がるのが、お前のペースなんだよ」

 悔しさが稽古の原動力だった。男子選手に挑み、体重が100キロ近い野口さんともスパーリング。遅くまで居残った。練習に参加し、マットで向き合った父が「もう帰ろうよ」と漏らすほどだった。

 恩師の言葉が現実になったのは埼玉栄高2年の時。7回ほどの対戦で全敗していた相手を破り、全国大会で優勝する。「勝ち続けた人にはわからない、達成感とうれしさがあった」と下馬評を覆す喜びを知った。

 今度は、ケガに悩まされた。育英大2年で右膝の 靱帯 じんたいを断裂した。「この世の終わりというくらい落ち込んだ」。壁にぶちあたっても逃げない。復帰までの7か月、取り組んだのがレスリングの研究だった。

 朝から晩まで海外選手の映像を見た。練習場では他の選手の動きに目を凝らした。タックルに入る角度、相手の頭や脚の位置……。技が決まりやすいパターンが見えてきた。

 「数学の公式と同じ。知っていれば、応用も利く」。得意の低いタックル「ローシングル」をかけるパターンは30にまで増えた。

 レスリングが楽しくなった。復帰すると、国内の激しい代表争いを制し、初の五輪切符をつかむ。同じ競技者の妹に言われた。「努力は裏切らないんだね」

 ライバルは、あの日、世界選手権で優勝を阻まれたアイスルー・ティニベコワ選手(31)。「キルギスの英雄」には、これまで3連敗を喫している。

 試合によって構え方を変える老練な世界王者は、「めちゃくちゃ強い」。得意技を封じられ、研究成果を上回られる。どうしたら勝てるのだろう。

 見返したのは、中学から毎日つけている30冊のレスリングノート。めくっていると、その時々の課題に向き合い、乗り越えてきた自分の姿を思い出した。

 失うものはない。自分らしく攻撃的に戦おうと決めた。「こんなに挫折を味わった選手もいない。そこが自分の強み。金メダルを取って、リベンジしたい」

 その名には「良い花を咲かせるように」との両親の願いが込められている。真夏のパリで、「さくら」が開花の時を迎える。

(上田惇史、おわり)

レスリング女子

 2004年のアテネ五輪で採用され、日本は全大会で金メダルを獲得。通算獲得数は金15個、銀3個、銅2個で、「日本のお家芸」と呼ばれる。04年アテネから吉田沙保里さんが3連覇、伊調馨さんが4連覇を達成した。4人が優勝した東京から顔ぶれは大きく変わり、2大会連続出場は須崎優衣選手のみと、ハイレベルな代表争いとなった。

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