「高度成長は日本人がよく寝ていたおかげ」「若者は遅寝遅起きの方がいい」…筑波大・柳沢正史教授が語る睡眠の真実
読売新聞 / 2024年7月26日 11時0分
しっかりした睡眠を心がける大リーグの大谷翔平選手の活躍が脚光を浴びるなど、睡眠の力があらためて注目されている。そもそも人はなぜ眠り、睡眠にはどんな効用があるのか。睡眠研究で世界の最先端をゆく筑波大学の柳沢正史教授(64)を訪ねた。(編集委員・鵜飼哲夫)
「四当五落」…実際は「七落八当」
柳沢さんが睡眠と覚醒を調節する神経伝達物質を発見し、世界を驚かせたのは、米テキサス大の研究者だった1999年。その前年に発見した「オレキシン」の欠乏が、強い眠気に急に襲われるナルコレプシーの原因になると突き止め、この仕組みを利用した不眠症治療薬は実用化されている。
――こうした研究成果などでブレイクスルー賞など数々の賞を受け、ノーベル賞に近い研究者とされていますが、近年はテレビやSNSでも快眠法をわかりやすく解説するなど、眠りの伝道師のような活躍もされています。
柳沢 色んなデータにあるように、日本人って世界一睡眠不足で、私に言わせると、日本が元気がない原因は眠れてないから。これをなんとかしたい。それに尽きます。
――OECD(経済協力開発機構)が2018年に発表したデータによると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分とされていますね。
柳沢 これは調査対象国の平均より1時間以上短い。調査結果を見てもわかるように、生産性が高く、リッチな国の人々はよく眠っている。
――1年に換算すると15日分も寝る時間が少ないけれど、それだけ日本人は勤勉に働いているといえませんか。柳沢先生と同世代の私の受験時代は、四当五落(4時間睡眠で勉強に励むと合格、5時間寝ると落ちる)という言葉がありました。
柳沢 科学知識が教えることは全く逆で、むしろ四落五当、いや、よく眠ったほうが記憶は整理され定着するので、七落八当といってもいい。最高のパフォーマンスを発揮するには十分な睡眠が必要。だから寝ると落ちるんじゃない。寝ないと落ちる。
まして、試験前の一夜漬けはとんでもない。徹夜明けの脳は、酒酔いと同程度まで機能が低下する。24時間戦うなんてあり得ませんよ(笑)。睡眠不足になると肥満や認知症など様々な不具合も招きやすく、いいことはない。
「寝る間を惜しむ」要注意
――充分な睡眠を心がける大谷選手が、すぐれたパフォーマンスを発揮しているのは理にかなっているんですね。
柳沢 はい。スポーツもただ練習するだけでは技能向上は頭打ちになる。そこで一晩寝ると次のレベルにいける。
寝る間を惜しんで働く人は要注意ですよ。本人は頑張っているつもりでも、寝不足では効率が悪く、作業時間がかかり、ますます寝る時間が削られる。悪循環に陥ってしまいます。
――通勤通学電車でウトウトする日本人は多いです。
柳沢 そんな姿をヨーロッパの人が見たら、「体調が悪いんだったら家で休めよ」って言われるのが普通です。
そもそも電車での居眠りは首も支えられぬような姿勢ですので、まどろみと覚醒を行き来する程度のきわめて浅い睡眠しかとれません。それをするくらいなら車内の時間はメールチェックや読書にあて、そのぶん30分でも早く就寝して、夜の睡眠時間を延ばすほうが効率が良いです。
思春期になると若者は平均夜型になるのに、自分が若かったときのことを忘れた年配者が、朝早くからの活動を若者に強いるのも不合理。若者は遅寝遅起きの方が調子が良い。朝課外をやめ夕課外にしたほうが効果はあがりますよ。
睡眠不足で「失われた30年」
――日本人はなぜ、睡眠を重視してこなかったのでしょうか。
柳沢 頑張っていいモノを作ればもうかるという成功体験が親から子に伝わり、「寝るのを惜しんで頑張れ」「いつまで寝ているんだ」という価値観が生まれたように思う。でも、それは偽りの成功体験です、私に言わせると。
ここに面白いデータがあります。「NHK国民生活時間調査」によると、私の生まれた1960年の日本人は夜10時までに就寝する人が67%もいて、今より1時間多い、8時間13分寝ていた。
