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劣勢から逆転したアテネの金、北京では決勝の試合中に靱帯断裂…残り8秒で燃え尽きた塚田真希さん

読売新聞 / 2024年7月27日 6時50分

五輪の思い出などを語る塚田さん(18日、神奈川県平塚市で)

 パリオリンピックの開会式が27日夜(日本時間28日未明)から始まった。女子柔道で五輪の金、銀メダルをつかんだ茨城県下妻市出身の塚田真希さん(42)は、曲折を経た自身の挑戦を振り返りつつ、「思い切ってやってほしい」と今大会の選手たちへエールを送った。(工藤圭太)

 現在は東海大柔道部の女子監督を務め、後進の育成に携わっている塚田さん。五輪を経て得た財産が「今の自分の柱になっている」と感じている。

 中学では美術部に入ろうと思っていたが、周りの誘いで柔道部へ。強豪の土浦日大高に進学すると、いきなり挫折を味わう。軽量級の選手にさえ勝てず、練習や寮生活にも音を上げた。「体が自分の半分くらいの選手にも勝てない。高校をやめようと思った」

 直後の夏合宿で、大学生の先輩に言われた言葉が人生を変えた。「常に色んなことから逃げている。自分に勝つことから始めてみなさい」。柔道でも前に出る積極的なスタイルに転換し、才能を開花させていった。

 2004年のアテネ五輪は、決勝で劣勢から逆転して金メダル。ただ、「ラッキーチャンスをものにしただけ。燃え尽きたところは全くなかった」と、すぐに4年後の北京に目を向けた。

 アテネ後に台頭したライバルの佟文(中国)は「男子の重量級」と思うほど圧倒的だった。対抗するため、柔道着をつかんで行う懸垂などを取り入れ、出稽古で男子選手との練習も行った。北京の舞台に立った時は、「本当にしんどい練習をしてきた。あとはここで出し切るだけ」と思えた。

 佟文との決勝は死闘だった。塚田さんは先にポイントを取ったが、相手の重圧に冷静さを失った。「絶対にしてはいけないミス」で左肘を取られ、 靱帯 じんたい断裂。そして残り8秒、背負い投げで一本負けした。悔しい銀だったが、極限まで自分を追い込んだ4年間を思い、「よく頑張った。力は出し切った」。競技人生の全てを懸けて戦い、燃え尽きた。

 引退から14年。今は指導者として「選手たちが主役になることを心から望んでいる」という。五輪の舞台に臨む選手たちには「これからの長い人生で大きな意味を持つと思う。五輪の空気を思い切り味わってきてほしい」と期待している。

◆つかだ・まき=1982年生まれ、下妻市出身。同市立下妻中で柔道を始める。土浦日大高、東海大卒。全日本女子選手権では2002年から9連覇を達成した。04年アテネ五輪女子78キロ超級で金、08年北京は銀メダル。10年に現役を引退した。

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