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永山竜樹、極度の不振からオリンピックへの扉開いた父の言葉…「攻める柔道」で「銅」

読売新聞 / 2024年7月28日 1時38分

2回戦でブラジル選手を攻める永山竜樹選手(手前)(27日、パリで)=関口寛人撮影

 パリオリンピックは27日(日本時間28日未明)、柔道男子60キロ級の3位決定戦が行われ、初出場の永山竜樹(SBC湘南美容クリニック)が、サリフ・ユルドゥズ(トルコ)に、開始48秒に大腰で、3分08秒には横車で技ありを奪い、合わせ技で一本勝ち、銅メダルを獲得した。

 負けを恐れずに攻め続けた先に、銅メダルがあった。柔道男子60キロ級の永山 竜樹 りゅうじゅ選手(28)は一時、極度の不振で五輪への扉が閉ざされかけた。原点の「攻める柔道」を取り戻すきっかけをくれたのは、厳しかった父の一言だった。

 近所の友達に誘われ、4歳で畳に立った。初めての試合で敗れると、「男の子だから強くしたい」と思っていた父の しゅうさん(50)のスイッチが入った。

 柔道経験はなかったが、道場に通って黒帯を取得。「いつでも試合を見に行けるように」とトラック運転手をやめ、仲間を誘って運送会社を設立した。

 父には「攻めて勝て」と言われ続けた。金メダルや優勝トロフィー以外は捨てられた。試合に負けると、その映像を100回見て研究させられたこともある。 中学は父の薦めで北海道美唄市を離れ、愛知県の強豪校に進んだ。3年の時に国際大会を制し、「世界で戦える」と自信がついた。父はどんな試合にも駆け付け、アドバイスをくれた。

 2人の関係に亀裂が入ったのは、東京五輪の代表から落選し、実家に帰省した時だった。負けた試合を巡って言い争いになり、思わず口走った。「柔道やったことないだろ」

 父にとっては、一番言われたくない言葉だった。誰よりも息子を見てきて、理解している自負があった。「勝手にしろ」。2人は話さなくなった。試合を見に行くこともなくなった。

 それから1年半後、家族に促されて訪れた試合会場で目にしたのは、負けを恐れて守りに入った息子の姿だった。その試合も敗れ、パリ五輪の選考レースで崖っぷちに立たされた。

 観客席に来た息子は漏らした。「勝ち方がわからなくなった」。しばらくして2人で会い、「五輪に出なくてもいい。お前の攻める柔道を見せてくれ」と伝えた。勝ち負けより自分の姿を取り戻してほしかった。

 事実上の代表決定戦となった昨年12月の国際大会。決勝の相手は、東京五輪金メダリストの高藤直寿選手(31)。父の「楽しめ」という声に応えるように鮮やかな背負い投げで一本勝ち。幼い頃からの夢をかなえた。

 3位決定戦で一本勝ちすると、「これまで支えてくれた両親や妻、たくさんの人に感謝の気持ちを伝えたい」と話した。

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