次第に遅寝になっていきますが、それでも高度成長期の日本人はよく寝ていた。寝る時間を削って頑張ったから経済成長したというのは誤った認識で、よく寝ていたからこそ高度成長があったと思っていいぐらいですよ。
――ほんとですね! 調査によると、バブル崩壊の90年代になると、10時までに寝る人が30%を割り、夜ふかしが増えますね。
柳沢 単なるモノづくりより、クリエイティビティーを発揮することが重視される時代になれば、睡眠はますます大切にしなければならないはずなのに、日本は逆でした。
――そして経済は低迷、国際競争力に陰りが出てきた。
柳沢 「失われた30年」は睡眠不足による思考停止が続いている。寝不足だと一歩下がって大きな視野で見るメタ認知の能力がなくなり、目の前にある課題しか見えなくなるからです。
しかも、睡眠が足りないと、利他的行為は抑制され、怒りのコントロールもきかず、人間関係までおかしくなる。
――パワハラ、カスハラの遠因にもなりそうですね。
柳沢 深刻なのはデジタルネイティブ世代ですら、タイムパフォーマンスを上げるため「ショートスリーパーになりたい」という声が多く、睡眠は無駄、サボっている時間と思い込んでいる。高いタイパへの第一歩は睡眠なのに……。日本人の睡眠不足の根は本当に深いです。
眠りと脳は共進化
――そもそもなぜ、人は睡眠をとるのですか。
柳沢 それは一番のビッグクエスチョンですが、いまだに解けない。寝ていると敵に襲われ、災害では逃げ遅れ、眠りはどうみてもリスキーだけど、眠らない動物はいない。
――人間の睡眠の特徴は?
柳沢 ほとんどの動物は、細切れの睡眠を繰り返す多相性睡眠です。これに対して人は夜に固めて深く眠って、昼間はずっと起きている単相性睡眠です。
私の考えでは、夜に深く続けて眠る能力をギフトされたことで、人は非常に高度な脳のメンテ(維持、整備)が可能になった。つまり、夜しっかり眠ることで脳が発達し、火を
――ただ、人間の場合は明日に不安を覚え、終わったことをくよくよ悩み、なかなか寝つけないことがあります。
柳沢 そういう時は違うことをするといい。私の場合、つまらない論文を読む。そうするとすぐに眠くなる(笑)。
最近は、藤井聡太ファンの「
――ところで、オレキシンは発見当初、食欲制御の物質と考えていたそうですね。
柳沢 はい。でも、オレキシンをつくれないよう遺伝子を操作したマウスで実験しても、摂取量や体重に変化はない。そこでマウスが夜行性ということに注目し、暗視カメラで夜の行動を観察すると、急に睡眠発作を起こすことに気がついた。睡眠研究はこれがきっかけで、まさにセレンディピティー(予想外の偶然の発見をすること)でした。
食欲だと思って蓋を開けてみたら、僕にとってははるかに面白い睡眠だった。だから、私はよく、科学的な「真実は仮説より奇なり」と言っています。
この言葉は自戒の句でもあって、真実という大いなるものに比べたら、仮説はしょせん人間が小さな頭で考えたストーリーにすぎないという思いも込めています。
――奥が深いですね。
柳沢 睡眠についてはまだまだ解けない謎が多い。だから研究は本当に面白い。
やなぎさわ・まさし 1960年東京生まれ。筑波大大学院修了、医学博士。筑波大国際統合睡眠医科学研究機構機構長。文化功労者。
快眠をもたらす寝室の3条件は「暗くて静かで朝まで適温」として、「夏でも冬でも、夜の間エアコンをつけ、快適な温度と湿度を保つことで得られる良い睡眠は、電気代以上の価値をもたらします」と語る。監修本に『最強に面白い睡眠』(ニュートンプレス)。
睡眠から健康をつくることを目的に2017年、株式会社S’UIMINを起業。睡眠を「見える化」するため、睡眠中の脳波を自宅で精度よく計測できる有料サービスを提供している。
(読売新聞夕刊「鵜飼哲夫編集委員の ああ言えばこう聞く」から転載)
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