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能登半島地震でけが、生きることに精いっぱいのところからつかんだ夢舞台…感謝を胸に「決勝狙う」競歩・岩波

読売新聞 / 2024年7月28日 10時44分

インターハイを前に調整する岩波さん(23日、輪島市で)

 能登半島地震で被災した輪島市の県立輪島高校陸上部3年の岩波和紗さん(17)が、女子5000メートル競歩で全国高校総合体育大会(インターハイ=読売新聞社共催)に出場する。「決勝進出して、競技ができることに感謝をしながら全力を出し切りたい」と闘志を燃やしている。(武山克彦)

 元日は同市水守町の自宅にいた。両親や長姉の泰子さん(26)と 団欒 だんらん 一時 ひとときを過ごしていた時、地震に見舞われ、天井の高さほどある棚が倒れてきた。泰子さんが覆いかぶさるようにして守ってくれたが、けがを負い、右ひじは腫れ上がり、痛みすら感じなかった。けがや街の惨状に「もう競歩はできないかもしれない」と思った。

 競歩には小学6年で出会った。全員参加の競歩大会に出場した際に「優秀フォーム賞」を獲得した。知人の誘いもあり、地元のクラブに参加した。中学でも入賞することもあり、高校でも陸上部で競歩を続けた。

 高校1年生の時に競技中、体力が持たなくなった。病院で貧血だと診断された。1年生の間は表彰台に立つことはなかったが、2年生の時には症状も落ち着き、県大会で3位。北信越大会にも出場した。インターハイ出場が視野に入り、熱も入り始めた頃、起きたのが能登半島地震だった。

■姉と金沢で生活

 地震後2週間は避難所生活を余儀なくされた。1日の食事がせんべいや雑炊などしか出ないこともあった。生きることに精いっぱいで競歩のことも考えられなかった。腕のけがが治っても練習もできず、寝てばかりの日々が続いた。2月にあった神戸市の競歩大会も出場を見送ろうと考えた。

 「大会に出るなら知佳の家に住んで大学で練習したら」。地震当初は金沢市にいた次姉の知佳さん(21)の家で生活することを両親が提案。知佳さんも大学で競歩をしており、大学に練習の参加をかけあってくれた。

■勾配のある歩道で

 知佳さんとの生活は3か月ほど続いた。その後は仮設住宅の立ち並ぶ海沿いの歩道を主な練習場所にしてインターハイを目指した。地震の影響で歩道には勾配ができたところも多い。かつて使っていた練習場のトラックの上には仮設住宅が建てられた。それでも「歩道に慣れたら(競技用の)トラックを歩くのが楽になる」と前向きに捉えた。大学のアドバイスを受けながら積んだ練習も糧になった。

 初出場のインターハイ。地震後、登校前のランニングを始めた。その時に出会う住民からは「頑張れ」と声をかけられる。「家族、先生、みんなが支えてくれた。感謝の気持ちを込めて最高のパフォーマンスを見せたい」。真っすぐに前を向き、力強く一歩一歩進む。

プロフィル

 いわなみ・なぎさ 2006年10月13日生まれ。歩行フォームが強みで、大会では一度も失格になったことがないほど。大学に進学して競技を続け、将来的には競歩大会の運営に関わり、競技の魅力を伝えたいという。

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