イタリア映画「墓泥棒と失われた女神」…くたびれたスーツ姿の現代のオルフェウス、その愛の行方
読売新聞 / 2024年7月25日 11時0分
映画の魔法を体験したいなら、イタリアのアリーチェ・ロルヴァケルの作品を見ればいい。彼女の監督・脚本による新作「墓泥棒と失われた女神」を見ると、つくづく思う。1980年代のトスカーナ地方を舞台に描かれるのは、この地に眠る古代民族の埋葬品盗掘に手を染めたアーサーという男の物語。大抵の墓荒らしは金目当て。でもアーサーが追うのは、たった一人の女の幻影。その愛の物語は虚実の皮膜を突き抜け、観客自身の記憶と共振しながら、静かに、でもダイナミックに転がっていく。(編集委員 恩田泰子)
舞台となる田舎町は、紀元前3世紀ごろまでエトルリア文明が栄えたエリアにある。土の下にはエトルリア人の墓、つまり死者たちのための世界が広がっている。
英国俳優ジョシュ・オコナーが演じるアーサーは、どこから来たのかははっきりしない、くたびれたスーツ姿の異邦人。埋もれた墓を探り当てる能力があって、地元の墓荒らしたち、イタリアで言うところのトンバローリに重宝されている。ほとんどの墓は既に盗掘されているが、それでも何かしら副葬品は残っていて、横流しすればちょこちょこ稼げる。暗躍するスパルタコなる人物が買い上げてくれる。
トンバローリとともに掘って奪って逃げる日々。その合間に去来するのは、一人の女の声、顔、姿。古い屋敷に住む老婦人フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)との会話によれば、アーサーは彼女の娘、ベニアミーナと婚約していて、ともに再会を願っているのだが、一体彼女はどこへ行ったのやら。やがて、アーサーと墓荒らしたちは、手つかずの豪勢な「墓」を見つける。そこには美しき女神像が
これまでにつくった「夏をゆく人々」や「幸福なラザロ」などもそうだったが、ロルヴァケル作品には、突然、映画の幅と奥行が広がり、現実の向こう側にある深遠な世界と接続するような感覚を与える魔法のような瞬間がある。それが、たまらない。
この「墓泥棒と失われた女神」でロルヴァケルは、映像と言葉を文字通り緩急自在に操って、登場人物が生きる現実や社会状況を、時にコミカル、時にスリリングに活写しながら物語を走らせていく。35mm、16mmとフォーマットやアスペクト比の異なるフィルムを使い分けながら、現在進行形のストーリーの中に、予感や記憶のかけらをしのばせ、ひそかに膨らませ、ふいに映画を跳躍させる。観客をたっぷり楽しませながら、現実の向こう側に連れていき、感覚をひらく。
たとえば映画中盤、夜の海岸でのくだりは、なんでもない風情で始まるが、ふいに目には見えないはずの時間の層の存在が濃密に立ち現れてくる。地上の工場、地下の墓。即物的な現代の人間、魂を重んじた古代の人間。そこでは現代の野蛮と古代の洗練がぶつかり合っている。さて、どちらにひかれるか、信じるか。観客は自らも心を揺らしながら、アーサーの「旅」を見届けることになる。
古代人が死者のためにつくった地下世界を繰り返し訪れるアーサーの物語は、愛する妻を捜して冥界へ赴くギリシャ神話のオルフェウスのストーリーと交接する。失ってしまった大切な人ともう一度会いたい。オルフェウスの神話同様、アーサーの愛の物語の行方は、いつの世も人が抱く切なる願いをはらんでいる。
その愛の成就を単なるファンタジーとして描く映画はいくらでもあるが、ロルヴァケルの映画はリアルな手触りを決して失わない。幻想を現実と地続きの信じられるものとして描く極上のマジックリアリズム、ネオレアリズモ以降のイタリア映画の記憶……。そうしたものが、この監督の作品の中では豊かに溶け合っている。現実の向こう側から現実を照らし出す、マジック・ネオレアリズモとでも言いたくなる独特の世界を形成している。
アーサーの物語にドライブをかけるのは、女たち。イザベラ・ロッセリーニが演じる母なるフローラ。監督の姉でもあるアルバ・ロルヴァケルが戯画的に演じる美しき
この映画を見ていると、いろんなことがぺろんと見えてくる。世の中の仕組みも、人間のちっぽけさも、とんでもなさも。終幕、アーサーがたどりつく境地をどう解釈するかは、人それぞれだろうが、それでいいと思う。その解釈が自分自身を理解するカギとなる。思っていたよりロマンチックかもしれないし、その逆かもしれない。映画の魔法は、見る人の心をも裸にする。
◇「墓泥棒と失われた女神」(原題:La Chimera)=2023年/イタリア・フランス・スイス/上映時間:131分/日本語字幕:高橋彩/後援:イタリア文化会館/配給:ビターズ・エンド=Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中。
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