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バスケットボール日本代表の命運を握る3点シュート、39年前の「日本人第1号シューター」は…

読売新聞 / 2024年7月29日 7時0分

 パリオリンピックのバスケットボール競技が始まった。バスケットリングの真下から最長6・75メートルに引かれた半楕円形のスリーポイントラインの外側から直径45センチのリングを目掛けて投げる3点シュートは、試合を盛り上げるプレーの一つだ。

 アメリカのプロリーグで採用されていた3点シュートを、国際バスケットボール連盟(FIBA)が導入を決めたのは1984年。日本でも85年から新ルールが適用された。

 日本で最初にスリーポイントシュートを決めたのはだれか。1985年4月28日付の読売新聞朝刊スポーツ欄に「初の3点シュート」という見出しで記事が掲載されている。同27日に東京・代々木第2体育館で行われた日本男子ユニバーシアード代表候補(日本代表B)-マレーシアの国際試合で「日本人第1号の3点シューター」が生まれたという。決めたのは当時、日本リーグの日本鉱業で1年目だった佐藤清美さん(62)(現・秋田銀行ヘッドコーチ)で、試合終了残り4秒、土壇場で日本に66-64の勝利を呼び込んだ値千金の逆転シュートだった。

 佐藤さんは能代工業高(現・能代科学技術高)-日本大-日本鉱業と現役時代を歩み、指導者としてもWリーグや全日本選手権での数多くの優勝経験を持つ。

 「あの時のシュート、覚えてますか――」と佐藤さんに聞いた。

 司令塔役のポイントガードだった佐藤さんは「1点リードされていて残り時間もほとんどない。チームにはシューターが2人いたのですが、僕はそのうちの一人に打たせようと、パスを出した。そうしたら、その選手が僕にパスを戻してきた。急にボールが返ってきて、慌てて打ったのが入ったんです」。当時の紙面には「まさか3点とは思わなかった」という本人のコメントも入っている。

 「当時はオフェンスのスタイルも今とは違って、『インサイドを中心に頑張れ』で、誰でも長いシュートが打てるわけじゃなかった。この時の大会前の代表合宿でも、スリーポイントラインは引いてありましたが、スリーに関してはみんな、そんなに真剣には練習をしていなかったんじゃないかな」と佐藤さんは振り返った。

 近年は3点シュートの重要性が増している。その中でも、高さで外国勢に劣る日本は、スリーポイントの成否がチームの命運を握ることになる。(編集委員 千葉直樹)

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