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ライムスター・宇多丸を悩ませたヒップホップ「社会」、マルチゆえの孤独を変えた「タマフル」

読売新聞 / 2024年7月26日 10時0分

 夜遊びをしながらも、早稲田大学法学部に合格したヒップホップグループ「ライムスター」のラッパー・宇多丸さん(55)。大学で世界は一層広がり、今につながる活動をスタートさせた。(読売中高生新聞編集室 鈴木経史)

GALAXYでライムスター誕生

 「大学では、高校時代に夢中になったクラブミュージックとかヒップホップに関するサークルに入りたいと思ってました。そこで見つけたのが『ソウルミュージック研究会 GALAXY』でした。ブラックミュージックマニアの集まりでしたが、『DJ教えます』も売りにしてたんですよね。

 1年生は、新入生歓迎会で出し物をやるって決まりがありました。先輩からはコントを勧められましたが、『代わりにラップやりますよ』って宣言しちゃいました。一度もやったことなんてなかったのにね。当時は日本人がラップするなんて無理だろっていう風潮があったんですけど、先輩からは意外と好評価で、それがラップを志す原点になりました。

 2年生のとき、後輩として入ってきた Mummy (マミー)―Dと『ライムスター』を結成しました。日本語のラップなんて、技術も市場も確立されていない時代ですから、はじめはレコード会社にも相手にされず、悔しい思いもしました。でも、本当に達成できるかどうかわかんない目標だからこそ面白い、と感じていたのは間違いないですね」

日本語によるラップというスタイルが徐々に広まり、その先駆者として宇多丸さんの知名度は上がっていく。一方で、新たな違和感も覚えるようになる。

 「ヒップホップというジャンルのなかにも、やっぱり『社会』があるんです。中学生の頃、学校という狭い社会のなかで感じていたのと同じような息苦しさに、またしても悩まされるようになっていきました。

 そんなとき助けてくれたのは、やっぱり映画と音楽でした。ライムスターの活動と並行して、サブカルチャー方面の活動も続けていたからこそ、ヒップホップの社会といい感じの距離感でいることができたんです。ただ、色んなジャンルの活動をしていると、『ラッパーの宇多丸』『評論家の宇多丸』って具合にバラバラに受け止められてしまう。全部同じ自分なのに、誰にも理解されないという孤独も感じてました。

 転機になったのは2007年。僕がパーソナリティーを務めるTBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』がスタートしました。この番組では、ヒップホップ、映画評論、そのほか自分が好きなカルチャーの全てを詰め込んで紹介しました。複数のジャンルにまたがっている自分の全てを、一括して見せられる場所がようやくできたんです」

たとえ笑われても…

中高生時代の不遇なエピソードは、いまやラジオのトークで定番になっている。

 「同世代の女の子たちを前に、白ふんどしで泳がされたエピソードなんて、何回話したかわかりませんね(笑)。でも、当時も今と一緒で、『ひどい学校だ!』とか文句を言いながらも、自分の置かれた境遇をネタにして乗り切っていたと思います。

 一方で、中学時代に周りの目を気にしてサッカー部に入ってしまったように、自分の人生を他人に左右されるほどバカバカしいことはありません。自分にとって本意じゃなかったら、全力で戦ったり、拒絶したり、時には逃げたりしてもらいたいです。

 それは自分を心配してくれる親や先生であっても一緒。法学部でマジメに試験を受けて弁護士になっていれば、それはそれでいい人生を歩めていたと思います。でも、自分でラッパーという道を選んだから今がある。たとえ失敗して笑われても、自分で経験して、選んで、学んで、自分だけの人生を歩んでください!」

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